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忘れへんうちに 旅編に、中央アジア各地の旅に続いて、イランの旅を記載し始めました。
その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2014/11/11

来迎図5 鶴林寺太子堂仏後壁1



鶴林寺太子堂内陣の板壁(仏後壁)は現在では煤で真っ黒だが、九品来迎図が描かれていたことを、1976年に鶴林寺住職の幹栄盛氏が、赤外線写真で発見(『鶴林寺叢書1鶴林寺太子堂とその美』より)したという。

太子堂仏後壁九品来迎図 赤外線写真
『日本の美術273来迎図』は、天永3年(1112)建立の鶴林寺太子堂-もと法華堂-から近年赤外線等によって確認された九品往生図は、鳳凰堂のように堂の外周を飾るのではなく、本尊(釈迦三尊)の背後、いわゆる仏後壁の一間四方ほどの壁面に、左上から右下へ三の字式に順序立てて描かれる。
図はいわゆるやまと絵山水を背景にし、その山の端や山かげを利用して、往生者の家に下降する来迎の諸衆などを描くが、鳳凰堂のそれにくらべれば空間的制約もあって著しく簡潔である。しかし、最も大きな違いは、本図が九品の来迎を経意に即して、阿弥陀聖衆の来迎から三尊来迎、三尊の化仏来迎、そして下品下生の日輪蓮華へと表現を変えて描いている点であり、これに応じて九品の往生者の描写もそれにふさわしい姿に描かれていることであるという。 
かなり以前の特別公開の時に内部を見学し、説明も聞いたが、赤外線写真ですらこの程度なのに、薄暗い堂内で煤の奥に描かれているもの分かるというのは無理な話だった。

写真の絵葉書を購入してほったらかしたまま長い年月が過ぎたてしまったが、来迎図についてまとめているうちに、太子堂内陣後壁の来迎図が気になってきた。
鶴林寺について検索していると、新しい宝物館ができていて、来迎図とその背面に描かれた涅槃図の復元図が展示されているらしいことを知り、久しぶりに出かけてみた。
新しい宝物館は仁王門を入って真っ直ぐの本堂から右に折れ、檜皮葺の屋根を持つ美しい太子堂の前を通って直進した場所にある。木々に隠れて見難いが、寄棟造のすっきりとした建物である。

館内には、太子堂内陣の釈迦三尊像と、高木かおり氏が復元制作した九品来迎図、背面の仏涅槃図、四天柱に描かれていた図が展示されていた。
復元図のおかげで、九品来迎図が細部までよくわかる。持参した絵葉書には九品全てがあるわけではないので、見比べながら絵葉書の絵がどれに当たるのかを確認していった。

上段には、左より上品上生から中品上生までの4図が描かれている。

① 上品上生図 赤外線写真の絵葉書
円形の光背に納まり、蓮華座に結跏扶坐する阿弥陀仏は、蓮台をかかげる観音、左膝を立て合掌する勢至を前にして、聖衆と共に臨終者の家の前まで来ている。
復元模写図
屋舎で僧侶が阿弥陀聖衆に向かって合掌していた。

② 上品中生図 赤外線写真の絵葉書
還来迎(かえりらいごう)のみ表される。ほかに還来迎が表されるのは、平等院鳳凰堂の上品下生図、敦煌莫高窟第431窟南壁(初唐、618-712)の上品中生図、當麻曼荼羅の中品上生図などがある。
復元模写図
山の下の屋舎から来迎雲の尾が出ていて、阿弥陀と聖衆と共に西方浄土へと向かっているのがこのお寺の僧侶であることを示していた。

③ 上品下生図 赤外線写真と復元模写図

月が上品下生図に属するのか、上品中生図の方なのか、分かりにくい位置に描かれている。
僧は宝形造の寺の建物裏の崖の上、三層石塔のそばで、阿弥陀聖衆の来迎を立って待っている。

④ 中品上生図 赤外線写真と復元模写図
阿弥陀と聖衆たちは正面を向いて来迎してきたが、雲の間に建物らしきものはありそうなものの、往生者の姿は見えない。

そして、中段には中品中生から下品下生までの5図が描かれているはずなのだが、手持ちの絵葉書には中品中生・中品下生図・下品下生の3図しかなかったので、説明板を見るまでは、他の図がどこに描かれているのかわからなかった。

⑤ 中品中生図 赤外線写真の絵葉書
阿弥陀より先に到来したのは観音菩薩。山の間を逆S字形に回り込んで、その先頭には観音菩薩が正面向きにいる。
復元模写図
観音菩薩は、金色の蓮台を持ってやってきた。それに乗る人物は、卒塔婆のある崖下で結跏扶坐する僧侶だろう。

⑥ 中品下生図 赤外線写真と復元模写図
丸い光背の中に蓮華座ともども収まっている3体の仏像は屋舎の上で雲の間に浮かんでいる。
着衣の色の違いから、奥が阿弥陀仏、前が観音と勢至だろう。

そしてその下の方には、善行を行う人々が小さく描かれている。

絵葉書
裏の説明は、貧民にご飯や布を施し、布施の善業をする人という。
復元模写図
上品上生から中品中生までは僧侶、中品下生になって初めて在家信者が登場する。

九品来迎図の制作年について『鶴林寺叢書1』は、太子堂はもともとは法華堂と呼ばれており、組物や床下の技法から天永3年、つまり平安時代末期に建てられた建物である。平安時代の骨格を残しながら、建物を拡張し巧妙な改造が施され、壁画や厨子などの新たな荘厳が加えられて、鎌倉時代後期の正中3年にほぼ現状のような姿となったという。
正中3年といえば1326年のことである。この頃の来迎図といえば、すでに立像が一般的で、階金色のことも多い。それが坐像形式で、仏菩薩が丸顔で表されるなど、古様に描かれている。

    鶴林寺太子堂は変身していた←        →来迎図6 鶴林寺太子堂仏後壁2

関連項目
平成知新館3・蓮華座13・来迎図2 斜め来迎図
平成知新館4・来迎図3 山越阿弥陀図(やまごしあみだず)
當麻曼荼羅3 九品来迎図

※参考文献
鶴林寺の絵葉書 
「鶴林寺叢書1 鶴林寺太子堂とその美」 刀田山鶴林寺編 2007年 法蔵館
「刀田山鶴林寺」
「日本の美術272 浄土図」 河原由雄編 1989年 至文堂
「日本の美術273 来迎図」 濱田隆編 1989年 至文堂