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2014/05/16

ギリシアの生命の樹の起源はアッシリア



ギリシアの生命の樹の最初は陶器に描かれた一本の木だった。一本の木というよりも、双葉に花が咲いているようなものだ。

プロト・アッティカ式アンフォラ 前660年頃 ポリュフェモスの画家 高さ142㎝ エレウシス考古博物館蔵
『世界美術大全集3エーゲ海とギリシア・アルカイック』は、なお幾何学様式の陶器装飾法の名残をとどめるものの、文様自体は花文と葉文が集まって一本の木となり、あるいはロータス、パルメットといった、その後のギリシア文様の基本となる植物文様が登場しているという。
一本の木は左の黒い人物の足の間にある。しかし、これは花文と葉文が集まったのではなく、アッシリアの生命の樹を採り入れた文様ではないだろうか。


ギリシアの東方化様式の時代に制作された青銅製品に、「一本の木」に似た植物が表されている。

円錐形の台 前8世紀 青銅製 オリンピア考古博物館蔵
同書は、前700年頃からそれまでのギリシア式の鼎に代わって、オリエント直輸入の形式が登場する。比較的平らな釜を円錐形の台脚に載せる着脱式のタイプで、この新型の釜の原産地は主な出土地である東アナトリアのウラルトゥないし中央アナトリアのゴルディオンとも考えられるが、北シリア地方の石造レリーフとの様式上の類似点も多く、詳細はなお不明である。
いずれにせよこのオリエント製の鼎は東方化時代に入ったばかりのギリシア人の想像力を強く刺激したらしい。ギリシアの主な神域であるオリュンピアやデルフォイ、サモス島のヘライオンで多数の類品が出土し、また幾何学時代最末期のアテネでこの新型の鼎を模した器形の陶器が登場し、あるいはこの釜を描いた後期幾何学式や初期プロト・コリントス式陶器画も存在するという。
その大流行したオリエント様式の鼎の台脚には、行進する有翼精霊の間に、ポリュフェモスの画家が人物の足の間に描いた「一本の木」によく似たものが描かれている。
それは、花というよりも蕾のようなもので、2段ある葉は渦巻いている。
それよりも、別の鼎の想像復元図には、直接見て元にしたのではないかと思われるような植物が描かれ、翼の下にはその植物が生え出たような図があり、また有翼精霊の間には、葉はないが、大きな蕾あるいは、これから伸びる葉のようよなものが表されている。
おなじく、オリンピア考古博物館の別室に展示されていた、後期ヒッタイトの青銅板にも同様の植物が打ち出されていた。
対獣文の青銅板 前8世紀 後期ヒッタイト時代のアッシリア様式 オリンピア考古博物館蔵
互いに後ろを向きながら、「一本の木」を挟んで向かい合う、羊のような草食獣が打ち出されている。
この「一本の木」は、先が巻いた葉?が3段表され、その上に大きな蕾がのっている。葉の段数に違いはあるものの、これらはポリュフェモスの画家がプロト・アッティカ式アンフォラ(前660年頃)に描いた「一本の木」の起源となるものに違いない。「一本の木」はオリエント由来の生命の樹だったのだ。

これらの生命の樹に似たものを探していくと、

生命の樹と動物 前6-5世紀 トルコ、パザールル出土 壁面装飾タイル 高32㎝幅42㎝ アンカラ、アナトリア文明博物館蔵
『世界美術大全集東洋編16西アジア』(以下『東洋編16』)は、パザールルはフリュギア時代の遺跡である。西部アナトリアでは伝統的に建物の外壁に幾何学文様のタイルを施し、床は多色モザイクで装飾したが、パザールルもこうした形式を踏襲している。胎土は、明るい黄褐色を呈し、褐色、黒色、赤色を用いて聖樹(生命の樹)を挟んで立ち上がった2頭の山羊を描いている。生命の樹と山羊はメソポタミアの伝統的なモティーフであるという。
ポリュフェモスの画家のアンフォラよりも後につくられたタイルだが、葉が対生するのが共通する特徴だ。

やはりギリシアの生命の樹はメソポタミア起源だった。

     生命の樹の枝が巻きひげに←    →アンテミオンはアッシリア?


関連項目
生命の樹を遡る
アクロテリアは生命の樹
パルテノン神殿のアクロテリアがアカンサス唐草の最初
ギリシア神殿10 ギリシアの奉納品、鼎と大鍋
オリンピア考古博物館3 青銅の鼎と鍑(ふく)

※参考文献
「世界美術大全集3 エーゲ海とギリシア・アルカイック」 1997年 小学館
「世界美術大全集東洋編16 西アジア」 2000年小学館
「大英博物館 アッシリア大文明展 芸術と帝国図録」 1996年 朝日新聞社