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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2007/01/06

1月6日はキリストの公現祭(エピファニー)


昔々パリに住んでいた時、年の暮れにスペインを旅行した。バレンシアで街を案内してくれたスペイン人にクリスマスのことを聞こうとした「12月25日はノエル(フランス語でクリスマスのこと)で・・・」。すると「ノエルは12月25日ではなく1月6日だ」と言われ、それ以上話が進まなかった。後日スペイン通でカトリック信者の人にその話をすると怪訝な顔をしていた。
パリに帰って、当時習っていたドンテル(ボビンレース)の教室に行くと、みんなが「今日はガレット・デ・ロワの日だ」とうきうきしていた。聞くとケーキの中にコインを入れて焼き、切り分けてそのコインが入っていた人が王になる」などと教えてもらったように記憶している。そしてガレットを切り分けてもらったが、私の分にはコインは入っていなかった。入っていた人は紙で作った王冠を被ったように思う。 そういう風習があるのかと思ったくらいだった。
その後かなりの時が経ち、ロマネスクやビザンティン美術について勉強していると、どうも1月6日はキリストの公現日(エピファニー)になっているらしいことがわかり、上のことを思い出した。

キリストの公現日というのは、キリスト降誕についてで登場した東方に住むマギがキリストの誕生を知ってお祝いにはるばるやってきて、贈り物を手渡した日のことだ。

『黒マリアの謎』は、ローマ教皇リベリウスが、354年、それまで公現(マギの礼拝)の祝日とともに1月6日に祝われていた降誕の祝日(クリスマス)を、冬至の日であった12月25日に移した。
こうして、12月25日に降誕を祝う慣習が定着するに伴って、降誕図から分離していった「マギの礼拝」図は、西方キリスト教(ローマ・カトリック)圏において特に、キリストが全人類の前に救済者として姿を現したことを意味する「公現(エピファニー)」図として発展してゆく
という。

また「マギの礼拝」図については、東方の占星術師たち(マギ)が星占いによって「ユダヤ人の王」の誕生を知り、この星に導かれてベツレヘムまでやってきて、嬰児キリストに黄金と乳香と没薬を献げて礼拝したというものである。この説話が図像として現れた歴史は古く、2世紀のプリシッラなど多くのカタコンブの壁画に描かれている。
カタコンブでは、地上の権力者カエサルの代わりに天上の王キリストを選んだ信者たちの象徴にすぎなかったと思われるマギは、かくして、10世紀頃には占星術師から王に昇格して王冠を戴き、最初は不特定だった人数も3人に確定して、そのそれぞれがアジア、アフリカ、ヨーロッパという3つの世界と、老年、中年、青年という3つの年齢層の代表者しいうことになっていくのである。その結果、図像の上でも最初は同じ服装をした類型的な群像であったマギたちの間に区別が生じ、それぞれ名前までついて(必ずしも一定ではないが)、ついには、王権の象徴である黄金を献ずる白髪のメルキオールはアジアと老年の代表、神性を象徴する乳香を献げる黒い顔をしたバルタザールはアフリカと中年の代表受難と死を暗示する没薬を献げるガスパールはヨーロッパと青年の代表ということになり、呼称も「マギの礼拝」から「三王礼拝」へと変わってしまうのだ
という。
そのようなマギの礼拝を、ビザンティン及びロマネスク美術から紹介します。


イタリア、ラヴェンナのサンタポリナーレ・ヌオヴォ聖堂身廊東端の壁面モザイク 6世紀
東ローマ帝国(後世ビザンティンと呼ばれるようになる)の皇帝テオドリクス時代とユスティニアヌス時代の部分が混在しているらしい。
マギが異邦人としてエキゾチックな服装で表されていて、背後の植物も少しだけ実を付けたナツメヤシだ。そのナツメヤシの右にマギたちを導いた星が輝いている。


イタリア、ラヴェンナのサン・ヴィターレ聖堂後陣(アプス、アプシス)側壁 547年頃
ユスティニアヌス皇帝の妃テオドラのマントの裾にマギの礼拝が表されているのだが、実際にそのような衣装があったのか、壁面なので描くことができたのかはわからない。皇帝も妃も、都のコンスタンティノープルから遠く離れたラヴェンナ(すでに滅んだ西ローマ帝国の首都)には一度も来ていないのだそうだ。


フランス、 モワサックのサン・ピエール修道院回廊東側の柱頭彫刻 11世紀末
ここには花のような星が2つある。マギたちが大きく表され、聖母子は左端の玉座に座っている。壊れているので確かなことは言えないが、三人のマギたちが近づいてくるにもかかわらかず、その方を見ずに正面を向いている。しかも、幼子にいたっては反対側を向いている。


フランス、ショーヴィニーのサン・ピエール教会内陣柱頭彫刻 1100年以降
ここでは柱頭の1面という限られた空間のせいか、3人のマギが聖母子を取り囲んでいる。星は大きく表され、神の右手が聖母子を祝福している。


フランス、ノアン・ヴィックのサン・マルタン聖堂、身廊東側の壁画 12世紀前半 
キリストの上の方に星が描かれている。その星に導かれたマギは2名しか描かれていない。背後の馬に乗る3人はマギたちを異時同図的に描いたものだろうか。


フランス、クレルモン・フェランのノートルダム・デュ・ポール聖堂南扉口上部の楣石の浮彫 12-13世紀
上の聖母子はマギたちを見ることなく正面を向いていて「玉座の聖母子」風だったが、この聖母子は少し横を向いてマギたちを見ている。ここには星はない。


他にも「マギの礼拝」はいろんな教会を飾っていますが、私の手元の図版はあっても白黒です。くるーぞのお気に入りにも入れている「ロマネスク美術館」には、様々な教会のマギの礼拝が紹介されています。
また、マギたちは聖母子に贈り物を届けた後、天使からヘロデ王のいるエルサレムには行くなと告げられるので、前回の眠るマギの場面はクリスマスではなく、エピファニーの後のことだということに気がつきました。 


※参考文献
「黒マリアの謎」 田中仁彦 1993年 岩波書店
「NHK日曜美術館 名画への旅2古代2・中世1」 1994年 講談社
「ビザンティン美術への旅」 益田朋幸 1995年 平凡社
「世界美術大全集8ロマネスク」 1996年 小学館
「図説ロマネスクの教会堂」 辻本敬子他 2003年 河出書房新社
「磯崎新の建築講義4 サン・ヴィターレ聖堂」 2004年 六曜社