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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2007/11/23

小野浄土寺は燈籠もええなあ

東大寺の勧進僧俊乗房重源は1195年の東大寺大仏殿再建より前に、播磨別所に浄土寺浄土堂を建立した。東大寺大仏殿は室町時代再び焼失するが、浄土寺浄土堂は今でも残っていることを知って、でかけてみた。現在では小野の浄土寺と呼ばれている。
駐車場は境内よりも西にある。近づくとまず見えてくる宝形造(ほうぎょうづくり)の建物が浄土堂(阿弥陀堂)だった。  境内には北に回り込んで階段を上っていく。 そして東の正面に来ると燈籠がある。けっこう古そうな燈籠のようだ。ここで燈籠と浄土堂全体をカメラに納めようとすると背後に池があるために無理だった。 お寺のパンフレットには境内図があるが、西を下に描いてあるため、浄土堂に隠れてこの燈籠がない。ということは、大して古くもないのかも。 しかし、なかなか形の良い燈籠なので、じっくり見ていると、お寺の人が「おそらく創建当時からあるものでしょう」と言った。全体のバランスから、笠の部分が大きいようだ。基礎の部分が土に埋もれているようにも見える。太宰府の観世音寺の灯籠と比べてみると、笠の部分がよく似ている。しかし、こちらはその上の宝珠に比べて請花(うけばな)が小さい。 火袋は六角形で、対角にある面にはそれぞれ鹿のような動物と、龍のようなものとが彫られているのだが、風化がひどくてわかりにくい。鹿はあるいは麒麟かも知れない(写真では非常にわかりにくいため、着色しました)。 円窓のある面はどちらも渦を巻いた雲が2つ並んでいる。宝珠ではないようだ。
中台(ちゅうだい)には各面に格狭間(こうざま)が2つずつ線刻され、その下に8弁からなる複弁の連弁が巡っている。竿は観世音寺のものよりも細く、基礎の反花(かえりばな)は複弁の幅の広い連弁と細い複弁の連弁が交互になっているようだ。しかし、少し土を掘り返してみると、中台の連弁と同じく、子葉が2つ並んで複弁となっているのを見間違えていたのだった。燈籠の基礎には反花の下にも格狭間の彫られた部分があったりするものだが、この燈籠にはないのだろうか、それとも地中に隠れているのだろうか。