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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2007/06/06

雁門関と長城



太原から大同方面に高速で移動した。すぐに黄土高原となり、高原状の平たい台地を走っていたが、西側遠くに山が現れた。遠い山は近づくわけではなかったが、近くの低い山に、夫が烽火台を見つけた。 山西省で初めて見た烽火台だ。中国にはどこでも烽火台があるのだろうか。
その高い山が近づいてくると、ガイドの屈さんが説明してくれた。
この山に重要な関所がありました。それが雁門関です。長城もありました。北方民族と漢民族の境界になりました
そんな高い山に何故関所が必要なのかわからなかった。平たい土地はいくらでもあるのに。長城にしても、雲崗石窟の北側を通って大同の街よりも北側を通っていたのではなかったか。
雁門関の関所の名前をとってトンネルの名前にしていますトンネルを抜けると、整然と植林された山々が見えた。次の烽火台が見えてきた。そして烽火台だけでなく長城らしきものが見えてきた。別の長城があったのだろうか。高速道が長城のある山をぐるりと回ったため、先ほどの長城が反対に見えた。動いている車から撮るので、ピントを合わせるのが大変だ。すぐにスピードを落とし、新広武料金所を出る。 その後一般道に出るロータリーから烽火台や長城がよく見えた。
この長城はモンゴル族の侵入を防ぐために土で造りました
ということは版築やね。長城がほぼ平地まで達しているのが見えたが、ここで見納めとなってしまった。帰国後、以前に買っていたガイドブックの地図に、雁門関や広武という地名と、それらから離れたところだが、雲崗石窟よりもずっと南に長城が記されてるのがわかった。じっくり見ると、雲崗石窟の北を通る長城はその西方で方向を変え、雁門関の方へとぐるりと回り込んでいることがわかった。書物では雁門関についての情報は得られなかったが、検索してみると、このあたりが、屈さんの説明を聞いて想像していたよりもずっとすごいところであることがわかった。

黄土高原レポート(03→07)by 高見邦雄というサイトは、すぐそばを走りながらいつも素通りする雁門関をやっと訪ねました。『楊家将』に刺激されてのこと。山西省北部で二重になっている長城の、内城のもっとも重要な関所がここで「中華第一之関」の巨大な額がかかっています。大同とその周辺が昔から雁北と呼ばれたのは、雁門関の北の意味。余計なことですが、私の本の中国語版の表題『雁棲塞北』もそのことを意識しました。
雁門関に立つと、ここが要衝である理由がわかります。地形は険しく、ほかに道はありません。北からくる軍は狭く急な坂道を登ってくるしかなく、数分の一の兵で守ることが可能でしょう。 歴代の名将が雁門関の守りにつき、また訪れました。周の穆王、趙の武霊王、秦の蒙恬、漢の劉邦……。あの物語の楊家将も。 
雁門関の北側のふもとにも城壁がめぐらされ、二重三重の護りがありました。武、営、台などの地名が多いのはその名残です。広武漢墓群は漢代の戦死者のもので、古墳が293もあります。 雁門関の紹介文に「兵家必争之地」とあります。歴史上ここでの戦闘は大小千七百回になるそうですからまさにそのとおり。日中戦争も例外でなかったようです
という。

古来頻繁に行われた北方民族と漢民族の戦乱の地だったことがわかった。そして「山西省北部で二重になっている長城」というのは、上の地図にも記載されている。
高見邦雄氏は、緑の地球ネットワークという、中国山西省大同市の黄土高原で緑化協力をつづけているNPOの事務局長のようである。高速道の両側に広がっていた植林は氏が関わったかも知れない。
また、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』は、雁門関(がんもんかん)は別名を西陘関と言い、中国山西省の北部、代県の西北、雁門山(別名勾注山)中にある、古来からの関所である。北方の異民族の侵入に対する、中国側の防衛拠点であり、数多くの戦いが繰り広げられてきた。
雁門関のある雁門山は、東西の峰が対峙している様が門のようであり、そこを渡りの途上の雁が飛び抜けていくことから、雁門の名がある
という。

雁門関についてはわかったが、長城が現在の新広武料金所の後はどこに続いていたのだろうか。案外、応県の木塔や渾源県の懸空寺へ行く途中で夫が車窓から見かけては「長城」と繰り返したものが、長城だったのかも知れないなどと思ったりする内に、「関」という地名を地図で探すことを思いついた。
雁門関の向こうにある関は、恒山山脈と五台山の間に平型関という関を見つけた。やっぱり夫が見つけたものは長城ではなかったようだ。

※参考文献
「地球の歩き方05-06中国」(2005年 ダイヤモンド社)

※参考ウェブサイト
黄土高原レポート(03→07)by 高見邦雄
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』