飛鳥寺の建物が596(推古4)年に完成した時点では、本尊はまだなかった。
『日本仏教史』によると、本尊となるべき銅造と刺繍の丈六仏(ともに左右脇侍をもつ三尊像)については『書紀』推古13年(605)条に、ようやく仏工の鞍作鳥により着手されたことを伝えている。その完成は『書紀』が翌14年、『元興寺縁起』所収「丈六光銘」は同17年(609)のこととし、一般には後者が正しいとされるという。そして、『日本史リブレット71飛鳥の宮と寺』によると、鳥仏師が釈迦像をつくったとき、大工などは扉を破壊しなければ堂内に搬入できないと、苦慮したが、止利の名案で無事に安置できた挿話が『書紀』にみえるという。日本での仏教寺院や仏像の草創期の苦心や工夫が伺える話だが、ちょっと笑ってしまう。
安居院本堂の東に続く建物に拝観受付がある。本堂に入るとたくさんの人が床に座っていて、説明を聞いていた。我々も端の方に坐った。説明が終わると、「写真を撮っていいですよ」と言われて驚いた。考えて見れば金属なので、写真を撮ったからといって劣化するものではないし、この阿弥陀仏坐像は、かなり補修されているからかも知れない。
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とりあえず、この大衣の衣文は飛鳥時代のものと違うなあ。薄暗いお堂で遠くから見ていた時は、左腕に掛かっているはずの大衣の端がどこにあるのかわからなかったが、近くに寄ってやっとわかった。左肩に掛かっていた(矢印の部分)のだ。
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『飛鳥のほとけ』に伊東太作氏の復元図がある。たったこれだけだったとは思わなかった。
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※参考文献
「法隆寺 日本仏教美術の黎明展図録」(2004年 奈良国立博物館)
「日本史リブレット71飛鳥の宮と寺」(黒崎直 2007年 山川出版社)
「国宝と歴史の旅1飛鳥のほとけ天平のほとけ」(1999年 朝日百科日本の国宝別冊 朝日新聞社)