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忘れへんうちに 旅編に、中央アジア各地の旅に続いて、イランの旅を記載し始めました。
その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2006/10/31

アカンサスの葉が唐草に



コリント式柱頭などに表されたアカンサスは知っているが、実際の植物としてのアカンサスがどんなものか見てみたくなった。荒れ地に力強く生える生命力の強さから意匠に使われるようになったと何かで読んだので、ギリシアだけでなく、気候の似通った東地中海周辺地域ならどこにでもある草だろうと思っていた。

シリアで現地ガイドのおじさんが「コランティアン」とフランス語でコリント様式のことを何度も繰り返すので、どの草がアカンサスなのか聞いてみた。こちらが驚くほど、ガイドのおじさんは実際のアカンサスを知らなかった。
首都ダマスクスの世界遺産になっている旧市街にアゼム宮殿というオスマントルコ時代の知事邸がある。その中庭に1株アカンサスのような植物を見つけて聞いてみると「アカンサスかも知れません」ということだったので写真を撮ったはずだが現在行方不明である。その後見学したシリア国立博物館の中庭で夫が撮った写真にいろんな柱頭が並んだ向こうにアカンサスらしき植物が写っていた。しかしこの時私はここにアカンサスがあることに気付いていなかった。気付いていたらもっとアップで写真を撮っていたに違いない。 

結局日本の植物園に見に行ったのだが、確かに栽培するのに半畳分の場所が要ると言われるほどの立派な植物だった。

アカンサスの葉の写真はこちら
このアカンサスの葉が装飾として用いられるようになったのは、『日本の美術358号 唐草紋』によると前5世紀の墓碑の上部、ついで5世紀末以降コリント式の柱頭らしい。
前者はおそらく『唐草文様』の図版(下右)のようなものを指しているのだろう。これはアッティカの墓碑と呼ばれるものの棟飾りらしい。

立田氏は、この、どこか生物的な匂いのする意匠がギリシア世界に登場したのは、紀元前5世紀も終わりに近づいたころだった。場所は、多分、アテネの墓地ケラメイコスではなかったろうか?という。 
また、左の図版のように板碑の上の飾りにもアカンサスの葉は使われていたりする。派手な飾りではなく、仏像でいうと蓮台とか蓮華のように下で受けている葉がアカンサスだろう。

次ぎに、5世紀末のコリント式柱頭であるが、バッサイ・フィガリアにあるアポロン・エピクリオス神殿(前430-410年)内部に、現在知られている限りでは最古のものがあるという。当神殿はアテネのパルテノン神殿の設計をしたイクノティスの作らしい。
『世界美術大全集4 ギリシア・クラシックとヘレニズム』で日高健一郎氏は、この神殿で初めて登場したコリントス式の円柱は、エピダウロス、テゲア、ネメアなどペロポネス半島の後期クラシックの神殿に用いられて意匠の洗練度を高めていったという。
このコリント式柱頭については『ギリシア美術紀行』に1812年に発見されたとして下図が載せられている。

福部氏は、コリントス式柱頭の発明者カッリマコスに本当に関係しているかもしれない、建築史上最初のこのアディトンのコリントス柱頭は今は失われて存在しないが、正確なデッサンが残されているという。
アディトンとは至聖所のことである。
誰がコリント式柱頭を発明したのか意見は分かれているが、問題はアカンサスの葉が下図のどれにあたるかである。
後世のコリント式柱頭からすると、くりくり渦巻の両側の崩れてよく分からないものがアカンサスの葉だろう。しかし、上図の墓碑に表されたアカンサスの葉のように、下図にも上部を受けている蓮弁のようなものが描かれている。これもアカンサスの葉に思える。パルミラの柱頭でも下辺にアカンサスの葉が巡っている。

『ギリシア美術紀行』で福部氏は、エピダウロスのアスクレピオス神域にあるトロス(円形建築物) のコリント式柱頭について、バッサイのアポロン神殿で初めてコリントス式柱頭が使用されてから、このトロスの建造年代が碑銘記録の伝える前360から320年の間だとすれば、まだ1、2世代しか経っていないのに、この柱頭は完全な形式美を備えているといってよく、これほど美しいものは以後の時代にも見出せないのではなかろうかと記し、下図(エピダウロス美術館蔵)をあげている。上図の萼のようなものが、アカンサスの葉として表されている。
そして、このコリント式柱頭と共に下図のトロス天井格間の彫刻(エピダウロス美術館蔵)も載せている。福部氏の意に反して、私は上下逆にしてしまった。何故なら、その方がアカンサスの株からくねくねと茎が、いや波田研のホームページにあるように、花柄はまっすぐなので、これはもうアカンサスの葉唐草と言って良いものがトロスの中心に向かって伸びているようだ。 
そして、前4世紀末、エピダウロスのトロス天井と同じ頃、アレクサンドロス大王の生誕地でマケドニアの都ペラのにつくられた舗床モザイクの帯装飾にアカンサスは唐草となって現れる。これは丸い色石を並べて図を描いたペブル・モザイクという手法で、色は限られるものの非常に美しいものだ。カラーの図版がないのが残念だ。
しかし、中央の鹿狩りらしき主題を囲んだかなり広い帯には、角に表されたギザギザの葉に囲まれた立派な株から出た2本の茎が、蔓をどんどん分岐させて蕾や花をつけて両側に伸びていく、躍動感にあふれた力強いアカンサスを表現している。 
このような図柄は、ほぼ同時代につくられたアプリア式の壺にも描かれていて、パウシアス・スクロールと呼ばれている。ただし下図はギザギザの葉がなく、アカンサスとは言えない。
トルコ(というよりアナトリア)のディディマにあるアポローン神殿に残る柱頭の浮彫にもアカンサスの株から伸びる唐草が表されている。
立田氏は、時代はおそらく紀元前4世紀末から同3世紀初めにかけての頃。片割れのパルメットが独自の活動世界を獲得しはじめた時代。この時代こそ、唐草が意匠として大きく成長し、その形態が千変万化に向かう通過点だったのであるという。 

では、このアカンサスの葉がどのように伝播していったのだろう。 


関連項目
パルテノン神殿のアクロテリアがアカンサス唐草の最初
アカンサス唐草の最古はエレクテイオン?
アカンサス唐草文の最初は?
古代マケドニアの唐草文1 ヴェルギナ

※参考文献
「ギリシア美術紀行」 福部信敏 1987年 時事通信社
「世界美術大全集4 ギリシア・クラシックとヘレニズム」 1995年 小学館
「唐草文様」 立田洋司 1997年 講談社選書メチエ94
「ビジュアル考古学6 ギリシア文明」 1999年 ニュートンプレス
「日本の美術358号 唐草紋」 1996年 至文堂