お知らせ

忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2011/03/22

ポンペイ悲劇詩人の家(Casa del Poeta Tragico)、タブリヌムの舗床モザイク

悲劇詩人の家のタブリヌムには舗床モザイク(mosaico pavimentale)があった。
『完全復元ポンペイ』は、この家は、執務室の床を飾るエンブレーマに、役者、楽士、舞台セットなどの演劇のようすがえがかれていたことにちなんで、「悲劇詩人の家」と名づけられた。家の所有者はおそらく、前80年以降にポンペイに入植した一族のひとり、P・アニニウスと思われるという。
タブリヌムは、本によって応接間あるいは執務室と訳される。

このモザイク画は有名なので、いろんな本に載っている。色が鮮やかなので、色ガラスを用いた壁面モザイクかと思ったりした。舗床モザイクは石のテッセラを使うので、この青い色も石のようだ。上の棚の金属器や、イオニア式円柱の間の丸い盾と葉綱などが金色に見えるが、それも黄色っぽい石なのだろう。
床の装飾に用いられていたモザイク画というものが、何時から壁面を飾るようになったのかは知りたいことの一つだが、色石から色ガラスのテッセラになっていった過程というのもつきとめたい。

ポンペイで、第1様式の家として有名な㊴ファウヌスの家(Casa del Fauno、ファウノの家とも)は⑲悲劇詩人の家と同じ並びでもう少し東にある。
ファウノの家のアトリウムにあるの雨水だめの色彩は非常に鮮やかだ。
『完全復元2000年前の古代都市ポンペイ』は、雨水だめの北側にあった大理石の台座の上で、踊るファウヌス(牧神)のブロンズ小像が発見されたことから、「ファウヌスの家」と呼ばれている。現地にあるのはレプリカだが、誤って雨水だめの縁ではなく中央の台座に置かれているという。

家の床面積は約3000㎡。1軒でインスラ全体を占めるポンペイでも最大の個人邸宅である。今日目にする大半は前2世紀前半(前180-170)のもので、前2世紀末には、大々的な改築が行われている。
アトリウムの中央には、パロンビーノ大理石に縁取られた美しい雨水だめがあり、水盤の底もダイヤモンド形のスレート、パロンビーノ大理石、色つきの石灰岩を組み合わせたオプス・セクティレで飾られていたという。
説明にはガラスという言葉がない。このように鮮やかな色の石が手に入ったようだ。

オプス・セクティレとは何だろう。
モザイク床には、ピラミッドの先端を切りとった形の大理石のほか、石の小片やねりガラスも使われた。
最もシンプルな技法は、大きめのテッセラを使っておもに幾何学模様を描くオプス・テッセラトゥムである。絵をえがく場合は、しばしば1㎝四方を下まわる細かいテッセラが使われた。この技法はオプス・ウェルミクラトゥムとよばれる。完成したモザイク画はおもに床の中央に置かれ、エンブレーマとよばれた。もう一つ、四角形や円形の内側を彩色大理石で埋め尽くし、エンブレーマとする技法もあり、オプス・セクティレとよばれているという。
床にも色ガラスのテッセラが使われることもあったようだが、この雨水だめには使われていないらしい。ひょっとして、この鮮やかな色彩は、石を染めたのだろうか。

『ポンペイ 今日と2000年前の姿』は、玄関にあるアトリウムはトスカーナ風で、真ん中に水槽があり、その底にみえる色の付いた大理石で作られた幾何学模様の象眼細工が美しいという。これでは色大理石なのか彩色した大理石なのかわからない。
『ポンペイの遺産』は、青銅像のある大広間は古くからある大邸宅の名残で、色違いの大理石をちりばめたようなギリシア様式になっているという。 
ここでは色大理石と言っている。彩色されたのなら、壁画同様色が褪せているはずだ。 

※参考文献
「ポンペイの遺産 2000年前のローマ人の暮らし」(青柳正規監修 1999年 小学館)
「ポンペイ 今日と2000年前の姿」(アルベルトC.カルピチェーチ 2002年 Bonechi Edizioni)
「完全復元2000年前の古代都市 ポンペイ」(サルバトーレ・チロ・ナッポ 1999年 ニュートンプレス)