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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2010/01/22

桜井茶臼山古墳見学会4 前方部は資材の搬入路?


西側へと回る。墓壙壁という札のある部分は他のところよりも白っぽい。
白い色の土を盛ったのですか?
元々あった山の岩盤です。茶臼山古墳は山を利用して造ってあるので、ある部分は岩盤を掘り下げて、足りない部分は土を盛り上げて後円部が築かれたのです。天井石は二上山から運ばれました
更に研究員は、岩盤がどういう岩か説明してくれたが、忘れてしまった。自然の地形を利用した方が土を盛り上げるよりも造りやすかっただろう。 粘土による被覆の後は、墓壙の上部を埋め、さらに周囲より高く土を盛り上げて、方形の壇を築いています。その規模は、南北長11.7m・東西幅9.2mを測り、高さは1m未満と推定されます。壇の上面は、板石と円礫で化粧し、縁近くに体部を半ば埋めた二重口縁壺が並んでいたようです。また壺の内側の広場では、火を使用した儀礼のおこなわれたことが、周辺に流れおちた炭から推定されますという。 
前方後円墳は、埋葬は後円部に、祭祀は前方部で行われたといわれていたのでは。
先ほどの布掘り掘り方の溝で少し姿を現していたのことだ。前方部の説明板にあった平面図は調査区と石室・方形壇というタイトルだった。この見学用通路の外側に布掘り掘り方がめぐり、壺が並んで、その内側に方壇があっのだ。  粘土による被覆というのは、版築で粘土を突き固めながら盛りあげたということだろう。北辺に版築の層が見られる。こちらは岩のない部分だったようだ。
中国で見た版築の層は一定の高さに積み重ねてあったが、どうも日本の版築は適当なように思うなあ。 墓壙の南辺西半部は、切り通しのように掘り下げられ、前方部から続く作業道となっています。石室に用いられた石材や木棺は、そこから運び込まれたのでしょうという。
切り通しというのはこの窪みのことだろうか。
前方後円墳は後円部に埋葬され、前方部で祭儀が行われたと思っていたが、どうも祭儀は墓室の上で行われ、前方部は石室を造る資材の搬入路に過ぎなかったようだ。  見学用通路の最後の角の外側に天井石が並んでいた。平たい板状に割れ易い石のようだ。 見学用通路を一周すると柵があってもう一周することはできない。一方通行になっている階段と前方部へ。
見学者たちが立ち止まって見ているのは説明パネルです。 前方部にあった写真パネルの中に、木棺を搬出する様子がたくさんの画像で示してあった。最後にスロープから下ろす場面があったので、やっぱり前方部に上がる時に使ったスロープだと確信したが、今見ると下は道路になっているので別の場所のようです。 画像の中には、前方部にあった写真パネルを撮ったものもあります。

※参考文献
「桜井茶臼山古墳の調査」(2009年 奈良県立橿原考古学研究所)