お知らせ

忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2007/02/02

頭塔を見に行ったら


頭塔(ずとう)を知ったのは、10年ほど前のことだった。シリア・ヨルダンで、パルミラ・ペトラを初めあちこちで石造りの遺跡を見たので、日本の石造のものを見てみたくなり、当尾の里や春日山で磨崖仏や石仏を見に行ったついでだった。ガイドブックの地図で奈良の町中に面白いものがないか探していたら、奈良国立博物館の南方に「頭塔」という文字が目に止まった。最初は読み方さえわからず「とうとう」と読んでいた。 
「向かいの福田家に見学を申し込むと入口の錠を開けてもらえます」ということなので、高畑町交差点の一筋南を西に入ろうとすると道が狭く、駐車場もなさそうで、見学時間も10分ということだったので、通りの入口にあった狭い空き地に車を置かせてもらった。
 
そして、通り南側で福田さんを見つけ、声を掛けると(というより、大声で呼ぶと)、かなりたって奥からおばあさんが出てきた。車のことが気にかかっていたのであせった。お婆さんが頭塔への扉の錠を開けてくれ、パンフレットをくれて、帰りは自分で閉じるように言われた。

中へ入ると民家の間の道を歩いていくと、頭塔は調査や復原作業中らしく、屋根がかけられてどれが何やらよく見えなかった。その中にポツポツ小さな浮彫の仏・菩薩像があった。 
1段東・中央 浮彫如来三尊像 頭塔の南側は小さな森のように木が生えていた。その下にも何かあるようだった。石の大きさからすると三尊ではないようなので、浮彫如来及侍者像(1段南・西寄り)だと思う。 2段南・東寄り 如来坐像 苦労して撮ったが、頭光のある頭部が2つやっと見える程度だった。このように、仏像もほとんど見ることができなかったが、それでも、日本に、このような階段状石造物があり、それもかなり古いものらしいことがわかった。

ところでこの頭塔は何時頃造られたのだろうか。「史跡頭塔」のパンフレットは、頭塔は、東大寺の南方に造られた方形7壇の土塔です。頭塔の名の由来は、奈良時代の僧玄昉(げんぼう)の首を埋めた塚だという伝説によるものですが、本来の土塔がなまって頭塔と呼ばれるようになったようです。
記録的には、神護景雲元年(767)に東大寺の僧実忠が東大寺の寺域南端に土塔を築いたとあります。この土塔が頭塔であり、頭塔はお寺の塔と同じように仏舎利を納めるストゥーパなのです。頭塔の規模は基壇最下段の1辺が32m、高さは約10mあります。
頭塔においては、北側半分で発掘調査が行われており、南側のものも含め現在までに26基の石仏が確認されています。発掘調査成果から復原すると、石仏は各面の第1段に5体、3段に3体、5段に2体、7段に1体の総数44体が配置されていたと推定されています。また各石仏は基壇面から袖石1石分だけ奥まったところに据え付け瓦屋根で保護されていました
という。
同パンフレットに頭塔を上から見た写真があった。森のある方が南です。長野県在住の夫婦・姫河童と加茂鹿道さんの信州考古学探検隊頭塔のページは、国立奈良文化財研究所(当時)の史跡整備のための発掘調査で、頭塔の下位に、横穴式石室の古墳があり、頭塔の上に六角形の多層塔が建てられていたことが判明した。古墳から仏教関連施設への移り変わりがはっきりわかる好例といえるだろう。なお頭塔の上から発掘された六角多層塔は塔の森塔と似ていて、奈良時代とされるので、頭塔建設直後に建立されたものと推定されている。という。この遺構も熊山遺跡同様に仏教以前のものの上に造立されたものらしい。
また、奈良町観光の奈良町その15に、奈良教育大学内の「吉備塚」は、バス停「破石町」からバス道路を南下すると、次のバス停が「高畑町」で、左(東)側が奈良教育大学、校内の北側に「吉備塚古墳」が在ります。吉備眞備のお墓と伝えられ、眞備は、695年(持統9年)3月28日岡山で生まれ、若き日、一度目は遣唐留学生、二度目は遣唐副使に選ばれ、在唐17年、長安の都においても、その学識が高く評価されました。帰国後、春日大夫として皇太子の教育にあたり、大学寮の整備や、東大寺の造営につくし、天平文化の一翼を担いました。また、塚は、鬼界ケ島に流された俊寛の塚とも云われ、塚に触ると祟りが有り。なお、塚から神仙を象眼したものでは国内初の鉄製大刀が出土しましたという。
吉備真備という名が、熊山遺跡と頭塔に何か関連があるのではという空想を増幅させる。パンフレットにあった地図です。頭塔の近くに吉備真備の墓があるという奈良教育大があるのがわかるでしょうか。

※説明及び地図・鳥瞰写真は「史跡頭塔」のパンフレットより


関連項目
再び頭塔を見に行ったら
世界ふしぎ発見を見て熊山遺跡に行ってみた
世界ふしぎ発見を見て熊山遺跡に行ってみた(続)