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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2010/05/25

彩釉煉瓦の黒い輪郭線


スーサ出土の彩釉レンガ(前522-486年)は青い輪郭線が盛り上がっていた。スーサのダリウス宮殿の彩釉レンガはバビロニア風と言われている。バビロン出土の彩釉レンガ(前580年頃)は線が黒かった。
輪郭線を盛り上げるのはアケメネス朝ペルシアの新しい技術かも知れないが、メソポタミアでは黒い輪郭線のある彩釉レンガは他にも見られる。   

人面鳥身 彩釉煉瓦 イラン、ブーカーン出土 前8世紀 34.5X34.5㎝ 松戸市立博物館蔵
『砂漠にもえたつ色彩展図録』は、ブーカーンはイランの北西部、西アーザルバーイジャーン州に位置する遺跡で、山岳地帯に侵入してきたイラン人の一部族であるマンナイ人が建てたマンナイ王国の都と推定されており、発掘調査によって神殿址の存在が知られるようになった。黒色の線で縁取りした後、青や黄色、白の釉薬で埋めて文様を描き出している。図柄そのもの及び筋肉表現などにアッシリア美術の影響が強く認められる。
施釉煉瓦の胎土は、後にスーサで製作された施釉煉瓦の石英質の胎土とは異なり、ごく普通の煉瓦の胎土が選ばれている。そのため釉薬が胎土とあまりなじまず、釉薬のほとんどが剥落してしまっているという。
剥落部分から黒い輪郭線とは別に下書きの線が見えて製造過程がうかがえる。 
世界のタイル博物館蔵アッシリア出土の施釉レンガ(前8-7世紀)に似たものもブーカーンで出土しているが、ここまでひどい剥落は見られない。 
壁飾りタイル 施釉ファイアンス イラン、スーサ出土 前8世紀頃 高18㎝幅20㎝ ルーヴル美術館蔵
エラム新王国時代にはスーサにインシュシナク神殿が再建され、多彩色の釉薬をかけたタイルや動物の頭部をあしらった建築装飾、容器などファイアンス製品(初期施釉陶器)に見るべきものが残されている。エラム中王国時代(前1500-1000年)に発展した壁飾りタイルの伝統を引くもので、鷲の脚をもつ怪獣がライオンを押さえている図像が描かれている。色釉が混じらないように黒の輪郭線を施す技法は、この時代のアッシリアからイランにかけて広く見られるものであり、アケメネス朝ペルシアの彩釉レンガの技法の原点となるものであるという。
スーサではファイアンスの胎土は前8世紀にすでに用いられていた。スーサに限らず、メソポタミアの広い範囲で、このような彩釉レンガが製造されていたようだ。
黒い輪郭線は色釉が混じらないための工夫だったのだ。
弓と杯を手にする王 彩釉レンガ イラク、ニムルド出土 前865年頃 高30㎝ 大英博物館蔵 
アッシュルナツィルパル2世が、廷臣を従えて儀式を行う場面を表現した彩釉レンガ。王と廷臣が身につけた優雅な衣装は、ロゼット文の装飾と裾に房飾りが施された儀式用の長衣である。儀式は天幕の下で執り行われており、護衛のためかヘルメットをかぶった兵士が画面右手に控えている。彩釉に使われた顔料には現在、黄、黒、緑色が認められるが、緑色に見える部分は本来赤色であった可能性が高いと考えられている。レンガの下辺と上縁部には、ギローシュ(縄編文)で縁取りが施されているという。
ギローシュとは組紐文である。上のスーサ出土彩釉レンガにも同様の帯文様が見られる。
色釉がほとんど残らないのは胎土が土だからか。
輪郭線や髪・ひげなど、黒で描かれたところはしっかりと残っている。黒色はマンガン鉛(『世界美術大全集東洋編16西アジア』より)らしい。 
アッシュール、神殿前面を飾る彩釉煉瓦積みパネル 前12世紀
『砂漠にもえたつ色彩展図録』は、神殿建築の外観に、別の方法でアッシリアは色彩を求めようとした。色絵陶器のごとく釉薬を用いて焼きあげた煉瓦を、ジグソウパズルのように組みあげることだった。彩釉煉瓦を日干し煉瓦壁の表面仕上げに採用した最古の例は、アッシリアの古都アッシュールの主神殿にある。神殿正面に造り付けられたベンチ状の張り出しに、アッシリアの軍隊が山道を行く光景を描いた。銘文があるので、前12世紀の作品とわかる。後の修復時に正しく積みなおされず一部の絵柄が不連続になったのは何とも珍妙である。輪郭線に用いた黒のほかに、白、淡青、濃青、黄、緑といった色使いがあり、釉薬の効果を見事に発揮した。すでに長い経験を経た完成度を感じさせる作品であるという。
現在のところ、これが最古の彩釉レンガらしい。色釉の剥落が見られるので、ファイアンスではなく土の胎土のようだ。
また、上の3点は薄く面積の広いレンガだが、スーサ出土彩釉レンガ(前522-486年)のように、小さなレンガの小口に彩釉し、それを並べて1つの文様に仕上げるということが前12世紀にすでに行われていた。しかも、完成度が高いということなので、もっと以前からこのような壁面装飾が存在したようだ。  
色釉がまじらないようにマンガンで黒い輪郭線を施す技法は紀元前にメソポタミアで広く見られる技法だった。
14世紀後半から15世紀初期に中央アジアで発達したクエルダ・セカも、マンガンに油脂を混ぜた溶液で描かれた太い黒色の輪郭線(『世界美術大全集東洋編17イスラーム』より)で色釉が混じらないようにしていた。クエルダ・セカと紀元前の彩釉レンガにはどのような違いがあるのだろうか。

『イスラームのタイル』は、古代帝国の消滅とともに彩釉レンガを使う習慣も途絶えた。
1000年以上の間隔をおいて、イスラーム時代に再び彩釉レンガ・タイルが使用されるようになったという。
マンガンを使った黒い輪郭線で色釉が混じらない工夫は前12世紀よりも以前にメソポタミアで広く行われてきた技法だが、それが14世紀後半-15世紀初期に中央アジアで用いられるまで、連綿と続いた技法ではなかったようだ。    

※参考文献
「砂漠にもえたつ色彩 中近東5000年のタイル・デザイン展図録」(2001年 岡山市オリエント美術館)
「世界美術大全集東洋編 16西アジア」(2000年 小学館)
「聖なる青 イスラームのタイル」(INAX BOOKLET 1992年 INAX出版) 
「世界美術大全集東洋編17 イスラーム」(1999年 小学館)