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忘れへんうちに 旅編に、中央アジア各地の旅に続いて、イランの旅を記載し始めました。
その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2008/01/30

エジプトに螺旋状髪飾りを探したら亀甲繋文や七宝繋文が



新沢千塚126号墳に副葬されていた金製螺旋状髪飾りについて『日本の美術445黄金細工と金銅装』で河田貞氏が、エジプト18王朝時代の彫刻にみられる類例を、参考資料として提示しているが、これもグローバル性を示す遺品として興味深いと述べているのが気になって調べてみたが、探し出すことができなかった。
ひょっとしてこれかなと思ったのが、ナクト・ミンの妻の像だった。新王国第18王朝(前1565~1310年) のポスト・アマルナ時代の様式の彫像で、髪ではなく鬘をかぶっているらしい。その鬘の先端にずらりと並んでいるのが、螺旋状髪飾りに似ているようにも思える。螺旋状髪飾りを見つけることはできなかったが、2つの文様に行き当たった。

亀甲繋文 ネフェルタリ王妃墓壁画供物を捧げる王妃の場面のイシス女神 第19王朝ラメセスⅡ世期(13世紀) テーベ西岸
イシス女神の衣服の文様に使われている。やっぱり布だった。 亀甲繋文 センネジェム墓壁画ミイラ作りをするアヌビス神 ラメセス朝(第19~20王朝、14-12世紀) テーベ西岸
布だろうか、下端に絨毯の端のような房が下がっている。絨毯かな。亀甲繋文 イリネフェルの墓室壁画ミイラをつくるアヌビス神 ラメセス朝(第19~20王朝、14-12世紀) テーベ西岸
ミイラをのせた台の向こうに、作業を見られないようにするために張ったかのような布が描かれていて、その文様に亀甲繋文が使われている。しかも白地に亀甲繋文である。亀甲繋文は赤地のものが多く、同墓室にメヒウェレト神(牛) がまとっているのも赤地に亀甲繋文だった。
そう言えば、バビロニアのクドゥル(境界石)に表されたマルドゥク・ナディン・アヘ王の衣装にも亀甲繋文があった。王はイシン第2王朝の6代目で、在位が1098-1081年で、クドゥルは前11世紀の初頭につくられたものだろう。ということは、このクドゥルの亀甲繋文よりも、エジプトの墓室壁画の亀甲繋文の方が古いことになる。 バビロニアの亀甲繋文は刺繍かアップリケだろう(『世界美術大全集東洋編16西アジア』より)ということだったが、エジプトのものはアップリケとは思えない。刺繍だろうか。

そしてまた、七宝繋文もエジプトにあった。
七宝繋文 アンクエスエンムートの木棺内側に西方の女神ヌゥトの絵 第3中間期第21王朝(前1086~935年頃) テーベ、デル・エル・バハリ出土
女神の衣装の文様となっている。七宝繋文 青色彩文土器の文様帯 新王国時代第18王朝(前1550-1295年) アブ・シール南丘陵出土
『吉村作治の早大エジプト発掘40年展図録』によると、青色の顔料を使用した彩文土器は、アメンヘテプⅢ世やアクエンアテン王の時代に盛んに使用された。アブ・シール南丘陵出土のものは、その先駆となるものということで、アマルナ時代以前、第18王朝前半のものだと思われる。 ということで、現在のところ、亀甲繋文も七宝繋文もエジプト新王国第18王朝期には完成されていることがわかった。

※参考文献  
「世界四大文明 エジプト文明展図録」(2000年 NHK)
「大英博物館 古代エジプト展図録」(1999年 朝日新聞社・NHK)
「図説古代エジプト2 王家の谷と神々の遺産」(仁田三夫 1998年 河出書房新社)
「吉村作治の早大エジプト発掘40年展図録」(2006年 RKB毎日放送株式会社)
「黄金のエジプト王朝展図録」(1990年 ファラオ・コミッティ)
「世界美術大全集東洋編16西アジア」(2000年 小学館)