お知らせ

忘れへんうちに 旅編に、中央アジア各地の旅に続いて、イランの旅を記載し始めました。
その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2011/08/09

ドームを壁体ではなく柱で支える

ドームはササン朝ペルシアよりもローマの方が早かった。しかし、ローマのドームは円形の平面に架構するもので、ササン朝ペルシアの四角形平面からスキンチを用いてドームを架構する方が、コンスタンティノープルのアギア・ソフィアのペンデンティブを用いたドームに近いのではないかと思ったが、イラン各地に残る遺構からはペンデンティブというものを見つけることができなかった。
スキンチを用いたドームは、正方形の平面に八角形を造り、その上を水平面が円形になるようにしてドームを載せるという方法で造られた。
一方ペンデンティブは正方形壁面の各辺にリュネット状のアーチを造り、その上にドームの直径の大きさに円を置く。そうすると四隅にアーチと円の隙間ができる。それをペンデンティブというのだが、日本語では適当な訳語がないので、便宜上私は三角曲面と呼んでいる。
アギア・ソフィア聖堂は、正方形平面の各隅にある4本の太い柱(ピア)から、ペンデンティブを造ってその上にドームを載せている。
それは円形の平面に円形のドームを載せたパンテオンとは全く異なる構造だ。一体アギア・ソフィアのようなドームの架構法はどのようにして生まれたのだろう。

『世界美術大全集5古代地中海とローマ』は、パンテオンは共和政後期以来のドーム建築の構法上および意匠上にたどり着いた一つの到達点であるが、むしろハドリアヌス帝以降ドーム建築はその発展の新たな段階へ進むことになる。ハドリアヌス帝時代には、まずドームの意匠が多様化する。ティヴォリのハドリアヌスの別荘において、小浴場のドームは凹面と凸面が交互に並ぶ壁の上に架かり、ピアッツァ・ドーロの入口の建物(ウェスティブルム)やカノプスのセラピス神殿では傘形のドームが、大浴場では交差ヴォールトを使ったドームが架かっているという。
ハドリアヌス帝は、ローマのパンテオンを再建するにあたって、完璧な半球状のドームを架けながら、自分の別荘には様々なドームのヴァリエーションを架けていたのだ。

ピアッツァ・ドーロの入口は傘形のドームということだが、確かにドーム部に放射状に凹凸がある。
大浴場の交差ヴォールトを使ったドームというはどんなだったのだろう。
真@tokyoさんの旅行ブログハドリアヌスの別荘(ヴィッラ・アドリアーナ)その3遺跡の建築群に様々な角度から大浴場を眺めた写真があり、参考になった。ドームは確かに交差ヴォールトだった。頂部には小さな円形のようなものがあって、これまで見てきた浴場や、パンテオンのような明かり取りのオクルスがない。
というよりも、4方向からのヴォールトが交わる位置に開口部を造ると崩壊してしまう。明かり取りの穴を造ることなどできなかったのだ。
そして、四壁の四隅には白い石で起拱点をつくり、その上に架構しているように見える。

小さな交差ヴォールトならコロッセオ(後75-80年)にもあった。コロッセオはたくさんの観客を短時間で入出場させるための工夫が凝らしてあるということだったが、ここでも交差ヴォールト天井の通路ではなく、角柱にして、前後左右に移動できるようになっていた。そのために交差ヴォールトという架構法が考え出されたのかも。
ヴィッラ・アドリアーナの大浴場のドームは、これを大きな平面の上に架構したことになる。
その後ローマ帝国でドームはどのようになっていったのだろう。

後4世紀初期に建てられたローマの通称ミネルウァ・メディカ神殿では、十角形の平面にドームが架かり、入口を除く9辺には半円形の壁龕がついている。中央のドームの架かる部屋の2層部分にはこれまでにない大きなアーチ窓が開いているという。
またドーム建築そのものも後3世紀以降、構造的な進化を遂げた。アンフォラなどの内部が空洞の容器を壁に埋めこんだり、より軽量の材料を用いることで壁体を軽くし、アーチによる大きな開口部を設けることが一般化した結果、ドームを形成する壁体は内部空間を包む被膜のようになっていったという。
パンテオンのドームは、ローマン・コンクリートを用いて薄く軽量に造られたが、窓を開けることまではできず、頂部に直径9mもあるオクルスという明かり取りの開口部があった。
ミネルウァ・メディカ神殿では壁体をより軽量化することによってドームにたくさんの窓を開けることができるようになったというわけだ。
ミネルウァ・メディカ神殿は、明け方にバスで前を通った。こんなところにも八角形らしき遺構がある。初期キリスト教会だろうか、墓廟だろうかなどと思ったが、十角形だったととは。

大きな地図で見る

テッサロニキのガレリウスの墓廟(4世紀初頭)のように、ドーム曲面の曲率も単純ではなく、異なる曲率の曲面を重ねた構法が出現した。例えば二段に重なるドームからなるガレリウスの墓廟では、上に載るドームの直径は19mであるのに対し、下方のドームの直径は24.15mであるという。
ガレリウスの墓廟は一般的にはロトンダと呼ばれていて、現在ではアギオス・ギオルギオス聖堂となっているらしい。

大きな地図で見る 

パンテオンにおいて共和政以降のドーム建築が一つの到達点に達したように、後2世紀以降のドーム建築に見られるこうした内部空間の流動化、ドームの軽量化、開口部の拡大、異なる曲率のドームを組み合わせる構法といった傾向がたどり着いた到達点がイスタンブール(古名コンスタンティノポリス)のアギア・ソフィアであるという。
これらの上から見た画像を眺めていると、大きなドームを載せるには、アーチで荷重を分散させることを多用しているようだ。
墓廟の1階部分のアーチとアーチの間にも小さなアーチがあって、壁体で支えるドームから柱で支えるドームへと移行していく様子がわかる。
しかし4世紀初めといえば、ドームを円柱で支えた建物があった。

それはローマのサンタ・コスタンツァ廟で、円形ドームの周囲に12組の円柱が巡っている。
小さいながら、上空から眺めると上の2つの建造物と形は似ている。
サンタ・コスタンツァ廟について詳しくはこちら    

大きな地図で見る

しかし、これらはやっぱり円形平面にドームを架構しているので、正方形平面にペンデンティブを使ってドームを架けることには繋がらない。

※参考サイト
真@tokyoさんの旅行ブログハドリアヌスの別荘(ヴィッラ・アドリアーナ)その3遺跡の建築群

※参考文献
「世界美術大全集5 古代地中海とローマ」(1997年 小学館)