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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2016/04/05

マルグシュ遺跡の出土物5 女神像


トルクメニスタンのマルグシュの一部、ゴヌール遺跡を見学していた時、ヴィクトールさんは王宮の188号室の「開かない窓」で女神像が発見されたといって、その写真を見せてくれた。
王宮についてはこちら
ところが、マリの博物館では女神像は展示されていなかったのか、見逃したのか、写真はない。
『Marguş』という冊子に載っていたのは幸いだった。大きさなどの情報もなければ解説もないのだが。
体に比べて頭部や腕が小さいことその体にはメソポタミアの衣装でとされるカウナケスという羊毛の着衣が大きな柄で線刻されていること、素材はクロライト(緑泥岩)であること、立像ではなく坐像らしいことなどがわかる程度である。

何故実物を見ないのに、クロライト製とわかるかというと、以前に信楽のMIHO MUSEUMで見て非常に印象に残った作品によく似ていたからである。

婦人坐像 前3千年紀後期-前2千年紀初期 アフガニスタンまたはトルクメニスタン南部(バクトリア)出土 緑泥岩、白色石灰岩 高12.4幅12.1奥行8.9㎝ 1083.8g MIHO MUSEUM蔵  
MIHO MUSEUM 南館図録』は、複数の部分で構成されたこの婦人座像は、バクトリア青銅器時代に作られた小像の一型式の珍しい変形であり、独立した6つの部分からなっている。
胴体は、下半身の装飾を施されていない平らな部分に置かれている。
この小像にはかつては脚が付いていたらしく、そのうちの1本はスカートの右側にある小さな溝から突き出していたと思われるという。
いわゆる横座りだと、2本が同じ側に出ることになるが、1本というのはどうなのだろう。
現在このような姿に組み立てられたこの人物像は、異例ともいうべき長く伸びたプロポーションをもっているが、後方に梳いて巻き上げるという頭髪の処理によってさらにそれが強調されている。わずかに鉤形に曲がった鼻、口から頬にかけての量感をもった表現、そして耳の細部を表現していることが挙げられる。羊毛製らしい長衣を着て表現されている。羊毛という素材は、波線か山形線で刻まれた逆三角形で示されている。この長衣は胴体に巻き付けられており、その一方の縁を示す斜めの線が背面にはっきりと描かれている。という。
この婦人座像の方がカウナケスの表し方が細かい。そして、ゴヌール遺跡の王宮出土とされる女神坐像とは顔がかなり違っている。
付属していた可能性のある腕という。親指を出して拳を握っているのはゴヌール遺跡の王宮出土像と共通する。

その後、『古代バクトリア遺宝展』でもクロライト製の女神像が展示されていたが、何となく違和感があった。今になって図録を見比べて、2つの像は違うものだということがわかった。その後も平常陳列でお目にかかっているはずなのに。

女神坐像 前3千年紀後期-前2千年紀初期 緑泥岩、石灰岩、瀝青 高22.5幅22.0奥行16.5㎝ MIHO MUSEUM蔵
同展図録は、この羊毛の房がつけられた衣装をまとう姿の石製婦人坐像の様式は、西中央アジアに特有なもので、緑泥岩の体軀、鮮やかな対比を見せる白い石灰岩の端正な頸と顔面、そして漆黒の髪を表現した瀝青の頭部が印象的である。顔面には裏刳りがなされ、左側の眼は今は失われているものの、右側の眼窩に嵌め込まれた眼が裏から瀝青でとめられている。この構造はメソポタミアの人物像とも共通するものがあり、この種の東イラン、西中央アジア地域由来の像の中で群を抜いて完成度の高いものであるという。
上の像とは髪の質が違うと思っていた。髪に筋も刻んでいない。
カウナケス状の衣装は、単に線刻というだけでなく、一段ごとに僅かずつ凹みをつけて彫り進んでおり、下から見ると、羊毛の房が重なっていることを丁寧に表現している。
最近の発見ではナマーズガ文化の栄えたマルギアナ地方から同類の彫刻の断片が出土したことが知られている。同地域はエラム文化の影響を強く受けていたと考えられ、ゴヌール・テペからは原エラム文字の刻まれた陶片のほか、婦人坐像の意匠の銀製ピンが見つかっているが、これはペルセポリス由来で前3千年紀末エラムのものとされる銀製壺に刻まれている婦人像に大変近いものであるという。
銀製ピンと銀製壺については次回 
その側面
髪にはヘアバンドのようなものが取り付けられていた凹みもある。
また、上の2像には眉や目に色を付けていないが、この像は、女神というよりも実在の人物を似せたかのような容貌である。

女神像 バクトリア出土 前2000-前1900年頃 クロライト、石灰石 10.5X9.5X5㎝ 個人蔵
ゴヌール遺跡出土の女神坐像と非常によく似ている。大きなカウナケス、鼻と耳だけ表された小さな顔。

女神像 バクトリア出土 前2000-前1900年頃 クロライト、石灰石 左:13.5X13X7.5㎝ 右:7.2X6.5X4.3㎝ 個人蔵
『アフガニスタン悠久の歴史展図録』でピエール・カンボン氏は、これらの彫像は青銅器時代のバクトリアを特徴づける作品である。クロライト(胴部)と石灰石(頭部・手)とでできたこれらの彫像は抽象化された表現と形状が魅惑的である。着衣はメソポタミアのカウナケスに似ている。たとえば、スーサやアンシャーン出土の円筒印章の図像にみることができるような前2千年紀初頭のエラムの女王を3次元的に表現したもののようである。これらの彫像が意味しているところは今も不明である。というのも、これらの作品が発見された状況がほとんど知られていないからであるという。
左は、カウナケスの袂から内着の長袖が出て、その先に石灰石の腕が付けられていることがわかる貴重な作品である。どちらかと言えば左右対称気味の女神坐像だが、この像は左側が盛り上がっていて。それに合わせるように左腕も上がり気味のため、腕の出し方が左右で異なっている。頭部は平たい帽子を被ったようだ。
右は小さく、カウナケスの表現も直線的で浅い。こちらも独特の髪型をしている。

女神立像? 前2000-前1900年頃 バクトリア出土 クロライト、石灰石 14.5X8.5X4㎝ 個人蔵
同書は、首から顎のあたりに縦に削られてるのがわかる。ほかの女神にはみられないものである。もしかすると、クロライトでつくられた髭をつけた男神であったかも知れない。両手は腕前で組んでいたようである。襟刳りも坐像のものとは異なるが、衣装にこれほど凹凸が表現された例は珍しいという。
立像というだけで十分特異であるのに、衣服の表現が鎧のようで独特。 
男神像といわれると納得できる。


MIHO MUSEUM 南館図録』は、この種の婦人座像は、カーブルのバザールに多数の作品が出回っていたことから、バクトリア地方のものと考えられてきた。しかしながら、発掘で得られたごく少数の断片はマルギアナ地方(トルクメニスタン南部)の遺跡から出たものであり、この地方が製作の中心地と推定されているという。
このような婦人座像がマルグシュ遺跡(あるいはもっと広範囲なマルギアナ)に製作の拠点があったとは。


         マルグシュ遺跡の出土物4 モザイクの聖櫃

関連項目
マルグシュ遺跡の出土物3 祭祀用土器が鍑(ふく)の起源?
マルグシュ遺跡の出土物2 青銅製印章
マルグシュ遺跡の出土物1 青銅製車輪の箍(たが)
マルグシュ遺跡2 王宮

※参考文献
「シルクロードの古代都市 アムダリヤ遺跡の旅」 加藤九祚 2013年 岩波書店(新書)
「世界美術大全集東洋編15 中央アジア」 1999年 小学館
「MIHO MUSEUM 南館図録」 杉村棟監修 1997年 MIHO MUSEUM
「古代バクトリア遺宝展図録」 2002年 MIHO MUSEUM
「アフガニスタン 悠久の歴史展図録」 前田たつひこ監修 2002年 NHK・東京藝術大学
「Marguş」 Marysyyahat