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忘れへんうちに 旅編に、中央アジア各地の旅に続いて、イランの旅を記載し始めました。
その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2014/09/02

蓮華座5 龍と蓮華



韓半島三国時代の仏像の中に、反花の重なる蓮華座があって気になった。

菩薩立像 百済、6世紀中葉 通高11.2㎝ 忠清南道扶余郡軍守里廃寺木塔址出土 ソウル、国立中央博物館蔵
『小金銅仏の魅力』は、頭に大きな三花(さんか)と思われるものを乗せ、冠の太い飾帯を肩まで垂らし逆火頭形の頸飾をつけ、顔は方形に近い丸顔に目鼻を明確に表し、交叉する天衣も 太く明瞭で左手はこれまでと異なってハート形の宝器を下げる。体軀は短めで、両足は伏蓮三段重ねの蓮台にしっかりと立っているという。
頭部や着衣が東魏の仏像に似た菩薩である。蓮華座は3段には見えないが、三段重ねの蓮華座というらしい。

そっくりの仏像が東魏時代のものにあった。やはり東魏の造像様式の影響の濃いものだったのだ。

金銅菩薩立像 東魏時代(534~550) 高さ11.2㎝ 
『中国の金銅仏展図録』は、三花冠タイプで、直立している。このような魚鰭状の天衣はわが飛鳥仏にも取り入れられ、飛鳥仏の源流を探る点からも東魏のこのタイプの像は重要である。矢張り三尊の左脇侍であったか?という。
蓮華座も素弁の受花が重なっている。よくわからないが、これも三段重ねなのだろう。

このような三段重ねの蓮華座を持つ仏像は日本にも請来され、法隆寺が所蔵しているのだが、何とその下には龍がいた。

菩薩立像部分 韓半島三国時代 銅造 高さ8.7㎝ 法隆寺蔵
『東アジアの仏たち展図録』は、飛雲に乗る竜の口から吐出された蓮華上に、両足を揃えて立つ菩薩像が半肉に表されている。菩薩像は上半身を失っているが、わずかに左にひねった体勢や足下の竜頭の向きから、もとは中尊の右脇侍であったことがわかるという。
着衣や天衣が蓮華座に掛かるか掛からない程度の違いはあるにしても、蓮台に立つ足や蓮弁などは上の2体とよく似ている。
また、足下の蓮茎の表現が、法隆寺に伝わった甲寅年(594)銘光背と近似しているので、同時期の制作と考えられるという。
龍の頭は蓮華座直下で右を向いて、口から蓮茎を出している。上の菩薩たちも、このような龍から出た蓮茎が伸びた上に咲いた蓮華の上に立っていたのかも。

光背 法隆寺献納金銅宝物196号 韓半島三国時代甲寅年(594)銘 銅造 高さ31.0 東京国立博物館蔵
これが韓半島の遺例とされる作品。
同書は、八葉蓮華文の頭光とそれをめぐって身光の形を輪郭する蓮唐草文、化仏を配した縁光部の火焔文の意匠など、韓国に伝わる辛卯(571)銘の金銅無量寿三尊像の光背に近接した表現がたどれるから、刻銘の甲寅年を594年と考えることができるという。
そう言われるほど似ているかな。

法隆寺蔵の菩薩立像について同書は、これと共通した形式を示す6世紀の金銅三尊像が、中国・山東省諸城県から出土しており、またその影響を受けた同じ形式の遺例が、韓国の三国時代金銅仏にも知られているところから、6世紀の渡来仏と解することができるという。

菩薩三尊像 北斉時代(550-577) 銅製鍍金 総高17.8㎝ 諸城市博物館蔵
『山東省の仏像展図録』は、大きな舟形光背の内に円形の蓮華座に立つ菩薩と、脇侍菩薩を表している。両脇侍菩薩は、主尊の蓮華座から伸びた蓮華に立っていたと思われるという。
中尊は半球状の台座に素弁の反花と受花のある蓮華座、脇侍菩薩は受花だけの蓮華座に立っている。脇侍菩薩の蓮華座の下には、蓮の葉や蕾が数本の蓮茎と共に表され、やや繁雑な造形となっているが、この中に龍はいそうにない。

青州では石造三尊像に龍の登場するものがある。

仏三尊像(右脇侍) 北斉時代 石灰岩・彩色・金箔 総高87.5㎝ 龍興寺遺跡出土 青州市博物館蔵
同書は、両菩薩はともに足元の龍が吐き出す蓮華の上に立っているが、右側のインド風脇侍は一つの蓮華に立つのに対して、中国風の左脇侍は二つに分かれた蓮華にしている。
菩薩の立つ蓮華を吐き出す龍の、長い頸を捻るようにして振り返る造形は少し遡る可能性も否定できないという。
中尊、脇侍ともに蓮弁のない蓮台に立っている。脇侍菩薩の台座の下には、縦に二つに折れた葉が、ほぼ左右対称に表されている。
龍は蓮華を吐き出すというよりも、中尊の背後と蓮華が離ればなれにならないように、両前肢を突っ張っているように見える。

仏三尊像 東魏時代(534~550) 石灰岩・彩色・金箔 現状高134.0㎝ 龍興寺遺跡出土 青州市博物館蔵
同書は、龍が吐き出す蓮華上に立つ両脇侍という。
北魏滅亡後、山東省は東魏、北斉と短い王朝が続いた。この像は上図と同じ寺址から出土したもので、よく似ている。青州ではこのタイプの三尊像が造り続けられたのだろう。
一見して異なるのは、容貌だが、上図の左脇侍は本像のいかにも東魏時代の仏像の面影を残した丸顔である。

このような石造三尊像は諸城市からも出土している。

弥勒三尊像 東魏武定4年(546) 石灰岩 総高45.0㎝ 諸城市出土 諸城市博物館蔵
同書は、三尊の基本的な形状は北魏以来の伝統的な中国風に則っており、脇侍菩薩が龍の吐き出す蓮華上に立っている点も、主尊の台座となる蓮華の芯が長く伸びて、枘となり、さらに下の台座に差し込まれる形で立てられていた点も、三尊像になどに見られたものである。主尊の微笑みを浮かべる顔、撫で肩の体形、左右に張りを見せない衣の表現はなんとも穏やかで、東魏の最末期の傾向をよく伝えているという。
この作品は、龍の体は上図よりも浅く彫られているとはいえはっきりしているが、吐き出された蓮華ははっきりとは残っていない。中尊のもの同様、脇侍の蓮台も高いのだが、左脇侍の足元には、蓮華というよりも、蓮葉が開いているかのよう。

釈迦三尊像 東魏天平3年(536) 石灰岩・彩色 現状高145.0㎝ 龍興寺遺跡出土 青州市博物館蔵
同書は、如来の足元には菩薩が立つ蓮華を吐き出す2頭の龍が表されているという。
龍は上図よりも高浮彫されている。左の龍が吐き出した1本の茎から分かれた内の中央の2本の茎が上に伸びて、2枚の蓮華が蓮台となっていて踏割蓮華風。

仏立像 石造 高さ46.5㎝ 東京大学考古学列品室蔵
『シルクロード華麗なる植物文様の世界』は、仏の頭光は中央に蓮の花を、その周囲にS字にくねらせた唐草文を配置する。仏は蓮の花の上に、その左右両側に侍る羅漢二人は葉の上にそれぞれ立ち、おそらくはこれらの蓮の花や葉が同根であることを想起させる。また、頭光の上には蟠る一対の龍が表現されているという。
中尊の蓮台から出た茎が枝分かれせず、両側の羅漢の立つ蓮葉に直接繋がっている。
龍はといえば、頭光の上でじゃれ合っているようにも見えるが、頭光から茎が伸び、それを左右から銜えている。唐草文を2頭の龍が吐き出していることを示しているのだろうか、それとも蓮華だろうか。結局は、龍が吐き出した蓮華が頭光となり、仏の立つ蓮台と繋がり、そこから出た茎から羅漢たちの立つ蓮葉が出ていることを示しているのかも。

東魏時代には、三尊像の脇侍菩薩の蓮華座が龍の口から吐き出されたものだとしても、それは蓮の葉であって、冒頭に挙げた反花の重なった形式のものはなかった。しかし、そのような反花の蓮華座に立つ仏立像もあった。 

仏立像 東魏時代 総高21.5㎝ 龍華寺遺跡出土 博興県博物館蔵
同書は、像本体と台座、光背を別々に鋳造し、台座には像本体とともに造り出された蓮肉下の枘で立てられている。元来は別に鋳造した脇侍菩薩を従えていたと思われるが、現在は欠失していて、左右に枘を残すのみである。
台座は円形の基壇の上に、径のやや小さな円形壇を造り出し、その上に強い膨らみのある蓮弁(後ろ側では膨らみを減じ、中央に鎬を見せるものもある)を三重にしている。なお中段の円形壇の正面に博山炉と2頭の獅子の浮彫を施しているという。
仏三尊像の両脇侍菩薩が失われたものとは思わなかった。独尊像にも三段重ねの蓮華座もあり、この種の蓮華座に龍が登場しないものもあるという例としてこの像を挙げたに過ぎない。
蓮華座に獅子座の付くものもあるとは。

龍の登場する三尊像は、東魏時代に始まったものと思っていたが、北魏時代には造られていた。しかも、青州や諸城といった山東半島ではなく、黄河中流域だった。

如来三尊立像 北魏末-東魏時代(6世紀) 銅造鍍金 総高35㎝ 西安市未央区六村堡大劉荘出土 陝西歴史博物館蔵
『中国国宝展図録』は、光背上部中央に、法隆寺釈迦三尊像と同じような宝珠が表されるが、宝珠下から蓮華が繁茂するのは本像に独特である。台座正面、台座横の装飾の龍はいずれも口から蓮華を吐き出している。台座横の蓮華は、茎の1本が脇侍の乗る蓮台につながる意匠であることがわかるという。
中尊は逆円錐形の台座に立ち、それは2段の複弁反花となる台座に差し込まれている。北魏末-東魏時代、すでに複弁があった。
一方、脇侍菩薩は2段の素弁反花の台座に立っているように見えるが、これも三段重ねの蓮華座かな。
その下は装飾的な透彫が支えるが、目を凝らすと、飛雲に乗る龍が、口から複数の蓮茎を吐き出し、それぞれの先には開ききらない葉や蕾が付いているようである。巻いた葉の2本で、脇侍とその蓮華座を支える形になっているように見えるのだが。
ともあれ、韓半島三国時代制作とされる法隆寺蔵の菩薩立像部分に繋がる龍と蓮華と複数段の反花という造形は、確かに中国で生まれたものだった。

如来三尊立像 北魏(6世紀前半) 石造 高さ96㎝ 河南省淇県出土 河南博物院蔵
同書は、北魏時代(439-534年)には、およそ5世紀末期頃から、それまでの西方様式に連なる仏像とまったく異質で、中国の伝統的な要素の色濃い仏像が作られるようになった。袖が長くのび、衣の裾を足下まで垂らして左右方向へ張り出させた漢民族風の衣服をまとう仏像である。曲面をもととした起伏のある立体表現から、平面を基調とし、線刻による仕上げを要とした表現への転換という、造形の根本に関わる変質といえる。
本像は、こうした中国独特の作風がほぼ確立された6世紀初期頃の作と見なされるという。
今は失われているが、如来の下に出ている枘が蓮華座に差し込まれていたのだろうか。
足元の枠と思っていたものの左右には龍頭が出て、更に龍の口からは一本の蓮茎が上に伸び、開ききらない蓮華の上に脇侍菩薩が立っている。

龍は中国の想像上の動物で、それが外来の宗教の造形にも入り込んで来た。蓮華を吐き出す龍の表現では、この像が一番簡素で、しかも龍の口から出た茎は蓮華に繋がっている。このような構造から、龍の体全体が表され、華麗な蓮華や飛雲と組み合わされた造形となっていったのだろう。

おまけ
観音菩薩三尊像 隋仁寿元年(601) 銅製鍍金 総高21.2㎝ 博興県龍華寺址出土 山東省博興県博物館蔵
『中国・山東省の仏像展図録』は、左右に主尊の台座から伸びた蓮華上に立つ脇侍菩薩を配しているという。
上に挙げた北斉時代の諸城市博物館蔵菩薩三尊像と同様に、ここにも龍は登場しない。
数本の茎から出た蓮華の葉や花の表現が、かなりあいまいになっている。それは、中尊の蓮華座の脇から出た複数の蓮茎が、脇侍菩薩の台座を支えるという三尊像がそろそろ終わりに近づいたことを示しているのだろう。 

     蓮華座4 韓半島三国時代←        →蓮華座6 中国篇

関連項目
これらの菩薩像に見られるX状の瓔珞や天衣についてはこちら
蓮華座1 飛鳥時代
蓮華座2 法隆寺献納金銅仏
蓮華座3 伝橘夫人念持仏とその厨子
蓮華座7 中国石窟篇
蓮華座8 古式金銅仏篇
蓮華座9 クシャーン朝
蓮華座10 蓮華はインダス文明期から?
蓮華座11 蓮華座は西方世界との接触から

※参考文献
「東アジアの仏たち展図録」 1996年 奈良国立博物館
「中国・山東省の仏像-飛鳥仏の面影-展図録」 2007年 MIHO MUSEUM
「中国の金銅仏展図録」 1992年 大和文華館
「中国国宝展図録」 200年 朝日新聞社
「シルクロード 華麗なる植物文様の世界」 古代オリエント博物館編 2006年 山川出版社