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忘れへんうちに 旅編に、中央アジア各地の旅に続いて、イランの旅を記載し始めました。
その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2006/06/19

養蚕と採桑

中国でクワの木というと、思い出すのがこの養蚕の図である。これは河西回廊にある嘉峪関で発見された3世紀(魏晋時代)の墓の画像磚(絵葉書より)である。
これを見て私は、この時代に中国では、クワの木で直接蚕を飼っていたのかと思っていた。線で描かれた松の葉のようなクワの葉に大きなカイコが群がっているように見えたのだ。
しかし、それはどうも私の勘違いだったことがわかった。『イラストガイド シルクロード』(人民中国出版社 1988年)に、嘉峪関6号墓の画像磚に同じような図があり、「採桑」というタイトルになっていた。ということは、私が松葉のように細いと思った線とカイコと思った太い線とでクワの葉を表していたのだろう。よく見ると薄く彩色の跡がある。

「墓室壁画と画像磚」
東晋、十六国時代は、中原は戦乱が続いたが、河西回廊は安定していた。酒泉、嘉峪関一帯の古墓の壁画に、農牧業のさまや墓主の宴会など、平和な題材が多いのも、当時の現実を反映している。
農耕や牧畜の様子が、部門別に細かく描写しているが、注意深い人は、桑の木や桑摘みの場面が多いのに気がつくだろう。当時の河西回廊がシルクロードの要路であると共に、シルク産業の基地でもあったことを物語っている。  ・・略・・
(同書より)

当時のシルクロードは、河西回廊を経て敦煌郊外の玉門関か陽関より西域へと続いていた。その敦煌には西晋墓が2つ公開されている。しかし一磚一画の画像磚が並んでいたが、「採桑」の場面は記憶にない。
その西晋墓は、去年の『新シルクロード第6集敦煌 石窟に死す』で人々が墓参りをしていたゴビ灘の広大な墓地の中にある。昔の人も現代の人も、同じ地に葬られるのである。それは東の敦煌空港が間近に迫り、西に行けば敦煌の現在の街があり、南に行けば莫高窟がある、そんな場所だ。
敦煌の現地ガイドはこの広大な墓地を「タダです。数十年後はミイラになります」と言っていた。その時は、色んな人々や文物が行き交ったシルクロードを思いながらゴビ灘に眠るのも良いかなと思ったが、新シルクロードの現在の墓地の様子を見てイヤだなと思った。


関連項目
四神9 西晋時代の四神はゴビ灘に