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忘れへんうちに 旅編に、中央アジア各地の旅に続いて、イランの旅を記載し始めました。
その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2011/12/27

第63回正倉院展4 緑色に染める

ところが、碧地金銀絵箱と同じように、緑色系のものは「碧」という文字がなかった。

御袈裟箱袋 おんけさのはこのふくろ 北倉 長178.0幅54.0
同展図録は、表は霞襷魚鳥文臈纈絁、裏は浅緑絁を用いて、それぞれ2幅ずつ継いだものを袷せにして風呂敷風に四角く作り、対角を繰り返して縫い綴じている。破損が無く文様が色鮮やかに残り、宝庫の染織品の中では保存状態が最も良いものの一つであるという。
「碧」は緑ではなく、青色系を示す文字のようだ。
臈纈文様は、白の霞襷文の中に黄の濃淡の魚・鳥文を置き、地を緑に染めている。溶蠟を裂地に置くのは、スタンプ捺しの方法による。金属製の凸版型が用いられたと考えられている。染色の順番は、絁を薄い白茶に染めて、霞襷を蠟捺し、裂地全体を薄い黄色に染めて、霞襷の枠の中に魚・鳥文を一つ飛ばしに蠟捺し、裂地全体を黄色に重ね染めして、霞襷の枠内の空いた部分に魚・鳥文を蠟捺しして、最後に裂地全体を藍で染めているという。 
自然界には様々な緑色で溢れているのに、染色するには、現在でも先に黄色に染めて、それを青で染めないと緑色には染めることができなかったのか。
NHKの『新日曜美術館』で、聖武天皇が着用した袈裟を紹介していた。

七条織成樹皮色袈裟 しちじょうしょくせいじゅひしょくのけさ 北倉 縦139幅245
袈裟は仏教の僧侶が身につける衣服の一つで、、「濁った色」という意味のサンスクリット語「カーサーヤ」の音写である。端布を寄せ集めて作ったもの(糞掃衣)が本義とされ、出家者が日常身につける粗末な衣服であったが、仏教の東漸に伴い仏教者を象徴する意味を持つものとなり、華美なものも作られるようになった。
この袈裟は、7枚の裂を横に並べて継ぎ合わせた七条袈裟で、紺綾(こんのあや)の裏地がつく。七条の裂は、全体に淡い樹皮色を呈しており、まるで小さな端布を縫い綴ったようであるが、これは織成と称する特殊な織りの技法で文様が表されているからであるという。
7枚の裂の繋ぎ目に、裏地と同じく紺綾の裂が使われている。「碧色」ではなく「紺色」だ。
同番組では、藍は奈良時代に中国から日本にもたらされた染料と言っていた。
その織り方は、文緯(もんぬき)と地緯(じぬき)の糸を一越交替に織り入れた、平組織の織物である。文様を表す文緯は、織り幅の全体には通らずに文様の部分だけに綴織で織られており、紺・緑・黄・白・茶・赤などの絹糸を撚り合わせた杢糸を用いて、樹皮色の斑文様を表現するという。
このような様々な色が配されたものを「樹皮色」と呼ぶのも面白い。しかし、「樹皮色袈裟」は、少し違うものだったが、数年前に出陳されていた。正確には、「七条刺納樹皮色袈裟」と呼び、今回のような1枚の織物ではなく、不規則な形に切って重ね細かく刺縫いしたものだった。

また、複雑な織り方をしているので、拡大しても、どれが緑色とは見分けられない。
NHKでは、カリヤスという草を使って黄色に染めた後、藍で染めると緑色になると言っていた。
市の歴史講座「仏教の信仰と美術」で、毎回熱心に話をされる奈良博の西山厚氏によると、黄色はカリヤスだけでなく、キハダなども使われる。現代でも、緑色に染めるには、黄色に染めてから青色に染めないと、緑色には染まらないという。
正倉院展では、文様、様々な織り方など、古代の技巧を凝らした染織品を見るのも楽しみの一つだが、今回は緑色は黄色・青色と2段階を経ないと染まらないというのが一番の驚きだった。

※参考文献
「第63回正倉院展図録」(奈良国立博物館編集 2011年 財団法人仏教美術協会)
「新日曜美術館 天平の色 きらめく宝物 ~第63回正倉院展~」(NHK 2011年11月6日放送)