夾纈の布を見ていると、花輪の中で鹿が小さくうずくまっていた。しかもその角が妙だった。
夾纈羅几褥 きょうけちらのきじょく 長103幅53.5 南倉
『第65回正倉院展目録』は、褥とは敷物のことである。宝庫には仏前に宝物を献じた際に用いた机が多数伝わっており、本品は大きさなどからみて、こうした机の上敷きとして使われたものであろう。
表に使用されている薄い茶色の生地は、小菱格子文の羅に夾纈染め(板締め染めの一種)で文様を表したものである。主文様は、花葉を円状にめぐらせたなかにうずくまる花角の鹿を表し、他にも回旋形や菱形をした花葉文なども配されている。これらは奈良時代に流行した、いわゆる動物唐花文の系統に属するものであるが、鹿を囲んでいる花葉がやさしい折り枝風になっている点などからも、盛唐風の重厚な雰囲気が薄れて、繊細な和様化へと次第に移行する気配を感じさせるという。花輪の中にいるのは花角の鹿だった。
一見、1本の枝が鹿の周囲を回っているかのように見えたが、拡大してみると、一つの花を咲かせ数枚の葉が出た短い枝が6本で鹿を囲んでいる。
今回は他の宝物にも花角の鹿が表されているものがある。
檜和琴 ひのきのわこと 長156.0頭部幅13.5尾部幅17.0 南倉
同書は、わが国固有の楽器で「やまとごと」あるいは「あずまごと」とも称する。
本品は宝庫の和琴(わごん)中もっとも小形で、唯一華麗に装飾された品である。槽と磯はヒノキ製、底板は環孔材を用いている。槽の頭部は金箔地に樹木、鹿、狩猟する人物などを描いた上に玳瑁を貼り、その内側に柏葉形に切ったシタン材を貼り、螺鈿で唐草文を表す。柏葉形の縁は金銀2線で縁取り、唐草文の蔓には金線が用いられている。槽の尾部は緑地に花卉を描いて玳瑁を貼り、その外側(鴟尾)は6箇の突起を有する櫛形を作り、シタンを貼り螺鈿で小花文を表している。櫛の数より6弦を張っていたことが分かる。螺鈿はヤコウガイを用い、線刻を施している。槽の中心部は素木に金銀泥で麒麟、花角の鹿、鳥、花卉を描くが、これらの鳥獣は綬帯か花枝をくわえているという。
和琴は会場では四方から見られるようになってはいたが、このような現状では白く輝く螺鈿以外は分からなかった。
槽に花角の鹿があるらしいのだが、拡大した図版でもわからない。
描き起こし図でやっとわかった。この花角の鹿は綬帯を銜えて走っている。しかも翼まであった。
有翼の花角の鹿というのは珍しいのではないだろうか。
花角の鹿というのは以前にも見たことがあり、唐時代の中国の貴人たちは、鹿の枝分かれした角に飽きて、こんな妙な角の鹿を好むようになったのかとあきれたものだった。
そしてそれを正倉院展でも見かけることとなり、とっくに記事にしたと思っていたのに、まだだということがわかった。忘れへんうちに今までの正倉院展で見た宝物などと一緒にまとめておこう。
鹿文盤 銀に鍍金 唐、8世紀 高10口径50㎝
1984年河北省寬城県大野鳩嶺出土 河北省博物館蔵
『中国★美の十字路展図録』は、この銀盤は、6弁の菱花形に作られ、盤縁は幅広で、平らな底部には巻葉状の3本の足が付く。盤の中央には前方を向いて立つ1頭の鹿が打ち出されており、頭上の角は霊芝状になった「肉芝頂」を呈している。これと同様の角を持つ鹿は、正倉院の銀盤にも表されているが、ソグドの鹿に見られる枝状の角の表現とは明らかに異なる。広い盤縁には、6弁それぞれに花の文様が配され、いずれも中心の花から左右に葉と実が伸びている。そして中央の鹿と盤縁の花文にのみ、鍍金が施されている。菱花形の器物は、主に7世紀末から8世紀初めにかけて流行しており、また花の文様に見られる大らかな表現などを考え合わせると、この銀盤の制作時期は8世紀半ばまでであろうという。
説明文中の「ソグドの鹿に見られる枝状の角の表現」というのが気になった。鹿の角を枝状に表すことの方がむしろ一般的で、唐に流行した花角の方が特殊だろう。今回の正倉院展でも枝角の鹿を描いた宝物があった。それについてはこちら
とりあえず、今までの記事から、ソグドの鹿らしき図版を探してみた。
「おまけ」の欄をどうぞ
「これと同様の角を持つ鹿は、正倉院の銀盤にも表されている」というのは以下の宝物のことだ。
金銀花盤 きんぎんのかばん 径61.5高13.2重4496 南倉
『第61回正倉院展目録』は、六花形の銀製の大皿。中央には花弁状の角を持った鹿、外周部には三花を一連とする唐花文を配し、文様の部分にのみ鍍金を施している。
皿の中心には表裏にコンパスの軸点跡が残り、コンパスの軸点跡の円にあわせて銀板を切り抜き、内側から鎚で打ち込んで盆形に成形したことがわかる。
花弁状の角をもった鹿は、霊獣・瑞獣の一種であり、唐代の工芸品には吉祥文様としてしばしば登場するという。
歩きながら後方を振り返っていることと、顎髭があることくらいが、上図の鹿と異なっている。
第1回正倉院展のチケットにこの花角の鹿が使われていたらしく、毎回目録の最初の方に載っている。
金銀花盤の鹿の体には、小さな点々が刻まれているが、この鹿には子鹿のような斑点が表されている。
紅牙撥鏤尺 こうげばちるのしゃく 長30.2幅3.0厚0.9 中倉
『第63回正倉院展目録』は、象牙の表面を色染めし、そこに撥彫(はねぼり)を施して図柄を表す撥鏤技法で彩られた物差し。本品は紅色に染めた後に撥彫を施し、随所に緑や黄色の彩色を施す。両面とも横使いで、一方の面は区切りを設けずに、下方に土坡を連ね、樹木や岩で場面をゆるやかに区切りながら、鳥獣(鳥・狐・花弁状の角を持った鹿・虎)をほぼ等間隔に配す。追いかける虎と振り返る鹿のように、横方向の連なりを活かした表現を見ることができるという。
これは金銀花盤の後方を向く花角の鹿を手本にしたのではなく、追われる花角の鹿が、虎がどこまで迫っているか確認するために振り返っているのだった。
おまけ ソグド人は鹿の文様を好んだというので、「中国★美の十字路展図録」の説明でソグドの鹿ということばを使ったようだ。
石棺床飾板 大理石 北周-隋時代(6-7世紀) 個人蔵
『天馬展図録』は、墓主は国際商人として中央ユーラシアの東西を往来し、ゾロアスター教(拝火教、祆教。ペルシア起源)を信仰したソグド人であった可能性が高い。
ササン朝ペルシアで多用された連珠円文の中に有翼馬を描いている。それは単なる装飾ではなく、石棺の主の来世に対する配慮であろうという。
ここでは馬の他に大角羊と鹿が、それぞれ首にリボンをつけ、翼も表されている。
大鹿文錦 緯錦 アスターナ332号墓出土 唐(7世紀前半) 新疆博物館蔵
『中国美術大全集6染織刺繍Ⅰ』は、黄色の綾地に濃紺・果緑・灰緑色の綾文である。円環の中央には頭を高くして歩いている姿の鹿文があり、周りには連珠文を、その上下左右には花を飾っているという。
こちらの鹿に翼はなさそうだが、首にリボンをつけている。
第65回正倉院展6 続疎らな魚々子← →第66回正倉院展1 正倉を見に行く
関連項目
中国のソグド商人
アスターナ出土の連珠動物文錦はソグド錦か中国製か
第65回正倉院展5 六曲花形坏の角に天人
第65回正倉院展4 華麗な暈繝
第65回正倉院展3 今年は花喰鳥や含綬鳥が多く華やか
第65回正倉院展2 漆金薄絵盤(香印座)に迦陵頻伽
第65回正倉院展1 樹木の下に対獣文
※参考文献
「第65回正倉院展目録」 奈良国立博物館編 2013年 仏教美術協会
「第63回正倉院展目録」 奈良国立博物館編 2011年 仏教美術協会
「第61回正倉院展目録」 奈良国立博物館編 2009年 仏教美術協会
「中国★美の十字路展図録」 曽布川寬・出川哲朗 2005年 大広