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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2018/05/08

俑を遡る2 群像編


俑の中には集団のものがある。

楽舞俑内楽人俑群 唐時代・大足元年(701) 土製彩色 高19.5㎝程度 河南省孟津県送荘西山頭村岑氏墓出土 洛陽博物館蔵
『誕生!中国文明展図録』は、発見時には墓主の棺近くに舞踏俑が置かれ、それと相対するように6人の坐楽俑が前後2列に並んでいた。坐楽俑が手にしていた楽器はすでに失われているものの、手の仕草と同時代の俑や敦煌莫高窟壁画などを参考に類推することができる。すなわち縦笛、琵琶、琴、排簫、笙などの管楽器や弦楽器を手にしていたと推測されるという。
初唐期のものなので、顔はふっくらしているが、体は細身。
上衣は長袖の襦に半臂を重ねるが、半臂の左から細長いストール状のものを出し、首へ回して前に長く垂らす。長裙の裾は花びらのように体の縁を巡る。
楽舞俑内舞踏俑群 高28.7㎝程度
同展図録は、舞踏俑の衣はいずれも袖が長い。腕をふったり体を回すたびに、袖がたなびいたことだろう。
当墓からは多くの俑が出土したが、宦官や男子俑の多くは墓室外に置かれ、墓室内は大型の鎮墓俑のほかは、男装する女性俑を含め、いずれも女性俑だった。出土した墓誌によれば、墓主は女性であり、当時女性主人が近侍者として多くの女性を従えていたことがうかがえるという。
後列の女性は双髻、半臂の上に幅広のストールを両肩から広げて垂らす。右手の長い袖は広げずに左手で持っている。
前列の女性は双環で、胡服を着て胸元で帯で締め、長い袖を広げている。

雑技俑 北魏(386-534年) 加彩釉陶 高25.3-27.4㎝ 山西省大同市燕北師院北魏墓出土 大同市考古研究所蔵
『中国★美の十字路展図録』は、雑技は貴人の宴席や市中で好んで興された。なかでも異国情緒あふれる踊りや歌は人気があり、多くの文献や壁画に記録をとどめている。彼らもその面貌から西域の一団と思われる。丸襟の上衣と縁布のある下衣とは中央アジアのペンジケントの壁画にも見出される西域の服装であり、これは雑技専用の衣裳ではなく、普段着として用いられるものであった。ある者は手に楽器を持ち、ある者は口笛を鳴らす。楽器はすでに失われているものの、軽快なリズムが聞こえるようである。中央には額に竿を立てた人物がおり、その上では軽やかな曲芸が繰り広げられるという。
どうやらこれはソグド人らしい。ソグド人がかつて暮らした中央アジアの壁画では見たことのない、楽しい場面だ。

伎楽俑 北魏(386-534年) 加彩陶 高20幅10㎝ 山西省大同市燕北師院北魏墓出土 大同市考古研究所蔵
『中国★美の十字路展図録』は、8体の伎楽俑が持っていた楽器は、今は失われている。手の形からみれば、それは琴、鼓、横笛、縦笛などである。上衣には、表面に花模様をあしらう様がよく見て取れる。彼女らが着ている筒袖の服、十字の縫い合わせがある帽子などは、典型的な鮮卑族のよそおいであるが、本例のように装飾性に富んだものは珍しい。この時期の伎楽俑には、本例のような女性による坐像と、男性による馬上楽とがあった。前者は貴人の邸宅で、後者は貴人の出行の際に登場するという。
柔らかな表情の女性たちは体型もふくよか。

牛車と従者 東晋時代(317-420年) 灰陶 俑:高23.5-31.5㎝ 江蘇省南京市象山7号墓王氏墓出土 南京博物館蔵
『中国★美の十字路展図録』は、胡人は鼻が高く、髭を蓄えている。まだズボンを着用している。胡人が都市部にはかなり移住していたのであろう。これは東晋時代の貴族の出行の情景と考えられるという。
漢人の貴族に胡人(おそらくソグド)の従者たちが多数いたことを示している。

『図説中国文明史4』は、奴隷は荘園内で地位がもっとも低い人たちでした。彼らは土地を失っただけでなく、人身の自由も失っており、荘園主の私的な財産でした。奴隷の売買は、すでに戦国時代のはじめにはなくなっていたにもかかわらず、後漢になって再び見られるようになりました。
荘園における奴隷の仕事は直接的な生産とそうでないもののふたつに分かれた。直接的な生産にたずさわる奴隷はおもに手工業と農作業に従事した。そのほかに家のなかの仕事に従事する奴婢や歌妓・舞妓などがいたという。

最後解牛・解猪 後漢時代(25-220年) 緑褐釉陶 高9.5-11.5㎝ 
『中国古代の暮らしと夢展図録』は、牛や豚は漢代の代表的な家畜であり、これらを屠殺する場面は画像石などにもみられる。手びねりで形成し、褐色と緑色の釉を掛け分けて焼成している。動物の造形のリアルさに対して、人物の表現は極めてシンプルであるが、緊張感のみなぎる一瞬の動きが見事に捉えられているという。
死後も豊かな食生活を送ることができるようにという願いだろうか。

童子 後漢時代 加彩 高20.0・14.0㎝ 
『中国古代の暮らしと夢展図録』は、頭に一つ髷を結い、短い上衣に朱色の帯を締め、筒状のズボンを穿いた2人の童子は、手びねりで形成した後に、ヘラで削り、黒く、硬く焼成している。扁平な丸い顔に、黒で目や眉毛を描き、黒で目や眉毛を描き、鼻梁をわずかに隆起させて、窪ませた口に朱を差している。極めてデフォルメされた人体表現の中に、不思議な迫力が感じられるという。
質素な服装は荘園の子息たちではなく、奴婢の子供たち。荘園内で働く子供達が休憩しているらしい。

幼児の入浴 漢代 陶製 高11.7㎝ 陝西省西安出土 陝西省文物考古研究所蔵
『図説中国文明史4』は、農家の幼児が簡略な洗濯たらいで入浴し、楽しんでいるという。
荘園の一角で暮らす農家の日常風景さえ死後の生活の一部にしている。

食事を運ぶ俑 漢代 陶製 高37㎝ 四川省忠県出土 四川省博物館蔵
花飾りを付けた女性は坏と食べ物を盛った盆を持ち、帽子を被った男性は肉料理をのせた大きな台を膝の上に置き、右手でそれを説明しているようだ。どちらも口元には笑みを浮かべている。
中国でも当時は床に座して食事をしていたようで、2人とも正座している。

彩絵木管弦楽隊 前漢時代 木製 高32.5-38㎝ 湖南省長沙馬王堆1号墓出土 湖南省博物館蔵
『図説中国文明史4』は、漢代、民間にもっとも広く伝わったのは相和歌でした。それゆえ、これに伴奏する管弦楽もさかんになりました。
貴族が擁していた私有楽隊。典型的な小規模の管弦楽隊であり、2人の竽(大型の笙)の奏者と3人の瑟(大きな琴)の奏者からなるという。
粘土のように自由な造形とはいかなかったようだ。一定の太さの木材という制限の中で楽人を彫りあげている。

踏鼓舞踏俑 漢代 陶製 高さ14.9-16.3㎝ 河南省洛陽漢墓出土 洛陽博物館蔵
『図説中国文明史4』は、民間における歌舞の光景。漢代にたいへん評判の高かった「盤鼓舞」が披露されているところ。前列中央の女性は、地面に置かれた7つの盤鼓の上で跳ね踊りながら、リズム感のある音を鳴らしている。動作は難度が高く、舞妓の技と力が示される。盤鼓舞は雑技の技法を吸収して、舞踏の動作と結合し、独特の舞踏形式として漢代に流行していた。
①排簫を吹く伴奏者 ②盤鼓舞を踊る踊り手 ③歌を歌う楽人 ④伴奏に合わせて踊る踊り手という。
楽器も土で作っているので残っている。
全体にざっくりと作られているが、前列右の俑が片足立ちでバランスしているのはすごい。漢族の舞踏だったようで、女性の袖が長く翻っている。

漢代は前漢を指しているものと思われます。

         俑を遡る1 従者編

関連項目
東洋陶磁美術館 館蔵品で見る俑の歴史
東洋陶磁美術館 唐代胡人俑展

参考文献
「中国★美の十字路展図録」 監修曽布川寛・出川哲朗 2005年 大広
「陶器が語る来世の理想郷 中国古代の暮らしと夢-建築・人・動物展図録」 編集愛知県陶磁資料館・町田市立博物館 2005年 愛知県陶磁資料館・町田市立博物館・岡山市立オリエント美術館他