西側へと回る。墓壙壁という札のある部分は他のところよりも白っぽい。
白い色の土を盛ったのですか?
元々あった山の岩盤です。茶臼山古墳は山を利用して造ってあるので、ある部分は岩盤を掘り下げて、足りない部分は土を盛り上げて後円部が築かれたのです。天井石は二上山から運ばれました
更に研究員は、岩盤がどういう岩か説明してくれたが、忘れてしまった。自然の地形を利用した方が土を盛り上げるよりも造りやすかっただろう。

前方後円墳は、埋葬は後円部に、祭祀は前方部で行われたといわれていたのでは。
先ほどの布掘り掘り方の溝で少し姿を現していた壺のことだ。前方部の説明板にあった平面図は調査区と石室・方形壇というタイトルだった。この見学用通路の外側に布掘り掘り方がめぐり、壺が並んで、その内側に方壇があっのだ。

中国で見た版築の層は一定の高さに積み重ねてあったが、どうも日本の版築は適当なように思うなあ。

切り通しというのはこの窪みのことだろうか。
前方後円墳は後円部に埋葬され、前方部で祭儀が行われたと思っていたが、どうも祭儀は墓室の上で行われ、前方部は石室を造る資材の搬入路に過ぎなかったようだ。


見学者たちが立ち止まって見ているのは説明パネルです。


※参考文献
「桜井茶臼山古墳の調査」(2009年 奈良県立橿原考古学研究所)