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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2012/05/18

カヴィト kavitはガヴィット gavitだった

ヴァン湖に浮かぶアクダマル島にあったアルメニア教会(915年)には、西側に4:Kavitというものが付属していた。1763年と、創建からかなり時代を経てから付け加えられたものだった。
一般に、キリスト教会は西が正面となっている。西欧の教会などはファサードと呼ばれ、一番装飾的なのに、Kavitが付け加えられているので、正面の装飾を見ることができない。
しかも、出土。あった他の建物の石材を寄せ集めて造ったのか、物置のようで外観が非常に悪かった。
北壁、東壁、南壁と浮彫を眺めて一回りした後に教会の中を見学したが、まさかこんな勝手口のような開口部から入るとは思わなかった。
中は薄暗く、碑文があったのを見たくらいで、すぐに教会内へと進んでいった。
だから内部がどのような空間だったか、全く記憶がなかった。
その後、岩山に登って教会を見下ろしたが、広い切り妻屋根で覆われて、明かり取りもなかった。南北に小さな窓が2つずつ、そして入口、これだけしか光の入るところがないのでは、天井を見上げても何も見えなかっただろう。
平面図では、中央に4本の角柱が立っていて、その真ん中にドームがある。きっと今の屋根は修復によるもので、建てられた当時はドームに明かり取りの開口部もあったのだろう。
南北と東の壁には中央の4本の柱と一直線上に当たる位置に角柱の付け柱がある。
内部はアーチが渡っていたのだろうか。
カヴィト kavitとは一体何なのかわからずにいたが、『アルメニア共和国の建築と風土』でやっとわかった。
同書は、教会の西側にはガヴィットと呼ばれる多目的ホールが教会の建設後に建てられ、日常的な集会をはじめとした様々な修道院の要求に応えたと考えられているという。
カヴィトではなく、ガヴィットだった。

ガヴィット ハグバット修道院 Hagbat Vank 10-13世紀 アルメニア
サナヒン同様、世界遺産に登録されているアルメニアで最も有名な修道院であり、多数の教会や付属施設から構成されるという。
教会の西側に付け加えられたガヴィットは、縦横2つずつの大きなアーチが井の字に組み合わされて、曲面の天井を支えている。
神谷武夫氏のアルメニアの建築 写真ギャラリーに平面図があった。それによると、両端に部分的に見えているのは、南北壁に2本ずつある付け柱で、それぞれに大きなアーチが架かっている。東壁は教会への入口両側にある付け柱から、2つの大アーチがこちらに向かっている。同書の別の写真でそのアーチを2本の柱が支えている。この空間には独立した柱はその2本だけである。
ガヴィット ガンジャザル修道院 St.Hovhannes,Gandzasar 13世紀中期
やはり教会の西側に付属するガヴィットで、こちらも井桁に組んだアーチが曲面の天井を支えている。
同じく神谷氏の写真ギャラリーに平面図があった。ハグバット修道院のガヴィットと同じように、東と南北に付け柱が2本ずつ、西の方に独立した柱が2本で、井の字形に組まれた大アーチを支えている。
どちらも巨大空間ではないにしても、中央の明かり取りを囲むところに柱を立てないで、よくこれだけの曲面を支えられたものだ。
この時代は建築技術が優れていたようで、後世のアクダマル島のガヴィットは中央に4本の柱を立てて明かり取りのドームを支えている。
それがぢのようなものだったか記憶にないのだが、ひょっとするとこんな風だったのではないかと思われるものがある。
これはドーバヤズィット郊外に1784年頃立てられたイサク・パシャ宮殿の9:モスクの隣にある14の部屋にあたる。これは、アルメニア教会のガヴィットに当たる部屋だろう。
もっちも、アクダマル島の教会のガヴィットは、もっと天井が低く、中央のドーム以外の8つの区画は交差ヴォールト天井になっていたらしいが。

※参考サイト
神谷武夫氏のアルメニアの建築 写真ギャラリー

※参考文献
「Aghtamar A JEWEL OF MEDIEVAL ARMENIAN ARCHITECTURE」(Brinci Baski 2010年 Gomidas Institute)

「アルメニア共和国の建築 Out of the Frame」篠野志郎 2007年 彩流社
「トルコ・イスラム建築」飯島英夫 2010年 冨士書房インターナショナル