慶州では、皇龍寺以外にも木塔は造られたようだ。『慶州で2000年を歩く』によると、四天王寺は新羅が唐と戦争をはじめた年である671年ころからつくられはじめ、679年に完成した。本堂の前に塔を2基建てる形(薬師寺式)で建てられていて、本堂、経楼、鐘楼、2つの木塔の土台石が残っている。
四天王寺と道路を挟んだ松林のなかに望徳寺があった。寺は四天王寺と同じく、木塔を2つ建てた薬師寺方式であったという。
それらの木塔がどのような規模のものかわからないが、『飛鳥の宮と寺』に塔の高さや平面を比較した図があった。東大寺は天平時代なので比較されていないが、北魏時代の永寧寺があった。


礎石が8X8の64個もある皇龍寺の木塔とは造り方が全然違っていて参考にならないが、皇龍寺の塔が造られた同時期にあたる唐時代の木塔は残っていないので、他に比較するものがない。しかし、円柱を等間隔に並べて木塔を造っているので、塔の建築技術は百数十年の間にかなり進んだんやなあ。
九層木塔址の心礎の上の石は何?・皇龍寺址の九層木塔ってどんなん? もどうぞ
※参考文献
「慶州で2000年を歩く」(武井一 2003年 桐書房)
「日本史リブレット71 飛鳥の宮と寺」(黒崎直 2007年 山川出版社)
「世界美術大全集東洋編3 三国・南北朝」(2000年 小学館)