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忘れへんうちに 旅編に、中央アジア各地の旅に続いて、イランの旅を記載し始めました。
その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2015/05/01

奈良町 大乗院庭園でバードウォッチング




今西家書院は興福寺大乗院家の坊官を努めた福智院氏の居宅だった(「重要文化財今西家書院」リーフレットより)という。今西家書院の北には、その大乗院の庭園が今も残っている。

大乗院庭園図(「名勝旧大乗院庭園」リーフレットより)
リーフレットは、大乗院は、寛治元年(1087)に創建された興福寺の門跡寺院でした。現在の奈良県庁の位置にあった創建当初の大乗院は、治承4年(1180)の平重衛による南都焼き討ち後に現在地に移り、江戸時代末まで続きました。鎌倉時代から室町時代にかけて大乗院は何度かの火災に見舞われますが、宝徳3年(1451)の徳政一揆による火災では伽藍は灰燼に帰し、翌年から関白一条兼良の子息で当時22歳だった門跡・尋尊が復興に努めることになります。
さらに、寛正6年(1465)からは、将軍足利義政の命を受けて、作庭の名手・善阿弥による大乗院の作庭が始まります。文明3年(1471)まで断続的に行われた善阿弥による作庭は、その子・小四郎に引き継がれながら、長享3年(1489)には最終的に建物・庭園を含めた伽藍整備が完了しました。この頃には、公家たちがしばしば訪れて庭景を楽しんだとされ、「南都随一の名園」として知られましたという。
庭園というよりは、島が幾つかある、大きな池のよう。
北は奈良ホテルに通じる道路に接している。紅葉がみごと。
大乗院庭園には、築地塀が復元されている南側から。
文化館に入るとガラス張りになっていて、庭園を一望できる。

大乗院四季真景図(興福寺蔵)
リーフレットは、江戸時代に入ると、大乗院では安定した経済基盤をもとに、数寄屋造建物の建造などが進められます。奈良国立博物館に移されている茶室の八窓庵(含翠亭)は、もともと大乗院にあったものです。また、門跡・隆温によって庭園の各部分に四季の装いを振り分けて描かれた『大乗院四季真景図』は、江戸時代末期の大乗院を知るうえで貴重な史料であり、近世末にも庭園が美麗な姿を保っていたことがうかがえますという。
北側から見えていた赤い橋が正面にある。中島に繋がる橋だった。『大乗院四季真景図』によると、当時は観月社というのがあったらしい。
向こうの大きな屋根が奈良ホテル。
東手前にはその名も三ツ島が。借景という見方が当時あったかどうかわからないが、遠景の銀杏の黄色が目立つのだった。
天理街道側の柵の間からも見えていたが、カモやアオサギがこの島周辺にいる。

しかしながら、文化館から庭園に出ると、東側には行くことができないのだった。
では、西側から庭園を歩いてみよう。中島まで行けるかな。カモが水からあがって寛いでいるのを邪魔してしまいそう。カルガモとマガモがいるみたい。
手前の岸にはハクセキレイかセグロセキレイがいる。
ちょっと動いて背中が見えた。セグロセキレイだった。
園路を西側へ進んで振り返る。右の建物が文化館。
西端まで来ると、隣接した建物に絡まった蔦の紅葉がきれいだった。
バックが計器で無粋だが、一番鮮やか
どこをどのように写すか、庭園も忘れて探していると、シジュウカラが現れたり隠れたりして逃げる様子はない。かといってカメラを構えると、画面から消えてしまう。
格闘してやっと撮れた写真がこれ
カモたちといえば、やはり近づくにつれて池に移動し、気付くと木の下や陰で気配を消していた。
ヒトが早く立ち去るのをじっと待っている。

何時の時代の塀だろう。

天神島に架かる石橋は渡れない。
また別のカモたちが逃げていく。
休憩施設の建物と西小池り複雑な汀。
リーフレットは、平成7年(1995)からは管理団体である日本ナショナルトラストを事業主体として、奈良文化財研究所による発掘調査とその成果に基づく整備が始まります。発掘調査のなかで特筆すべきは、埋まっていた西小池の状況が細部まで明らかにされたことです。室町時代の様相を把握することはできなかったものの、江戸時代の遺構はきわめて良好に残存していたのです。その遺構は、『大乗院四季真景図』に描かれた景色と非常によく合致しました。
これを受け、庭園、とくに西小池の一帯の整備の対象は江戸時代末の状況とし、発掘された遺構を保護する観点から、遺構上に覆土し嵩上げした整備地盤面で庭園を復元する手法を採用しました。ただし、『大乗院四季真景図』に描かれた景石はほとんど残存していなかったことから、景石の復元は行わず、橋と橋挟石だけの復元にとどめていますという。
説明板は、絵図に描かれた「堪雪亭」とみられる建物(あずまや)の痕跡が発掘調査で検出されたことから、その位置と規模に合わせて休憩施設を設置している。なお、西小池は図中の着色した範囲を復元したという。

中島まで幾つかの橋を渡って行き着けるかな。
行く手にはまたセグロセキレイが。
獲物を捕まえた様子。
近づいてみて、やっと赤い橋は渡れないことがわかった。
休憩施設の右手には数寄屋造の建物が並んでいたのかな。

せっかくなので、通行できる橋は渡って戻ろう。
 またしてもセグロセキレイが前方の木橋の上にいる。
しかし、近づくと飛んでいってしまう。

戻ってきても三ツ島のアオサギはほとんど動いていない。
よっぽどエサがいないのかな。最近気に入っているハシビロハゲコウみたいに同じ場所にいる。

室町時代の善阿弥が設計した庭ではなかったが、江戸時代の池泉回遊式庭園を体感できた。
文化館のガラス張りの窓から眺めるだけの人は多いが、天気が良ければ庭園を歩いてまわった方が面白い。

       奈良町 今西家書院2             →依水園1 前園

関連項目
奈良町 今西家書院2
依水園2 後園1
依水園3 後園2

参考にしたもの
「名勝旧大乗院庭園」リーフレット
「重要文化財今西家書院」リーフレット