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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2010/05/14

世界のタイル博物館7 輪郭線のある施釉レンガ


世界のタイル博物館にはメソポタミアの施釉レンガも展示されていた。「四大文明 メソポタミア文明展」で見たよりも古いものだ。


施釉レンガ アッシリア出土 前8-7世紀 332X327X80 世界のタイル博物館蔵
アッシリアは北メソポタミアに興った国だが、そのどこで発見されたものか不明。
かなり細かい輪郭線まで丁寧に描かれている。人面有翼牡牛像(ラマッス)を表している。レンガに黒い線で輪郭を描き、剥落した部分もあるが、白・黒・緑・黄の色釉がほぼ滲まずに焼けているようだ。背景の緑色にまだらに白い釉薬が掛かっているようにも見える。 
施釉レンガ イラン、ジウィエ出土 前8-7世紀 164X340X93 世界のタイル博物館蔵
『世界美術大全集東洋編16西アジア』は、クルディスタン地方サッケズの東南に位置するジヴィエ遺跡は初期鉄器時代3期(前8-7世紀)の城塞と墓地からなる遺跡である。
この遺跡をアッシリアのサルゴン2世(在位721-705)の遠征記録に出てくるマンナイ人の城塞ズィヴィアに関連づけるフランスの考古学者A.ゴダール博士の説がもっとも妥当と考えられている。「列柱の間」と呼ばれる建物は礎石の上に木柱が並び、壁はアッシリア的な釉薬タイルで装飾されていたという。   
広い面と狭い面の2面に彩釉されているので、隅に使われたものだろう。
色釉が滲む以前に、黒い輪郭線自体がゆらゆらとはみ出している。まさか輪郭線をこのように歪めて描き色釉を掛けたとも思えない。焼成中に全体に動いたのだろうか。その割に色釉は混じっていないようだ。
その上、同心円文やロゼッタ文といった文様も揃っていない。このような失敗作としか思えないような彩釉煉瓦さえ、列柱の間に用いられる程当時は珍しく貴重なものだったのだろう。 
どちらも黒い輪郭線が用いられていた。ジヴィエとアッシリアは地理的には近い。アッシリアの技法がマンナイ人に伝わったのだろう。

スーサのダレイオスⅠ宮殿の彩釉レンガ(前522-486年)には青い輪郭線が使われていたので、青い輪郭線よりも以前に黒い輪郭線で色釉の滲まないものがあったことになる。

※参考文献
「世界のタイル日本のタイル」(世界のタイル博物館編 2000年 INAX出版)
「砂漠にもえたつ色彩 中近東5000年のタイル・デザイン展図録」(2001年 岡山市オリエント美術館)  
「世界美術大全集東洋編16 西アジア」(2000年 小学館)