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忘れへんうちに 旅編に、中央アジア各地の旅に続いて、イランの旅を記載し始めました。
その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2008/06/27

慶州石窟庵(ソックラム 석굴암)の見えない仏像は



石窟庵は内部に入れない。正面からガラス越しに眺めるだけなので、主室は見えていない箇所の方が多い。後日絵葉書や書籍で見て驚いた。 掘仏寺址の四面石仏南面の浮彫二立像によく似ているのだ。

窟室から主室なってすぐの壁面に、梵天像と文殊菩薩像が浮彫されている。どこを見ているのだろうか。主尊ならば、主室中央に座しているので、正面向きで良いはずだ。それに文殊菩薩は三曲で自然だが、梵天の方は体をねじって不自然な感じがするが、それを除けば、柔らかい着衣の表現はすばらしい。 26 観音菩薩立像 洛陽、龍門石窟万仏洞外南壁 唐・永隆2年(681) 
初唐の浮彫像である。敦煌莫高窟よりも都の長安に近いので、当時の中央様式と言ってよいだろう。自然に体は三曲しているが、顔は傾いても正面を向いている。それを除けば、着衣は裾の長さまで、石窟庵の菩薩・天部像とよく似ている。5甘山寺伝来弥勒菩薩立像よりずっと石窟庵の浮彫に近い。そして、左側には帝釈天像(反対側が梵天なので)とおそらく普賢菩薩像(同じく文殊菩薩なので)が斜め向きに浮彫されている。
四面石仏南面の浮彫仏立像は帝釈天像の着衣に似ているが、石窟庵をまねたのだろうか。それとも四面石仏の浮彫仏立像はまだ稚拙な造形で、石窟庵の浮彫は完成した様式なのだろうか。27 日光菩薩立像 薬師寺金堂 奈良時代(8世紀初)
『カラー版日本仏像史』は、飛鳥薬師寺の本尊は、持統2年(688)頃の完成と推定されるが、天武14年(685)開眼の山田寺講堂本尊像(興福寺仏頭として現存)は、同じ頃に中央で造られた丈六ブロンズ像である。ところが、現存の薬師寺像とこの仏頭との間には、大きな差違が認められる。鋳造技法の面では、仏頭より進んだ技術で鋳型が固定され、良好な鋳上がりを示す。  ・・略・・  現存像は平城新鋳とみるのが合理的である。近年の発掘結果も建物の移築には否定的で、この点も新鋳説を補強する。700年前後の唐彫塑との共通性があるという。この像を700年前後の唐の様式とみても良いだろう。この像にも似ているのではないだろうか。
さて、主尊の背後、光背の下には十一面観音菩薩像が正面を向いて立っている。この像だけが正面を見据えている。といっても、仏像は正面を向いているのが普通である。
28 観音菩薩立像 法隆寺 唐(7~8世紀)
着衣や装飾物など石窟庵の十一面観音菩薩像によく似ている。新羅の仏像は全体に肩幅が狭いが、法隆寺の観音菩薩立像よりもバランスが良い。 『世界美術大全集東洋編10高句麗・百済・新羅・高麗』は、8世紀中葉になると新羅は唐の影響から脱皮し、独自の道を歩み始めたという。新羅では、唐からは700年前後までの様式を採り入れて、それが独自の様式として完成したのが石窟庵ということになるだろうか。その独自性の中に、斜め向きの浮彫像も入るのではないか。

また、十大弟子像の上部龕室には蓮華に座した菩薩像などが置いてある。このような片方の脚をおろし、片方の脚は曲げている遊戯座という座り方をする仏像はあるが、このようにな座り方をする仏像は見たことがない。これも新羅の独自性なのだろうか。

※参考文献
「世界美術大全集東洋編4隋・唐」(1997年 小学館)
「世界美術大全集東洋編10高句麗・百済・新羅・高麗」(1998年 小学館)
「カラー版日本仏像史」(水野敬三郎監修 2001年 美術出版社)