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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2008/08/05

慶州南山、神仙庵の磨崖菩薩像と同じ坐り方は法隆寺壁画

神仙庵の磨崖菩薩像はこんな崖の上にあるので、当時はどのように拝んだのだろうと思うくらいだ。 自分でもどうやって正面から写したのかよく覚えていない。
同心円状の頭光と身光が線刻されていて、体と台座は浮彫となっている。右手に持っているのは花枝らしい。手がかなり高浮彫なのに、左膝や右脚が平面的だ。このあたりから、説明板に8世紀後半とされているのだろう。
しかし、半跏像なら左脚を下げているので反対だし、右脚を開き加減に下ろしているので遊戯坐(ゆうげざ)とされている。この坐り方が気になっていた。 奈良国立博物館で、国宝法隆寺金堂展が開催され、再現壁画が出品されていた。その中で第5号壁半跏菩薩像を前にして、神仙庵の菩薩と同じ坐り方であることに気がついた。
ところが、会場の解説は、2号壁の半跏菩薩像を反転させたものということだった。  2号壁の半跏菩薩像と比べるとほぼ反転像のようである。『国宝法隆寺金堂展図録』 は、これらの壁画制作に当たっては、同じ下図が繰り返し用いられたようで、  ・・略・・  相対する菩薩像の場合も基本的に同一の図像を反転して用い、持物や頭上の標識などを入れ替えて尊名を区別できるようにしている。  ・・略・・ 金堂壁画は総じて初唐様式を濃厚に伝えており、その制作時期は天智天皇9年(670)に炎上した金堂の再建事業が進んだ7世紀末から8世紀初頭に懸かる頃と見てよかろう という。一方統一新羅では、8世紀になると唐から新たな様式を将来せず、独自の様式を確立したということなので、法隆寺と同じ頃、最後に入ってきた初唐の様式にこのような坐り方のものがあり、それが8世紀後半に神仙庵に採り入れられ、当時の様式で表されたのだろう。

※参考文献
「国宝法隆寺金堂展図録」(2008年 朝日新聞社)