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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2020/02/04

エトルリアの墓さまざま


タルクィニアのモンテロッツィ墓地では、円錐形の屋根のある建物が墓廟で、地下に墓室があり、その多くに壁画があった。
そして、墓室に骨壺を安置する壁龕があるもの、棺台らしきものがある墓室、石棺か骨壺を入れる長方形の穴が墓室の一角に掘られているなど多様だが、墓室は一室だけで、骨壺を安置する場所さえわからないものが多かった。

『エトルリア文明 古代イタリアの支配者たち』(以下『エトルリア文明』より)は、タルクィニアの美しい墓については、以前からギリシア人の手によるものという仮説がたてられていたが、発掘によって、ギリシア人の工房がこうした作品の制作に直接的な役割を演じていたことが証明された。壁画で飾られた墓は、当時の社会で一番裕福な階級に占有されていたという。

軽業師の墓 前510年頃
多くの地下墓の構造は、一室で、ペディメントには中央の太い柱状のものを挟んで、向かい合う動物が描かれている。

豹の墓 前470年頃
天井中央に平たい梁が通り、その両側に傾斜がある。天井、ペディメント(三角破風)、壁面が絵画によって装飾されている。

墓室(その壁龕の場合も)には骨壺容器が安置されているということだが、タルクィニア国立考古博物館では数多くの石棺が展示されていて、骨壺と共に石棺に埋葬されることがあったという。

ティフォーネの墓(説明パネルより) 前2-1世紀
広い地下墓には中心柱のようなものがあり、天井を補強していたのだろう。
たくさんの石棺が安置され、壁画も描かれていたらしい。
時期的にいっても、ローマの影響を多く受けた墓室である。

イタリアには、エトルリア時代の墓地が各地に残っている。
エトルリア地図(『エトルリア文明』より)
①タルクィニア ②カエレ(現チェルヴェテリ) ③ウォルシニィ(現オルヴィエート) ④ソヴァーナ ⑤ヴォトゥローニア 他は不明



カエレ(現チェルヴェテリ)のネクロポリス
『エトルリア文明』は、まず紀元前7世紀中頃に、いくつかの巨大な墳墓が出現している。そこでは、墓全体が凝灰岩に掘られている場合が多い。また、たとえば有名なレゴリーニ・ガラッシの墓のように半分掘られ、半分建造されている場合もある。そして大墳墓は、なんといっても政治的な性格を備えていた。直径50mにも達するこれらの大墳墓は、そこに埋葬されている首長級の権力と傲慢さを風景の枠のなかに永久に記録しているのだ。一方その周囲には、彼らの被護民の亡骸を納めた簡単なつつましい墓が並んでいるという。
カエレの「死者の町」
上から見るとまるで巨大なモグラ塚のようである。最も古いこの墳墓の半球形は、刳り形装飾のあるコーニス(帯状装飾や玉縁)に飾られた円筒石材に支えられている。これは石材建築技術にかなった装飾である。ポディウム(基壇)から半球形の頂に登ることができる。ここでは葬儀が行われただけでなく、葬祭競技を見る人たちの見物席にもなっていたという。
葬祭競技というのはどんなものだろう。戦車競争をするには狭すぎるのでは?
こんな風に墳丘がポコポコあるところをあっちこっち歩き回ってみたいな~
盾と椅子の墓 前7世紀半ば
『ETRUSCAN PLACES』は、通路から入ると広大な部屋で、大きく浮彫された盾が、たくさんの棺床や背もたれと足置きのある椅子の上に並んでいるという。
下記の5つの椅子の墓と同様に、背もたれのある椅子には人物像または神像がおかれていたのだろう。
動物の絵の墳丘墓 
東方化様式の動物の絵やライオンの像のある墓室という。
真上の天井というよりも、扉口の上の壁面の丸い形から放射状に梁が出ていて、まるで、ユルタのような円錐形に近い天井のように見える。
5つの椅子の墓 前7世紀半ば
通路を進んだ奥の両側に、小さな墓室がある。その一つに足置きの付いた椅子が並んでいる。当初はテラコッタの小像がそれぞれに置かれていたという。
柱頭の墓 前7世紀後半
柱頭が梁の出た天井を支える八角の柱が特徴の墓という。 
アカンサスの葉のコリント式柱頭よりもずっと以前に、植物を象った柱頭がエトルリアに出現している。
浮彫のある墓 前4世紀後半 チェルヴェテリ、バンディタッチアのネクロポリス
『エトルリア文明』は、「トンバ・ベッラ」(美しい墓)とも呼ばれるこの墓の壁や柱は、彩色漆喰(ストゥッコ)浮彫装飾で覆われ、私たちを紀元前4世紀末のチェルヴェテリの貴族の日常生活の場へといざなう。壁龕上部のフリーズには、「戦いを使命とする」一族を表す兜、脛当て、楯、剣が見られるという。
太い角柱の柱頭は、7世紀後半の柱頭の墓の柱頭がアカンサスっぽくなり、周壁の壁龕の区切りにある柱または柱風の装飾の柱頭はイオニア式の渦巻風へと変わったように見える。
それにしても、地上では墳丘なのに、地下の墓室は平天井や、切妻型なのだった。

同書は、カエレに出現した巨大な墳墓のパターンは、同じカエレのバンディタッチャのネクロポリスの出現によって姿を消した。バンディタッチアでは、スペースを節約するために直線の道がしかれ、新しい構造の墓が現れたのであるという。

クロチェフィッソ・デル・トゥフォ Crocefisso del Tufo のネクロポリス 前6世紀 ヴォルシーニ(現オルヴィエート)
『ETRUSCAN PLACES』は、ヴォルシーニのネクロポリスの一つで、街の北西部に位置する。前6世紀を通して、計画的に居住区の近郊につくられた、直角に交わる通りで区画され、碁盤の目状に配置された均一な墓群である。凝灰岩の切石で内と外の2枚の壁を造り、その隙間に土と石を詰めている。楣石のある扉口は玄関ホール、続いて持送りのアーチ型天井のある長方形の墓室、そして小さな尖頭になっている祠へと続くという。

ストゥリの断崖墓 Sutri 前7世紀
『ETRUSCAN PLACES』は、ストゥリがアルカイック期の交易の要衝であったことが副葬品のアッティカ陶器によってってしのばれるという。
凝灰岩の崖に彫り込まれた矩形や半円形の大きな龕の中に、骨壺あるいは柩を安置する穴が複数うがたれている。

ブレア Blera 岩のネクロポリス 
カエレに文化的な影響を受けた最初期の墓は前7世紀、立方体または半立方体の墓は前6-5世紀。彫り込まれた墓の正面は傾斜のある屋根と墓室へ導く扉口があるという。

ソヴァーナ近郊のソプラリパ Sopraripa 岩窟墓群

ヴォトゥローニア Votulonia 小さな悪魔の墓の羨道(ドローモス) 前7世紀第4四半期
外観はギリシアのミケーネ時代のトロス墓に似ている

クイント・フロレンティーナ Quinto Fiorentina モンタニョラ墓の持ち送り天井 前7世紀後半
ミケーネのアトレウスの宝庫とされるトロス墓(前14-13世紀)のような円錐形の墓室または身廊(nave)を目指したのだろう。
ではこのモノリス(一本柱)は?
ひょっとすると、一族の墓室の奥にある祠に祀られた冥界へと導くもの?


関連項目
アトレウスの宝庫はトロス墓

参考文献
「ETRUSCAN PLACES」 2006年 SCALA
「エトルリア文明 古代イタリアの支配者たち」 知の発見双書37 ジャンポール・テュルリエ 1994年 創元社