ホシガラスが埋めて食べ忘れた種のように、バラバラに芽を出した記事が、枝分かれして他の記事と関連づけられることが多くなった。 これから先も枝葉を出して、それを別の種から出た茎と交叉させ、複雑な唐草に育てて行きたい。
2007/10/11
黒石象嵌の目は懸空寺にも
雲崗石窟の仏像の目に黒い石の象嵌のあるものを探しているうちに、もっと近い距離で黒い目を見たような気がしてきた。
それは大同の南東に位置する恒山山脈の崖に建立された懸空寺だった。懸空寺には、奥行きはないが、仏教・儒教・道教のお堂が幾つかあった。三教合一ということで、仏像だけでなく様々な像が安置されている。現存するものは明代の塑像ということで、上部には頭のない像があったりして、ガイドの屈さんが文化大革命の時に壊されましたと言っていたが、像の黒い瞳が刳り貫かれたり、 周りをえぐったものなどについては説明がなかった。 それとも、黒い石をはめ込んで、粘土で成形した部分がはがれてきたのだろうか。 迦葉さんの目は無事だった。 金泥?を塗られた主要な像は無事で、眷属の像に目をえぐられたものが多い堂もある。
片側だけなくなっているのは時間がなかったからだろうか。
文化大革命の時には仏像の頭部を壊したくらいだから、わざわざ目だけ刳り貫くこともなかったと思う。目を刳り貫いたのはそれ以前ではなかったのだろうか。
刳り貫いた時期が何時かが問題ではなかった。このような明代の塑像にも施された黒い石の象嵌が、果たして北魏時代から行われていたのだろうか。残念ながら、他に手がかりはない。