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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2010/04/16

イスラームにもガラスモザイク


 
ガラステッセラを意図的にバラツキをたせる施工をしたという点で思い出したのが、コルドバのメスキータである。それは、ミヒラーブのガラスモザイクは職人の力量が劣っていたため、平坦に仕上がってしまったというものだった。残念ながらどの本の文なのか見つけることができないでいる。

ミヒラーブのモザイク コルドバ、メスキータ 961年 スペイン 
『世界美術大全集東洋編17イスラーム』は、ミヒラーブと2つの戸口の周りの壁面、ミヒラーブ直前の最も重要なヴォールトの表面を飾るモザイクは、それまでイベリア半島ではほとんど知られていない装飾技術であった。マグリブの歴史家イブン・イザーリー(13世紀後半-14世紀初)によれば、ハカム2世はビザンティン帝国皇帝に書簡を送り、ダマスクス(シリア)の大モスクに見られるようなモザイク装飾を造ることのできる、すぐれた職人を求めたという。 
モザイク片は1片が約1㎝の立方体で、その多くはガラスであるが、一部に石灰石と大理石を含む。ガラスの間に金の薄片を挟んだ金のモザイク片は、とくに多用されている。建築家によってモザイク職人に与えられた複雑な形の表面を、うまく考慮してモザイクの背景の色彩が変化させられている
という。
この図版だけではバラツキがあるのかないのかわからないが、もし平坦に仕上がっているのだとすれば、当時のビザンティン皇帝があまり腕のよくないモザイク職人を送ったか、腕の良い職人にわざと平坦に施工させたかだろう。 ミヒラーブ上部の多弁アーチ内にも植物文のガラスモザイクがある。そう言われるとアヤ・ソフィアのアヤ・ソフィア南玄関上のリュネット(10世紀末)よりもバラツキが少ないようにも見えるなあ。
同書で桝屋友子氏は、金彩ガラスを含む多色のモザイクで描写された植物は、2世紀前にウマイヤ朝カリフが同じくキリスト教徒に造らせたダマスクス大モスクのモザイク装飾を想起させる。これは、後ウマイヤ朝カリフが意図的に祖先の行為を再現し、祖先の記念碑的建築物の装飾を復元したためであるという。 そんなことも知らずに10年数年前にウマイヤモスクを見学していたのだった。

モザイク外壁 ダマスクス、ウマイヤ・モスク ウマイヤ朝(705-715年) シリア
ウマイヤ朝の首都ダマスクスの大モスクは、715年にキリスト教聖堂の一部を改築して完成した。父帝アブダル・マリクに次いで、造営事業に熱心であったワリードⅠ世(在位705-715年)は、ダマスクス大モスクの装飾にあたり、「岩のドーム」の荘厳なモザイク装飾に遜色のない豪華なモザイクを施した。
「岩のドーム」と同様に金色を基調としている。しかしモザイクで表現されたモティーフは、「岩のドーム」とはかなり違っている。大モスクの主要モティーフは、家屋と樹木である。家屋はあたかも実存する町並みを表現しているかのように写実的であり、モザイクは精緻なグラデーションで陰影が明確にされ、また遠近法も用いられている。
色調は金地に緑が基調色で、濃淡による多数の緑の色調が巧みに使い分けられている
という。
ウマイヤ・モスクもまた手本とするモザイク壁画があったのだ。全体に金地がのっぺりしているように見えるのは後世の補修部分が多いためだが、、8世紀初期というとビザンティンでは残っていないイコノクラスム以前のモザイク壁画である。 中庭回廊の外壁にも一面にガラスモザイクが施されている。金地のバラツキはあるように見える。 
コルドバのメスキータにはこのような写実的な表現が乏しく、植物をあまりにもデザイン化してしまっているように感じる。それはモザイク職人の力量というよりも、年代の違いかも知れない。
イスラームの方が写実的な表現よりもデザイン化された植物文様を好むようになったのか。或いはビザンティンの方がイコノクラスム以前は写実的な表現をしていたが、以後は写実性のある表現を求めなくなっていたのか。 「岩のドーム」のモザイク エルサレム 687-692年 イスラエル
アブダル・マリクは692年に、エルサレム(イスラエル)に「岩のドーム」(クッバトッサハラ)を建設した。
内部の壁面は、イスラームを象徴するに相応しい金色を主体とした豪華なモザイクで、美しく装飾された。装飾モティーフには、ビザンティン様式の宝石飾りのある花瓶や杯、王冠、コプト様式の葡萄唐草、サーサーン朝様式の翼や合成植物文様など、さまざまな美術の影響が見られる。しかし、それらの複数の異文化に属する文様は巧みに構成され、新しいイスラーム世界独自の文様に変容している
という。
コルドバのメスキータもダマスクスのウマイヤ・モスクもイスラームの工人ではなくビザンティンのモザイク職人によって造られたが、それに先行する「岩のドーム」は誰の手によって造られたのだろう。
モティーフにはコプト様式やサーサーン朝様式が組み込まれているかも知れないが、ガラスモザイクという壁面装飾はコプトやサーサーン朝にはなかったように思う。第5代カリフアブダル・マリクが使用されるモティーフについて注文をつけたのかも知れないが、施工はビザンティンのモザイク職人だったのではないだろうか。 さて、「岩のドーム」の金地のバラツキだが、あまり拡大した図版がないので、金ぴかの補修部分と比べると、バラツキはあるのかなという程度にしかわからない。
バラツキはともかく、エルサレムの「岩のドーム」、ダマスクスのウマイヤ・モスク、コルドバのメスキータのモザイク壁画に共通するのは植物文様だけではなく、金色と緑色という組み合わせだろう。

※参考文献
「芸術新潮 全1冊スペインの歓び」 2004年 新潮社
「世界美術大全集東洋編17 イスラーム」 1999年 小学館