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忘れへんうちに 旅編に、中央アジア各地の旅に続いて、イランの旅を記載し始めました。
その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2014/09/30

京博平成知新館1 ザ・ミューゼスの庭に馬町の十三重石塔 



昔々、京都のある所に下宿していた。下宿の裏には京都国立博物館があったが、人は京博の裏に下宿があったのだろうと言うだろう。京博には、授業をさぼっては足繁く通っていた。
当時の建物は明治時代のレンガ造りの本館と、コンクリートの殺風景な新館だった。

近年新館の方は取り壊され、2014年9月13日から平成知新館という名となり、そのオープン記念展「京(みやこ)へのいざない」が始まった。
本館は明治時代の建物で、現在では明治古都館という名称になって、特別展の会場として使われていて、2014年10月7日から「修理完成記念 国宝 鳥獣戯画と高山寺展」が開催されるという。そうなると、大変な見学者となり、小さな絵巻物を右から左へと見ていくだけでもへとへとになってしまうだろう。
それよりも、長年見たいと思っていた作品が、10月13日まで展示されることを京博のホームページで知ったので、何はさておき、それを見ようとやってきた。

9時30分の開館で、9時15分に真ん前のバス停を下りた。当初の予定では、早く着いたら向かいの三十三間堂を先に見学するつもりだった。ところが、門の外側には、既に行列ができていた。しばらく待って早めに門が開き、チケットを買って再びチケットチェックの列に並んだ。
30分に列が動き始め、チェックの後、ややばらけながら人々は平成知新館への通路を進んでいく。ちょっと列を離れて建物の写真を撮りたかったが、「そのまま順番にお進み下さい」というアナウンス。
並んで歩きながら撮ろうとしても、横長の建物なので撮りにくく、撮っても、植え込みや人が邪魔になる。
植え込みを過ぎてやっと西の端まで見えた。全体写真は帰りに撮ることを余儀なくされた。建物はすっきりとして、ガラス面が多く、軽やか。
その前面には水。
建物内より。

まずはお目当ての興福院本阿弥陀聖衆来迎図(後日)を見て、その後適当に見学していった。
館内レストラン THE MUSES はハイアットリージェンシー京都ホテル(博物館の南向かい)直営。平日でもかなりの人出だったので、レストランも混むことが予想された。
昼食は11時からということなので、11時前に1階西端のレストランに行くと、もう人が入り始めていた。テラス席もあった。
庭を眺めていると、十三重塔が隅に立っているのに気づいた。
 待っている間に写真でも撮ろうと出てみると、通路があって、近くまで行けそう。
塔身には何かが浮彫されていそうだが、何もなかった。
十三層全て残っており、上の相輪は横に置かれている。
相輪には複弁の反花があり、台には格狭間が線刻されるなど、目に出来ない部分なのに、丁寧に造られていた。
西側に回り込むと説明板があった。

馬町十三重石塔 北塔:無銘 南塔:永仁3年(1295)銘 鎌倉時代(13世紀)
説明は、この石塔2基は、現在地から北東500mほどに位置する馬町(東山区渋谷通東大路東入ル)の路地裏にあった。塚の上に並んで立ち、源義経の家人、佐藤継信・忠信兄弟の墓と伝えられていた。江戸時代の『都名所図会』に見るように、北塔は5層、南塔は3層となり、地震で落ちたと思われる上層の石は、塚の土留めとして残されていたという。
昭和15年(1940年)に解体修理が行われ、現在の十三重塔の姿に復元された。その際、小さな仏像や塔などの納入品が、両塔の初重塔身の石に設けられた孔の中から発見されている。
両塔は、ともに花崗岩製、南塔の基礎正面に、「永仁3年2月、願主法西」の刻銘があるが、北塔に銘文はなく、2基の十三重石塔が造られた経緯は明らかにされていない。
なお、以前あった相輪部は後補であったため、移設にあたり取りはずしているという。
相輪は色が違うなと思っていたら、後補だった。でも、かなり風化しているので、まだ願主または供養者を知る人のある時代に新しいものがつくられたのかも。
格狭間のある台座はどの時代のものだろう。
家並みの並んだ屋根をバックに塔を撮ったら、一番目立つのは電線だった。
高さはというと、同館のホームページによると6m。

THE MUSESでは軽めの昼食にして、見学が終わってからデザートを食べようかとも思ったが、その時は席をとることが難しいかもと思い、デザート付きのザ・ミューゼスランチににした。 

前菜は本日のスープかグリーンサラダなので、食事はまず野菜からということで、サラダを選ぶ。
酸味の利いたフレンチ・ドレッシングが全体にかかっていて瑞々しく見えるが、ドレッシングでクタクタにならず、パリパリと美味しく頂きました。
メインはカントリースタイルソーセージ、ハーブローストしたチキンのシーザーサラダ、ビーフシチュー・ブルゴーニュ風、オーストラリア産牛肉のリブアイ、本日の鮮魚の中から選ぶ。
牛のほほ肉という文字が目に入り、ビーフシチューに決めた。要するにブフ・ブルギニョン(ブルゴーニュ風牛肉の赤ワイン煮)で、違いはニンジン・小タマネギ・万願寺唐辛子?などが彩り良く配置されていることだ。
昔々、ブルゴーニュの中心都市ディジョンで食べた時は、安レストランだったせいか、巨大な牛肉の塊とは別にポム・フリッツ(フレンチ・フライ・ポテト)が山のように出てきた。その頃は今ほど
大食いではなかったので、どちらも食べきれなかった。
今回はポテトはピュレ(マッシュポテト)状態で具材の下に見え隠れしている。
今の年でどちらか選べと言われたら、もちろんこちらを選ぶだろう。パンをわざと残して置いて、お皿に残ったソースやポテトをきれいに拭き取って戴きました。あまり行儀よくはないけれど。
この習慣は、家庭でお母さんの後片付けが楽なようにお皿をパンで拭き取ったとこからきているとも聞いたことがある。
レストランなどでは、パンを小さくちぎって、フォークに刺して拭いた方が良いとも。そういうと、ジャン・ルイ・トランティニャンがパンを小さくちぎっては皿にポンと入れ、フォークでソースを付けて食べているシーンを思い出したけど、どの映画だったかな。若い頃にこれを見て、なるほどこうすればスマートだななどと思ったが、とてもマネはできまへんでした。
そしてデザートコはクリームブリュレか本日のタルト。もちろんタルトを選ぶ。
出てきたのは栗のタルト!濃いめのコーヒーとよく合いました。

レストランは1階西の端にある。建物の西の端にも出入り口があるので、そこから出て明治古都館を遠望。
 見学後、噴水越しに平成知新館を撮った。十三重石塔も小さく写っている。

この広場の南側にも植え込みがあって、そこには十三重石塔の片割れが、部品を一つずつ並べてあった。塔身は説明板の向こうに置かれている。
相輪の下の台座には格狭間も蓮弁もない。
ちょっと紅葉が始まっていて、いい感じ。この時は曇っていて、青空がないのが残念。
どれが初層の屋根か見分けられないけれど・・・左端かな。

馬町といえば、学生時代の下宿に一番近いバス停、あるいは電停だった。当時は京都の市電の最末期で、なくなってから40年近くになるが、京都といえば、今でもあの騒音と共に車体が脳裡をかすめる。この京都国立博物館も、東側の東山通、南面の七条通に市電は通っていた。

この十三重石塔が、私の学生時代から京博に屋外展示されていたかどうかは思い出せない。しかし、何時の頃からかあったはず。
2013年に『ボストン美術館所蔵日本絵画名品展』を見に来た時に写していた。この配置では、東側の相輪台座に格狭間があるので、これがレストランの庭に置かれているのだろう。

この時は、すでに平成知新館の一部が、というよりも大部分が見えていたことを今になって知った

      →平成知新館2・蓮華座12・来迎図1 興福院本阿弥陀聖衆来迎図

関連項目
平成知新館3・蓮華座13・来迎図2 斜め来迎図
平成知新館4・来迎図3 山越阿弥陀図(やまごしあみだず)
平成知新館5 南宋時代の水墨画

※参考サイト
京都国立博物館の馬町十三重石塔