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忘れへんうちに 旅編に、中央アジア各地の旅に続いて、イランの旅を記載し始めました。
その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2008/05/24

皇龍寺の九層木塔の手本はどれ?


慶州では、皇龍寺以外にも木塔は造られたようだ。『慶州で2000年を歩く』によると、四天王寺は新羅が唐と戦争をはじめた年である671年ころからつくられはじめ、679年に完成した。本堂の前に塔を2基建てる形(薬師寺式)で建てられていて、本堂、経楼、鐘楼、2つの木塔の土台石が残っている。
四天王寺と道路を挟んだ松林のなかに望徳寺があった。寺は四天王寺と同じく、木塔を2つ建てた薬師寺方式であった
という。
それらの木塔がどのような規模のものかわからないが、『飛鳥の宮と寺』に塔の高さや平面を比較した図があった。東大寺は天平時代なので比較されていないが、北魏時代の永寧寺があった。 『世界美術大全集東洋編3三国・南北朝』によると、永寧寺は、北魏末の熙平元年(516)、孝明帝の母霊太后胡氏が創建した寺である。その中央に9層の浮図(塔)がそびえ立ち、背後に仏殿が置かれ、門、塔、仏殿が縦列する伽藍配置であった。大塔は着工から3年後の神亀2年(519)に完成し、木造、方形9層で、『魏書』芸術伝によれば設計は郭安興という工匠であった。近年行われた発掘調査によれば、塔の基壇は1辺38.2mの正方形で、『水経注』の「浮図の下基は方40尺」という記載に近似するので、同書の「金露盤の下から地面まで49尺」の数値によって算定すると当初の総高は約147mとなり、いずれにしても破格規模の巨大な塔であった。発掘で明らかになった初層平面は塔身部分を日乾煉瓦を全面ベタ積みに築いた方7間分を実心の構造体としているという。150m近くあったとは。 木塔の塔身が日乾煉瓦とは驚く。
礎石が8X8の64個もある皇龍寺の木塔とは造り方が全然違っていて参考にならないが、皇龍寺の塔が造られた同時期にあたる唐時代の木塔は残っていないので、他に比較するものがない。しかし、円柱を等間隔に並べて木塔を造っているので、塔の建築技術は百数十年の間にかなり進んだんやなあ。

九層木塔址の心礎の上の石は何?皇龍寺址の九層木塔ってどんなん? もどうぞ

※参考文献
「慶州で2000年を歩く」(武井一 2003年 桐書房)
「日本史リブレット71 飛鳥の宮と寺」(黒崎直 2007年 山川出版社)
「世界美術大全集東洋編3 三国・南北朝」(2000年 小学館)