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忘れへんうちに 旅編に、中央アジア各地の旅に続いて、イランの旅を記載し始めました。
その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2006/09/27

法隆寺金堂天蓋から1 敦煌にも


2004年春、奈良国立博物館で『法隆寺 日本仏教美術の黎明』展を見た。数ある展示品の中で私が最も注目したものが金堂の天蓋だった。ということを、飛鳥・白鳳の仏像を調べていて図録を開いて思い出したので、忘れへんうちに書いておきたい。
なお、その図録には、天蓋は作品としてではなく、金堂に吊されたままのものを撮影した写真があるので、それを添付させていただく。

同図録「黎明期法隆寺の美術」で鷲塚泰光氏は「高い位置にあり詳細な観察が不可能 ・・略・・ 今回西天蓋が出陳予定で」と記している。最近まで天蓋の研究が進んでいなかったのか。

金堂西の間天蓋は、奈良博でも吊して展観されていた。往々にして間違っている私の記憶によると、天蓋の上や横に付属している天人や鳳凰は天蓋の両横にガラス越しに見たが、天蓋は吊したままでガラスという邪魔物なしに見ることができた。
細部を眺めていてあれっと思った。記憶にある文様がそこにはあった。これは敦煌莫高窟第407窟(隋)の天井に描かれているものと同じではないのか? 

しかもその記憶は身近に見ているものに重なる。それは敦煌で買った絨毯だった。敦煌莫高窟は午前と午後の見学時間の間見学客は閉め出されてしまう。だからゆっくりと昼食をして、その上絨毯工場の見学までできるくらいの時間がある。
まれにしか行けないからか、夫は海外で買い物魔に変身することがある。その時も絨毯を熱心に見て回り、候補に挙げていた緑っぽいのものは大きさが適当でなく、次点を繰り上げて買った。それが第407窟の有名な「三兎蓮華藻井図」である。

何故有名かというと中央の緑の部分に三兎が駆け回る図が描かれているが、その耳が3つしか描かれていない。それぞれの片方が別の兎の片方の耳になっていて、その意匠が有名なのだ。
実は非公開窟だったので第窟は見ることはできなかった。代わりにというわけでもないだろうが、第窟の小さな白い「三兎蓮華藻井図」を見学したのだった。
だからこの図そのものに思い入れはなかった。しかし帰国後、莫高窟にある売店で買った『中国石窟 敦煌莫高窟二』と絨毯を見比べて驚いた。絨毯はほぼ正確にコピーされていたのだった。そしてそれは中央よりも縁飾りがより精緻に表されていたのだった。
買う時は念頭になかった周辺の装飾が、この絨毯の一番気に入る箇所となった。

そして、この特別展で一層驚いたのは、この絨毯の縁飾りの文様が、というより第406窟の窟頂の文様がほぼ正確に法隆寺に伝えられていたということだった。
鷲塚氏の「黎明期法隆寺の美術」には以下のように描写されている。
図様について略述すると吹返し板の外面(下から見える面)に  ・・略・・  その下に小札形の中に円花文を配する2段の垂幕を配し、再下段には重圏文を数箇描いた逆二等辺三角形の垂幕を置きその間に細かい襞を折りなす幕が下縁に重圏文を描いた縁飾りを伴って作り出される
法隆寺金堂天蓋と敦煌莫高窟の違いと言えば、第406窟は逆二等辺三角形の垂れ幕が重なって、重圏文(1箇)がある方の間にパルメット文のような逆二等辺三角形の垂れ幕が重なっているくらいのものである。

このような装飾文様が敦煌から日本に直接伝わったとは思わない。隋の都長安から西の敦煌へ、また日本へと伝わったのだろうか。法隆寺展から2年以上たった現在、鷲塚氏はもうこの点を解明されているかも知れない。限りなく興味をそそられる問題である。

関連項目

天井の蓮華

※参考文献
「法隆寺 日本仏教美術の黎明展図録」2004年 奈良国立博物館
「敦煌への道 上西域道編」石嘉福・東山健吾著 1995年 NHK出版