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忘れへんうちに 旅編に、中央アジア各地の旅に続いて、イランの旅を記載し始めました。
その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2007/06/29

雲崗石窟の壁面に浮彫の塔



雲崗石窟を見学したとき、塔のようなものがあちこちの窟にあるのに気がついた。雲崗は敦煌莫高窟や天山南路中央のクチャ郊外にあるキジル石窟、そしてトルファン郊外の火焔山の中にあるベゼクリクやトユク石窟などのように、壁画や仏菩薩の塑像が置かれているのではなく、砂岩を浮彫にした石窟なので、建物の表現がその分立体的に見える。多少でも立体的に見えると、本当にそんな建物があったのだと信用してしまう。

1 11窟主室東壁(雲崗中期、465-493年) 
交脚弥勒像の仏龕両側に同じ形をした三重塔がある。簡単にいうと初層には二仏、二層目にも二仏、三層目には一仏が坐している。大きな相輪が1本のっている

2 11窟東側付属窟外9窟(雲崗後期、493-524年)
雲崗石窟では、すでに開かれた窟の前壁をはじめ、後期になるとあらゆるところに小さな仏龕が彫られた。この窟外9窟もその一つで、龕入口両側に同じ形の五重塔が浮彫されている。全ての層に二仏が坐している。相輪は1本である。3 13窟拱門東壁(雲崗中期、465-493年) 
写っているだけで三重塔が5基見える。すべての層に二仏が坐している。上段の三重塔は相輪が1つだが、下段の三重塔は相輪が3本に分かれている。山という文字にも似ている。4 14窟前室西壁(雲崗中期、465-493年) 
単独の仏が坐す平屋の塔がたくさんある。塔と判断したのは3本の相輪らしきものが見えるからで、建物と3本の相輪という組み合わせが縦に並んでいる。 左下には仏龕が3つ縦に並んでいるが、これは塔ではないだろう。5 14窟西壁上方(雲崗中期、465-493年) 
浅浮彫で五重塔が表されているように見える。初層に二仏、二層目に単独仏、三層目に二仏、その上は残念ながらわからない。6 17窟拱門東壁(雲崗後期、493-524年) 
17窟は曇曜五窟の一つで、雲崗初期(460-465年)に開鑿されたが、外側から菩薩の顔が見える明窓や拱門の壁面の奥行きの部分には雲崗後期の仏龕などが穿たれている。ちなみに明窓部には太和13(489)年の紀年名のある仏龕がある。
拱門東壁には三重塔が1基ある。おそらく仏龕の左右にあったのだろうが、窟前に近い方は今はない。相輪が3つあり、軒下の組物まで表されている。 軒の隅には何かが吊り下げられているようだ。 初層には単独仏、2・3層には二仏が坐している。7 39窟主室中央(雲崗後期、493-524年)
中心柱が五重塔となっている。 軒下を見ると控えめな斗栱と人字形蟇股の構成は、雲崗の別の建物浮彫と共通している。これを見ると、確かに四角い五輪塔がこの時代に確かに存在しただろうと思える。
また、初層と2層目にはかく面に5つずつ仏龕があり、その形もいろいろのようだこのように雲崗石窟に浮彫されたり中心柱となったりした塔は、その時代実際に方形の三重塔や五重塔が存在したことの証明となるだろう。しかし、 3・4・6の三重塔や単層の塔の上にある山の字形のものが、どうもよくわからない。想像で相輪が3つもあるものを表したのだろうか。
ひょっとすると神通寺四門塔のように「山華蕉葉を用いて相輪を受けている」(『中国建築の歴史』より)のを正面観で表すとこのように3つの相輪と私が表現した形になるのかも知れない。

※参考文献
「中国石窟 雲崗石窟2」 1994年 文物出版社
「中国建築の歴史」 田中淡訳編 1981年 平凡社