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忘れへんうちに 旅編では、中央アジア各地、イランの旅に続いて、フランス南西部のオクシタニー地方の旅を記載し始めました。
その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2018/05/15

中国の唐時代の三彩と各地で模倣された三彩


唐時代の俑と言えばまず唐三彩が思い浮かぶが、大阪の東洋陶磁美術館に展示されていたのは、『唐代胡人俑展』も常設展示の作品も、ほとんどが加彩俑で、三彩俑はわずか2点(撮影した作品の数)だけ。
同館の説明は、唐三彩は褐釉や緑釉、白釉(透明釉)など複数の低火度鉛釉が掛け合わされた器物や俑に対する総称です。色釉の組み合わせや白斑などを効果的に用いられた華やかさが特徴です。唐三彩は女帝則天武后の治世(690-705)に都洛陽を中心に全国的に流行し、鞏義窯はその代表的な生産地でしたという。


三彩胡人俑 唐時代・7世紀 高30.8幅8.7奥行6.9㎝ 海野信義氏寄贈 大阪市立東洋陶磁美術館蔵
胡人とは、中国の北方や西方の異民族の人々を指す総称です。唐時代の胡人俑には、シルクロードを通じて活発な商業活動に従事した中央アジアのイラン系のソグド人が多く見られます。この胡人俑も彫りの深い顔で、鼻が高く、あごひげや口ひげをたくわえた特徴からソグド人かもしれません。右手を胸前で握り、左手は腰のベルトをつかんでいるようで、馬や駱駝の馭者かもしれません。都長安や洛陽をはじめ唐の領域に定住した胡人も多くいたようで、異国情緒あふれる胡人の文化は唐でも流行しましたという。
7世紀というと、三彩誕生後間もない頃につくられた作品。
そういうと、色釉の掛け方が、衣裳は褐釉、襟と裾付だけが緑釉と単純である。

三彩侍女俑 唐時代・8世紀初頭 高26.3幅6.3奥行5.4㎝ 海野信義氏寄贈 大阪市立東洋陶磁美術館蔵
長いショール(披帛)をかけたこのタイプの侍女俑は8世紀初頭の洛陽地区でしばしば出土しています。カオリン質の白い胎土などから、この俑も鞏義窯の製品と考えられます。顔には三彩釉が施されていないのは、繊細な表情の描写にはやはり加彩が適していたからでしょう
唐三彩の初期の作品だが、色釉が流れたり、まだらに混じり合ったりする唐三彩の特徴がすでに現れている。

このような俑ばかり見ていたので、昔は唐三彩といえば副葬品だと思っていた。しかし、副葬品という用途に限られると、日本に将来されることはなく、奈良三彩などが作られることもなかったはずである。
唐三彩をまねて日本で奈良三彩が作られただけでなく、唐時代以降も中国では作られたし、西方でも作られた。

緑釉帯の壺 初唐期(618-712年) 高34.0口径11.5胴径23.0㎝ 洛陽龍門出土 洛陽博物館蔵
『大三彩展図録』は、穀物の種を入れ来世にとどける明器であったので、俗に万年壺とよばれた。
緑を地色とし黄と藍色の線に連なる白い点々の線をたて縞とし、緑の帯文様をはば広く器身を飾り水瓜に似せた壺である。また胴の下部に釉をかけず素胎のままとし、上半の装飾をきわだてているという。
副葬品は避けたつもりなのに、これも副葬品として作られたものだった。

真珠文の獣足壺 盛唐期(712-765年) 高19.5口径15.0胴径23.0㎝ 洛陽井溝朱家湾出土 洛陽博物館蔵
『大三彩展図録』は、散りばめられた黄色と緑色が鮮やかな真珠文様を飾る唐三彩壺の珍品。
胴底に蹄のある三足の獣足がつく。壺全身を緑色の地でおおい、黄と白色を不規則に点文様とした真珠文をつくる。肩に小さな三輪の蓮華文のメダイヨンを貼り付けている。
唐三彩には貼り付け装飾が多く、三色の釉とあいまって華麗さを生んでいるという。 
真珠文がそのまま焼成される場合もあるが、釉薬が流れてそれが別の表情を作ることもある。それが唐三彩の特徴でもある。
鞏義地区の黃冶窯でも真珠文の容器が出土している。

三彩洗 黄冶窯第3期(唐代中期、684-840年) 河南省鞏義市小黄冶窯跡Ⅱ・Ⅲ区出土 
真珠文はもっと小さく密に施されている。『まぼろしの唐代精華展図録』では点彩と呼んでいる。

牡丹文の枕 宋時代(北宋:960-1127年、南宋:1127-1279年) 高10.6長32.5厚11.0㎝ 洛陽出土 洛陽博物館蔵
『大三彩展図録』は、宋朝は北方に起った遼朝におされ、ついで興った金朝に破れ、首府を開封から華中の杭州に移し南宋となる(1138年)。宋代は中国陶磁が本格的に開花した時期である。唐三彩は宋三彩として継がれた。
枕の正面には刻花の褐色大牡丹とそれをとりまく緑色の葉を飾る。彫りと色彩の濃淡で立体感をもたせた見事な花文様である。実用枕であったが、唐三彩とくらべると落ち着いた色彩であるという。

波と蓮文の三彩花皿 遼時代(契丹族、916-125年) 高2.7口径13.7底径8.8㎝ 遼寧省博物館蔵
『大三彩展図録』は、このような円形花皿のもとはキッタン人の用いていた木器であった。八弁の花びら形である。器形も文様も型を用いて作っている。底は平たく口は外に開く。いずれもうすい赤の胎土に化粧がけをほどこす。
細い水波文を地文にして、その中心に満開の蓮の花一輪がゆったりと浮かぶ。内壁のまわりを八朶のつぼみで飾る。皿の内側を黄、緑、白色で色どり、外側には白色釉をほどこしているが、その釉色は実にあっさりとして美しいという。

蓮文の三彩小皿 金(女真族、1115-1234年)-元(1271-1368)時代 高2.4口径13.2底径8.5㎝ 遼寧省博物館蔵
『大三彩展図録』は、文様はまさに北方の民族のキッタン、女真あるいはモンゴルの人々がもっとも好んだ図柄。蓮は高貴さを象徴している。
あきらかに遼三彩とは異なり、小皿ながら一種の落着いた雰囲気をたたえている。そして小さな皿の中にデザイン的にも洗練された文様を飾るところに、遼三彩を継ぎつつも、前代を越える作品を生む努力が見てとれる。
丸い口で口縁を外側に折ってやや上に巻く。この口縁づくりに遼三彩と区別される特長を見出す見解もあるという。

牡丹と蓮文の三彩花鉢 元(モンゴル族、1271-1368年) 高15.1口径10.2胴径12.5底径7.4㎝ 遼寧省博物館蔵
『大三彩展図録』は、花鉢は筒形に近い。底に圏足がつき、足壁は厚い。足の内側に等距離で三角形に並べた円形の排水孔があく。
胴に突起した弦文を貼り付けて一周し、その上部に枝をまとう牡丹と蓮花を彫り、圏足の上に仰ぐ蓮の花びらを彫る文様はまことに簡素で、たいへんおおらかな元代的風格を具える鉢である。
元代の陶磁は、大ぶりで厚みがあり、文様もあっさりとし、極めて野趣的な雰囲気である。広大なモンゴル草原に生きた人々の好んだ風格であろうという。
排水孔があるので、植木鉢として作られたものだろうが、それが15㎝ほどのものということになると、かなり小さな花しか植えられなかったのではないだろうか。

中国から将来された三彩容器は、各地で模倣された。

三彩有蓋短頸壺 奈良時代(8世紀) 陶製 総高21.3口径13.6㎝ 伝岡山県津山市出土 岡山県倉敷考古館蔵
『大遣唐使展図録』は、奈良三彩は、中国の唐三彩の影響を受け、日本で作られた三彩陶器である。坏や盤、鉢、壺など様々な器種があり、主に寺院における法会、神への奉納など非日常的な場所で使われることが多かった。
奈良中期頃の須恵器壺にも一般的に見られる姿である。唐三彩にこのような器形はなく、この製作には明らかに伝統的な日本の須恵器工人が関わっていることか分かる。釉薬は緑釉を基調としながら、褐釉と白釉を寄り添えた斑文を、胴部におよそ4段、上下で互い違いになるように点じているという。
点彩は大まかだが、釉薬が流れる唐三彩の特色が出て、当時施釉という技術のなかった日本では、完成度の高い作品だ。
しかしながら、用途が限られていたためか、後の時代には伝えられなかったのだった。

西方でも三彩は模倣された。しかし、好まれたのは、釉の色彩と、それが器体を流れる点だったようだ。

白地三彩流れ文把手つき水さし 9-10世紀 高26.3口径19.5㎝ イラン、ニーシャープール出土 ペルシア・ニッポン・カンパニー蔵
ペルシャ三彩陶器というが、把手側を下にして窯に入れたので、釉薬が横に流れてできあがった。陶工の意図したものだったのかな。

三彩釉刻線獣文鉢 9-10世紀 高11.8口径28.0㎝ シリア出土 岡山市立オリエント美術館蔵
ビザンティン陶器という。
刻線と三彩釉の組み合わせは唐時代から行われているが、伏せて焼成したために見込から口縁部へと流れる色釉が、走るウサギの躍動感に相乗効果をもたらしている。

三彩釉刻線流文大鉢 10-11世紀 高14.0口径44.0㎝ イラン、ニーシャープール出土 岡山市立オリエント美術館蔵
刻線で植物文様らしきものが表され、その上に掛けた三彩釉が、見込から口縁部へと流れている。その間には地の白い色が垣間見える。





関連項目
唐三彩から青花へ

参考文献
「大三彩 唐三彩・遼三彩・ペルシャ三彩・奈良三彩 展図録」 監修江上波夫 1989年 汎亜細亜文化交流センター・第一企画株式会社 
「まぼろしの唐代精華-黄冶唐三彩窯の考古新発見展-図録」 2008年 飛鳥資料館
「平城遷都1300年祭記念 大遣唐使展図録」 2010年 奈良国立博物館他