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忘れへんうちに 旅編に、中央アジア各地の旅に続いて、イランの旅を記載し始めました。
その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2006/11/23

金粒を探しながら中国の金工品をふらふら1


では、中国にとっても外来の技法である金糸金粒細工は隋以前のものにどのようなものがあったのだろうか。

「世界美術大全集東洋編3三国・南北朝」で中野徹氏は、
金糸金粒細工は広く全土に普及し、すでに中国の工芸技法として根づいたようである。炭粉のなかに熔金を流し込み、炭粉を核にして表面張力によってミリ以下の金粒を作り、圧延した金糸とともに金板に熔接して文飾を表す技法を金糸金粒細工(granulation)と称している。熔接は、金箔あるいは金粉を鑞とし、ランプの炎に細い管を入れ、小さな火炎放射器としてなされた。いわゆる金糸金粒細工の技術は、はるか昔、遠くエトルスクやエジプトにあり、漢時代の中国に伝わった。シルクロード以前、草原を往来する騎馬の民による手渡しの交流、その細々とした、しかし確実な流れは思いのほかに多くの文化要素を運んでいたのである。
すでに漢時代に簪の飾り、帯金具、佩飾、腕輪など金糸金粒細工を応用した遺品があり、龍の文様や「宜子孫」という文字によって中国人社会の所産であるということが明らかである。魏・晋・南北朝時代の遊牧民が西方から受け取った文化要素の1つとして作った金糸金粒細工もあったが、それらとは別に漢時代から継承した同じ手法の細工のほうが主流であった。

中国で普及した金糸金粒細工は、主体となる金の板を薄くし、鍍金の青銅板に貼り付けたり、金粒を連珠のようにつなぐかわりに、金糸に刻みをいれて似せるというような便法を加えることもあり、そのような中国式の手法は朝鮮半島そして古墳時代の日本へも伝わり、勾玉の冠帽、耳飾り、腕輪などさまざまなものに応用されているという。

金糸金粒蝉文飾 白鶴美術館蔵 三国~南北朝(3世紀前半~6世紀後半)
解説文は、連弁形の金板に金糸金粒細工で蝉文が表されている。蝉の眼には金球が嵌め込まれているという。

金糸金粒嵌玉蝉文飾 馮素弗墓出土 415年
蝉の眼に貴石を象嵌されている。金板の切り抜き、文様の構成、金粒の熔接、それぞれが粗放と、白鶴蔵のものより古い様式を示しているという。

金帯金具 西晋、306年頃  
湖南省安郷県山南禅湾劉弘墓出土 長9.0幅6.0㎝ 湖南省、安郷県文物管理所蔵
「世界美術大全集東洋編2」は、後漢の金製鉸具の伝統を引くものであるが、その作りはより精緻、華麗になっている。
金の薄板を透彫りにして1匹の大龍を形作り、輪郭線などは、やはり金線で表現している。龍身にびっしりと接合された金粒はより小さくなり、象嵌された宝石の数も多くなっている。
鉸具もそれぞれの王朝の中枢部で製作され、たんなる装飾品としてではなく、所有者の身分を表すものとして、皇帝より下賜されたものであろう
という。

好みはともかく、技術的には極上のものだろう。

青銅鍍金透彫龍文帯金具 天理参考館蔵 西晋(3世紀後半)
この龍にはウロコがない。

解説は、金属を透かして装飾したりするのは、すでに商(殷)、周時代の青銅器に始まっているが、それらは范に作りつけた鋳造による表現であった。板金加工の一つとして切り抜き、透彫りする手法は、晋時代に一気に普及したようである。やがて北魏時代の鞍金具や幡の金具などに応用され、朝鮮半島や日本にも伝わった。 ・略・ 雲気の中を駆け巡る龍を表し、それぞれの文様の細部は毛彫りに近い刻線で細くされておりという。
上の蝉文飾の2品もその板金加工か。ということは、この技術が日本に伝わって魚々子って何?であげた法隆寺献納宝物60号の「金銅小幡」などが作られるようになったということやね。

青銅鍍金龍形器脚 久保惣記念美術館蔵 三国時代(3世紀)
刻文の小さな円が3つで1つの文様を作っていて、龍というより豹のようだ。
腹面に節帯状の毛並みを刻むのはこの種の龍に共通の描写で、さらに円点が体表を覆う。その線も円点も細い鏨で刻まれている。このように青銅鍍金器の表面に細い刻線文様を施す装飾は、前漢時代後期の鐘や小型の洗に始まり、魏・晋のころまで盛んに行われたという。
丸鏨で刻んでも、これは魚々子とは言わないのだろうか。ここには金粒はない。

金糸金粒嵌玉獣文玉勝形簪頭 後漢~三国時代(2~3世紀)
この作品は中国へ伝わった初期、漢時代末か三国時代の作であろう、金粒の大きさがまちまちで、金糸も太く、なお技術の未熟が感じられるという。
じっくり見ると、出土時にこびりついていた土がまだあちこちに残っているので、金粒というよりも打ち出したもののような感じがする。
金帯金具 新疆ウイグル自治区カラシャール(焉耆)出土 1~2世紀
湖南省出土のものよりも細工が複雑で、龍にも迫力がある。これは以前に「シルクロード 絹と黄金の道展」「新シルクロード展」で実際に見たことがある。西域の出土物に混じって龍という中国的なものが突然目に飛び込んできたので違和感があったが、この金製品の貴石の象嵌や金粒細工がどちらも西方由来の物とわかれば驚くことはない。
「シルクロード 絹と黄金の道展」は、薄い黄金の板を打ち出しで成形し、粒金や金線をロウ付けして装飾を施し、さらにトルコ石を象嵌している。中央には大きな龍を1頭、その周囲に小型の龍を7頭配し、龍の周囲には雲気がただよっている。 ・略・ それにしても華奢であり、実用品ではなく、埋葬の時に身につけさせたものではないかと思われる。
龍や雲の意匠は中国の伝統にのっとっており、技術水準がきわめて高いことから、漢王朝の官営工房の作と考えるほかはない。 ・略・ このような金製帯金具は異民族の有力者のために特に作られたと見る説もある
という

銅鍍金馬 高6.5cm長4.5cm 後漢(1~2世紀)
解説は、足が短くずんぐりとし、頸部には房のような文様、肩には翼あるいは火炎のような文様、背中から腹にかけては帯、腰には雲気文のような文様などがそれぞれ沈線で表され、鍍金も文様に合わせて施されているようである。という。
この馬の胸にも円文を3つまとめた文様がある。ほかにも円文が刻まれている。金粒はない。

金装飾品 後67年頃の墓より出土
右上の龍が長さ4.6cmという小品ばかりだ。金粒細工や象嵌を駆使して様々なものを作ったようだ。
後1世紀にはすでに金粒細工は中国で定着した技術だったことがわかった。はじめに引用した解説文の中に「漢時代から継承した同じ手法の細工のほうが主流」ということが伺われるような品々である。


※参考文献
「世界美術大全集東洋編2秦・漢」 1998年 小学館 
「世界美術大全集東洋編3三国・南北朝」 2000年 小学館
「シルクロード 絹と黄金の道展」 2002年 NHK