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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2009/12/11

対偶文の起源は中国?

 
対偶文という文様は中国的なものではないかと思う一方で、生命の樹に両側から草食獣が前脚を掛ける場面が浮かんできたりもする。中国では5世紀よりも前に対偶文はあるのだろうか。

騎士対獣文錦 経錦 アスターナ101号墓出土 5-6世紀 新疆ウイグル自治区博物館蔵
『中国★美の十字路展図録』は、渦巻文の円環の中に動物を主題とした文様を配し、円環の連接部分を大輪の花で飾っている。円環内には、白象、騎馬狩猟、獅子、駱駝が表され、瑞雲、獲物の鹿、香炉なども織り込まれている。円環外の空間は、馬や龍のような文様が配されている。なお、この錦の上端に織耳が残っていることから、経糸方向に上下打返しによって連続文様を織り出していることがわかるという。
アスターナ北区302号墓(663年頃)出土天馬文錦 やアスターナ北涼敦煌太守墓(455年)出土の動物幾何文錦のように、色の薄い縞がある。
上下左右の大きな花文は蓮華にも見えるが、このように連接部に花文があるのは連珠円文よりも先に見られる。中国的な要素だったのだろうか。
連珠孔雀文錦(北朝時代、高昌時代説も、5-6世紀)とほぼ同じ頃に制作されて、騎乗する馬や、鹿の表現が似ている。
連珠円文と渦巻円文が同時期にあるのは、連珠円文の錦が作られ始めた時期を示しているようだ。連珠円文が描かれている人物故事図漆絵木棺や亀甲繋文が連珠で表された忍冬連珠亀背文刺繍花辺が共に5世紀後半なので、これらに近い時期に制作されるようになったのかも。 羊文錦 経錦 ローラン故城東7㎞の高台墓地2号墓出土 後漢(後25-220年) 新疆ウイグル自治区社会科学院考古学研究所蔵
藍色の地に、黄色の糸で文様を織り出している経錦である。菱格子の文様の中に、向かい合う2頭の雄の羊が織られている。後ろ足を蹴り上げて跳ねている姿をしている。文様のデザインは爽やかで優雅であるという。
後ろ足を跳ね上げる動物は中国風とも思えないが、どの地域に見られるのかもわからない。頭上には十字の中心に花文のようなものが表されている。
菱格子の上下左右には四弁花文のようなものが配されている。やっぱり接合部に花文を置くのは中国の意匠だったのだ。舞人動物文錦 経錦 戦国時代(前4-3世紀) 全体幅50.5㎝単位文様長5.5幅49.1㎝ 湖北省江陵県馬山出土 荊州博物館蔵
緯(よこ)方向に全幅にわたって織り出した経錦で、単位文様は上下に配列された7組の異なった動物と舞人によって構成され、それぞれは中に龍文と幾何学文をもつ長方形を組み合わせた山形で区切られている。向かって右から、第2組は二人の舞人で、冠をかぶり、長袍を着て深黄色の腰帯を締め、飾り物をつけ、2本の足を露わにして両袖を翻して歌舞の様子を表している。第3組は高い冠毛のある一対の鳳凰で、羽を広げ長い尾を巻き上げている。鳳凰の頭上には杯状の菱形文飾りがあるという。
この画像にはないが、第1組は首をもたげた長い尾を巻いて身をくねらせる一対の龍、第4組は相対する一組の龍、第5組は一対の麒麟、第6組は頭をあげて鳴いているような一対の鳳凰、第7組は長い尾を巻いた一対の龍という。
鳳凰は中国風の冠を被っているのは、鳥の頭部に冠状のものをつける原形だろうか。
鳳凰の区画には、足元にも小さな三角形状のものがあり、その下ある左右対称の90度に折れ曲がったものは、対龍文の変化したものか。
その文様は武人の区画の上方に、上下逆に表されている。その下に太陽が下半分表され、武人が長い袖を振って礼拝しているようだ。
この鳳凰は連珠孔雀文錦の孔雀へと繋がるだろうか。 そういえば、青銅器の饕餮文は顔だけのように見えるが、左右に胴体があって、顔の中心線から左右対称になっている。その例はこちら
対偶文は、ウルク遺跡付近出土の円筒印章(前3200-3000年頃)に女神を中心に2頭の羊が表されるなど、メソポタミアには古くからある。
しかし、対偶連珠円文の起源となる対偶文は中国と考えて良いのでは。 

※参考文献
「中国★文明の十字路展図録」(2005年 大広)
「中国美術大全集6 染織刺繍Ⅰ」(1996年 京都書院)
「世界美術大全集東洋編1先史・殷・周」(2000年 小学館)