ホシガラスが埋めて食べ忘れた種のように、バラバラに芽を出した記事が、枝分かれして他の記事と関連づけられることが多くなった。 これから先も枝葉を出して、それを別の種から出た茎と交叉させ、複雑な唐草に育てて行きたい。
2008/07/29
慶州南山、七仏庵(チルプラム 칠불암)の仏像は
七仏庵には神仙庵から下りていったので、まずこのように見えたはずだ。しかし、韓国では釈迦の誕生日を旧暦で祝うため、色とりどりの提灯で、実際にはよく見ることができなかった。国立大邱博物館で絵葉書を買えてよかった。 三尊像もこんな風にしか見えない。お昼過ぎだったので、四面石仏の北面は日陰でこんな風にしか写せなかった。如来が双領下垂式の服装であることはわかる。 東に回ると三尊像の左脇侍が右手に蓮華を持っているので、観音菩薩、ということは主尊は阿弥陀如来か。四面石仏の東面も双領下垂式の服装で、結跏趺坐して左足が出ている。少し左に回ると三尊像が見えてきた。 もう少し回ると三尊像が現れた。阿弥陀三尊像は如来のみ坐像で、偏袒右肩の服装である。どうも新羅の偏袒右肩はマトゥラー式の右肩に何も付けないものばかりのようだ。
四面石仏の南面の如来は双領下垂式の服装である。 絵葉書は四面石仏南面の如来が座す大きな蓮華がよくわかる。三尊像の如来は蓮華に坐しているというよりも蓮台に坐している風で、同時期に造られたにしてはやや表現が異なっている。
それは服装についても言えるのだが、共通しているのは、頭光が文様のない宝珠形であることだ。説明板は、統一新羅時代(7-8世紀)に製作されたものと推定されるというが、石窟庵の如来坐像に比べると頭部が大きく、時代は下がるように思う。 柵があって近寄れなかったので、四面石仏の西面がどのような如来だったか見えなかった。それに、写した図版は絵葉書だけでなく、本にもない。四面石仏というからには浮彫されているのだろうが、見えない面の向かいに西方浄土の阿弥陀如来が表されているので、七仏庵には2体の阿弥陀如来坐像があるのだろうか。
※参考文献
博物館で購入の南山仏像の絵葉書