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忘れへんうちに 旅編に、中央アジア各地の旅に続いて、イランの旅を記載し始めました。
その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2012/05/11

ペンデンティブの起源はアルメニアではない

コンスタンティノープルのアギア・ソフィア大聖堂は、直径31mもの大ドームのある建物だ。537年に完成し、その後地震でドームが落ちて、562年に造り直された。
そのドームの荷重は、ペンデンティブという三画曲面から四隅の柱へと分散されている。
ペンデンティブというそれまでにないものを使って架構するということを最初に行うには、アギア・ソフィアは巨大過ぎるのではないかと思って、他にペンデンティブを用いた建造物を探したことがあった。
ペンデンティブは537年にすでに造られていたので、それ以前に建立された建物から探さねばならなかった。

それについてはこちら

その時、『トルコ・イスラム建築』(2010年)に出版された本で、ペンデンティブの最初のものを知ることができた。
ペンデンティブは6世紀にアルメニアで発明されたという。このドーム架構技法を直ちに用い、ローマで実用化されていたコンクリート技法と融合させて、前例のない構造と規模のアヤ・ソフィアの主ドームが実現されたという。

しかし、それを確かめることができなかったし、アクダマル島のアルメニア教会は915-921年とコンスタンティノープルのアギア・ソフィアからはかなり遅れて造られた教会だ。
アクダマル島の教会は、正方形の四隅の柱からペンデンティブが載っているのではなく、柱の中央を割って8本とし、1つのペンデンティブを2本の柱で支えるという風になっていた。
ところが、アクダマル島への船着き場の売店で買った『Aghtamar A JEWEL OF MEDIEVAL ARMENIAN ARCHITECTURE』(2010年)という本に、初期のアルメニア教会の平面図が載っていた。

マスタラ教会 6世紀
正方形の平面にドームを架構した平面図だが、これはアギア・ソフィアのようなペンデンティブからドームへと移行するのではなく、正方形からスキンチを用いて八角形にし、その上方を円形にする架構法のように思う。
マスタラ教会はアニ遺跡からほぼ東へ27㎞ほどのところにあった。

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しかし、『アルメニア共和国の建築と風土』では、7世紀となっていた。
その上、この写真ではドームが見えない。
同書は、正方形平面の四辺の中央にそれぞれアプスがつき、その上部に半ドームが載る「マスタラ」型の平面形式を採る。
一般的なドームの架構に比べてスキンチを低い位置で用いており、ドームの架構形式の展開を考える上で重要な遺構である
という。

下図を見ると、スキンチを用いて正方形から八角形(緑色)にし、その上で十六角形(柿色)をつくって円弧に導きドームを載せるという方法をとっているようだ。
それならブハラのサーマーン廟の造りと同じではないのだろうか。
このスキンチの使用形式により、初期アルメニア建築で比較的大きなドーム直径(約11m)を有する広がりのある内部空間を実現している。外壁にはギリシャ語による刻印が認められ、ギリシャ人の石工が建設に関与していた可能性を指摘できるという。
内部を見るとサーマーン廟のような方法ではなかった。
写真のため仕方のないことだが、スキンチが平面に見える。
4つのスキンチ・アーチと4つのアプスのアーチとで8つのアーチができ、アーチとアーチの間は角のある面で、ペンデンティブのような曲面ではない。⑧つの角の上にそれぞれ小アーチがのり、8つの小アーチの間には8つの窓が開かれた面ができている。
それで十六角形のドラムができて、その上にドームが載っているということなのだろうが、残念なことにドームの写真がない。
ドームの写真はグーグルアースで見付けた。十六の各面の中央から伸びた畝がドームの頂点に集合している。切石積みのラッブルコア工法だろう。
「マスタラ型」はペンデンティブのドームではなかった。

アルメニアではいつの頃からドームが造られるようになったのだろう。
『アルメニア共和国の建築と風土』は、ドーム架構がどこで産み出されたのかはっきりしない。アルメニアのキリスト教が打ち壊したゾロアスター教神殿にしても、復元案をみると4本の柱の上にドームを載せている。最初期のアルメニアのドームはほぼ正方形の空間に直接ドーム状の屋根を載せたものであったと推定される。そこでは正方形の各辺から曲面が上に向かって伸びていった。そのため、正方形の各隅にはドーム部で隣り合う面が接合することによる稜が表れ、平滑な曲面からなる半球を作り出しているわけではないという。
何となくひしゃがったドームが想像できる。

5世紀とされるパルピのツィラナヴォル教会は、最初期に最も多く建てられた建築様式である単廊式の教会で、創建当初は木造の小屋が架けられていたとみられる。東側を中心に大きく崩壊しているが、おかげで壁断面があらわになっていて、ラブルコアとよばれるアルメニア建築の壁の工法や、ヴォールト架構をみることができるという。
ラブルコアまたはラッブルコア工法についてはこちら
小屋組みの木造屋根で、ドームはなかったようだ。

次の段階では、それまであった長方形平面の教会で改修の際にドームを架けたもので、ドームを支持するために壁から内側に壁柱を付加している。
ゾヴニのスルブ・ポロス=ペトロス教会は、残存する壁面や柱の構成から、5世紀頃に建てられた単廊式教会の内部壁面に、補強として柱が設けられ、その上にドームが付加されたものと推定されている。その後7世紀から13世紀にかけて盛んに建てられるようになるドーム・ホール型教会の原型とも呼べるものという。
5世紀のアルメニア教会は小屋組みのドームのないもので、7世紀以降にドームが取り付けられたということだろうか。
アニ遺跡の司教座付聖堂(987-1010年)がこのドーム・ホール型で、ドームはなくなっているが、ペンデンティブだった。
同聖堂についてはこちら
アルメニアでは、ペンデンティブは7世紀以降にしかないのだろうか。

ドーム架構形式からみたアルメニア共和国の初期教会堂の系譜 : アルメニア共和国におけるキリスト教建築の研究 1という論文(2002年)は5世紀の文献ではアルメニア古語でドームに相当するgmbetという用語が現れることから、この時代までにはドーム架構が一般化したと捉えることができる。ハチャトリアンは、5世紀前半のヴォグジャベルドの遺構において、単廊の教会堂の上部にスキンチを介して直接ドームを載せた事例を報告している。こうしたアルメニアのドームはリブを用いず、ドーム面に石を積み上げる形式である。こうしたことから、5世紀には共和国内教会堂において、スキンチを用いた石造によるドーム架構の形式が採用されていたと推定できる。
初期共和国内教会堂のスキンチは、ペンデンティブのようにアーチ間入隅の三角面に用いるのではなく、むしろ木造の井桁を段階的に張り出し円錐形の天井を構成する手法を援用したものとも解釈できる。
こうした木造の井桁をずらしながら積み上げ擬似ドームを構成する手法は、伝統的なアルメニアの住宅でかつては一般的に使用されていたという。
井桁を45度ずつずらして、上に積み上げていくというのはラテルネンデッケと同じだ。
そう言えば『アフガニスタン遺跡と秘宝』は、ラテルネンデッケの天井とは、方形の天井の四隅に斜めに梁木を架して、ひとまわり小さい方形の枠を作り、それを積み重ねることによって中心を上に向かって次第に狭めてゆき、最も小さくなった中心頂にドームを載せるのである。方形を直角に交叉させるため、隅に三角形ができることから、「三角隅持送り天井」と呼ばれている。現在、アルメニア、パミール、ヒンドゥクシュの山中やカシュミール地方の木造家屋など、一般の民家でもこの天井がみられるとしていた。
アルメニアの住宅でもラテルネンデッケを幾重にも積み上げて円錐形にした天井があったのだ。
それなら、エルズルムの古民家レストランでも見かけた。テュルク系が西漸する過程で会得した木造屋根ではなく、アルメニアの民家風だったのか。
7世紀における共和国内教会堂のペンデンティブは、既にビザンツ帝国での6世紀の遺構と同様の形式で用いられている。特に、四角形平面の多角形化という建築構成要素としてスキンチと同様の役割を持つが、共和国内教会堂のペンデンティブはスキンチと用いられる建築の位置が異なっている。
ペンデンティブは周辺地域の使用より1世紀の遅れがあること、使用法が適正であること、異なる架構形式が認められないこと等から、完成した形式として用いられたといえる。すなわち、アルメニアに外部から移植された架構形式である可能性が極めて高いという。 
結局アルメニア教会のペンデンティブは、外来の技術だった。
ということで、アギア・ソフィアに見られるペンデンティブがどこからもたらされたものかはわからなかった。
ひょっとして、数学者だったというトラレスのアンテミオスとミレトスのイシドロスが作り上げた技術だったのかも。

関連項目
11世紀に8つのペンデンティブにのるドーム

※参考サイト
ドーム架構形式からみたアルメニア共和国の初期教会堂の系譜 : アルメニア共和国におけるキリスト教建築の研究 1

※参考文献
「トルコ・イスラム建築」飯島英夫 2010年 株式会社冨山房インターナショナル
「Aghtamar A JEWEL OF MEDIEVAL ARMENIAN ARCHITECTURE」Brinci Baski 2010年 Gomidas Institute
「アルメニア共和国の建築と風土 Out of the Frame」篠野志郎 2007年 彩流社
「東アナトリアの歴史建築 Stone Arks in Oblivion」篠野志郎 2011年 彩流社
「ビザンティン美術への旅」赤松章・益田朋幸 1995年 平凡社 
「アフガニスタン遺跡と秘宝文明の十字路の五千年」(樋口隆康 2003年 NHK出版)