さて、どのように柿蔕文あるいは四葉文が、釘隠しのような六葉文になったかは、自分の持っている本からはたどることができなかった。
柿蔕文(四葉文)で最も時代の下がったものは後漢末から呉(三国時代内)、紀元後(以下、後とする)3世紀の「青銅仏像夔鳳鏡(きほうきょう)」である。3枚の葉の中には仏坐像が表され、1枚には横向きの仏倚像か菩薩半跏像が表されている。
「世界美術大全集東洋編3三国・南北朝」は、中国の鏡の文様は本来、神仙思想の図像的表現という基本的性格を有していた。3世紀に入って、その文様のなかに少数ながら仏教の図像が混交した例が出現している。・・略・・仏像夔鳳鏡には鈕の周囲の四葉座のなかに正面坐像形の仏(ただし座は西王母と同様の龍虎座になる)を入れたり、・・略。
これらは、いずれも仏像表現としては初現的な印象をぬぐえないものであり、文様全体のなかでの扱いという点からみても、オリジナルの夔鳳鏡のなかに仏像が部分表現として取り込まれたという程度のものであったという。
つまり、仏教の信仰による仏像表現とは言えないということで、揺銭樹や神亭壺と同様に、中国の伝統的な神仙思想のなかに、仏像が取り込まれただけであるということだ。これも面白い問題であるが、しかし、今は「四葉座」という言葉にこだわりたい。
柿蔕座ではなく、何かの葉らしい。
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後2世紀の「百花灯」には四弁花らしきものが枝の途中に付いている。柿蔕に似ていなくもない。枝にこのような状態で葉が4枚ついているのは見たことがないので四葉文ではないだろう。
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「世界美術大全集東洋編2秦・漢」は「大小の四葉文の組み合わさった文様」という表現をしている。
なるほど、四葉文、あるいは柿蔕文の間の、夢ばかりなる日さんの文によると弁と弁の間に亥の目「ハート形の彫り込み」が有るという、大きな猪の目文にあたるところにも小さな蔕あるいは葉が表されている。やっぱり四葉文かなあ。
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同書は、半球形の鈕に四葉(蓮華)文があるという。
なんと柿蔕文どころか、蓮華などという仏教的な植物の名前が出てきた。しかし、前1世紀に蓮華が中国に入っているのだろうか。これも道草を食いそうなので、蓮華はこの際考えないことにする。
それにしても、四葉文にしても柿蔕文にしても、葉の間の鈕から出た突起は何だろうか。
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※参考文献
「世界美術大全集東洋編2秦・漢」1998年 小学館
「世界美術大全集東洋編3三国・南北朝」2000年 小学館