お知らせ

忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2013/11/29

ギリシア神殿9 デルフィに奉納した鼎は特別 



デルフィの主な遺跡アポロンの神域についてまとめていると、青銅製鼎がたくさん奉納されていたらしいことがわかってきた。しかし、遺跡に鼎がそのまま置かれていることもなく、かといって考古博物館に陳列されているものといえば、付属品も含めてわずかなものだった。オリンピア考古博物館の青銅鼎と比べると、かなり見劣りがする。

『DELPHI ARCHAEOLOGICAL MUSEUM』は、最初期の最も多い奉納物は青銅製鼎である。大鍋と見なされている調理容器は3本の脚に支えられている。鼎は金属的価値から、競技の賞品、神域への奉納物となった。しかしながらデルフィでは、鼎は特別なシンボルとしての意味がある。それは単に、他の聖域のような奉納品ではなく、アポロンの予言と信託を告げる手順に必要なものだった。女預言者であるピュティアは、鼎の上に坐った時だけ、貴重な神の言葉を授かりお告げとして伝えることができた。そのために、鼎は予言のシンボルであり、それを保証するものとなった。鼎を持つことは信託を支配することでもあった。
デルフィは岩山という地勢で、自然災害や後世の略奪から守ることができなかったために、無傷の鼎は一つもない。それは、アルフェイオス川の堆積物が多くの青銅製容器を覆い、保護することとなったオリンピアとは対照的だ。しかしながら、大量の大鍋の破片やその付属品が、形を復元する技術をペロポネソス半島やアッティカの青銅器工房にもたらしたという。

最初期の鼎は想像復元図でしか見ることができない。

鼎 幾何学様式時代
同書は、幾何学様式のタイプは、前8世紀を代表するもので、3本の脚と2つの直立した円形の把手は、鎚打ちで成形した大鍋の口縁にリベットで取り付けた。彫金や打ち出しの技術で幾何学的なパターンの装飾を施したという。
把手は幾つか展示されていて、それぞれ文様が異なる。透彫もあれば、浮彫もあるし、上に乗っているのは鳥や獣のようだ。
幾何学様式の鼎の把手 前8世紀中葉 上写真の右側
透彫で2連のジグザグ文が施され、その頂部にはニワトリのような鳥が留まっている。
鼎との接合部分はかなり厳重につくられている。 
幾何学様式の鼎の把手想像復元図 上写真の左側に似た把手
おそらく透彫ではなく、外側は渦巻と斜線の連続文を、内側はジグザグ文の浮彫だろう。
頂部には尾の長い馬が立っていて、把手の両側に人物が一人ずつ、両手で把手を支えるような格好をし、左足を前に出して鼎の縁に立っている。

同書は、青銅の幾何学様式の小像は最初の鼎が造られた直後に登場した。小像は都市国家の奉納品の台座に立っていたか、大鍋の把手か口縁を飾った。人間に似せた小像のほとんどは男性像となり、女性小像が主役だったミケーネ時代以来、歴史的な変化となった。兜を被った戦士は槍を振りかざし、馬は重装歩兵と騎士という上流階級の地位を象徴するものだった。
像は厚みがなく、すらっと背の高い幾何学様式時代の像で、小さな彫刻作品であるにもかかわらず、立体表現よりもデザインが優先されたという。
ミケーネの女性小像についてはこちら
戦士小像 青銅 前8世紀
楯を持ち、槍を振りかざす姿を表しているというが、槍は木製だったのだろうか。それとも青銅製のものが失われてしまったのか。
目も表されない荒削りな顔で、他の小像とは趣を異にする。
戦士小像 青銅 前700年頃
コリントス式兜を被っているという。
コリントス式兜はオリンピア考古博物館に幾つか展示されていた。鼻筋まで一鋳で作り、両目と鼻から下の部分がないのが特徴だ。おそらくそのような兜を被っているのだろう。
馬小像 青銅 前8世紀中葉
穴の開いた台に立っている。
頭部は簡略な表現で、胴体も細い。幾何学様式の壺に表された馬を思い起こさせる。
幾何学様式の壺については後日
馬小像 青銅 前8世紀
幾何学様式の鼎の把手を飾っていた。
地面を蹴って勢いよく走る馬の姿をよく捉えている。
たてがみまで表現され、胴も太い。上図よりも時代が下がるのでは。

下の三脚も出土物かな?
元々脚のない大鍋で、細長い三脚の上に載せるものだったのだろう。
背後にはオリンピア考古博物館にもあったような、想像復元図があったが、この大鍋にはグリフィンやライオンの頭部を取り付けた穴はない。
その想像復元図
オリンピア考古博物館には、このデルフィの鼎の想像復元図が描かれていたかと思うほどよく似ている。
外側を向いた3つの鳥グリフィンの頭部と内側を向いたライオンの頭部が3個。そして背中に鐶の付いたセイレンが1対、翼を広げて向かいあっている。

同書は、前8世紀末、東方からデルフィにもたらされた物は、ギリシア全土からの奉納品と共にやってきた。ギリシア商人と小アジアの船乗りが運んで来た品々は、エキゾチックで目立った。しかし、前7世紀には、大量の豪華な金属製品、新しい技術と奇異な装飾文様で神域は埋め尽くされ、美術革命が起きた。近東の国々やアッシリア、ヒッタイト、ウラルトゥなどの古い文明との関わりは、前7世紀にギリシア全土でごく普通のものとなった。
東方様式の奉献品は、新たな鼎のタイプ、おそらく北シリア地域を起源とするものに取って代わった。鎚打ち出しの大鍋は持ち運ぶことができ、3本の縦溝飾りの脚に支えられた輪っかに載せた。縁の周りは、牡牛、ライオン、そしてもっとよくあるグリフィンやセイレンのような想像上の動物で飾ったという。
幾何学様式の時代から東方化様式の時代になると、鼎の形にも変化があったようだ。

鼎に付属する出土品として最も多かったのが鳥グリフィンの頭部だった。
特に一番大きなものは、目が飛び出して面白い。

同書は、グリフィン、猛禽姿の神話的な怪獣は、最初はアッシリアの豪華な宮殿の装飾モティーフとして出現した。元は青銅板を鎚打ちの技法で作り上げたが、前7世紀には型による鋳造法、東方の国々由来の確かな技術が取って代わったという。

グリフィンには鳥グリフィンと獅子グリフィンがある。それらについて起源を含めて何時かまとめたいと思っていたら、こんなところで、鳥グリフィンの起源が判明した。
ギリシアの鳥グリフィンについては後日。

また、幾何学様式時代の鼎の把手は垂直に固定された大きな円形のものだったが、東方化様式の時代になるとそれはなくなってしまう。一見把手はわからないが、一対のセイレンの背中に小さな鐶付(かんつき)があり、そこに小さな輪(鐶)が通してある。
こんな小さな輪で大鍋を持ち運べるのだろうかなどと思ってしまうが、茶の湯釜で使う鐶とは違って装飾的なものだろう。

セイレン 前625-600年頃 青銅製
東方様式の鼎を飾った。東方のモデルに影響を受けたギリシア工房の特徴的な作品。
女性の頭部をした有翼のセイレンは、オデッセイの冒険で知られるセイレンに似ているので、便宜上付けられた名称である。ギリシアの工人たちが東方のものを真似て、自身の作風へと換えていく過程を示している。アーモンド形の目、肉付きのよい頬、だんご鼻をした東方の怪物の顔だちは、強さと生命力のある人物像の表現となったという。


デルフィのアポロンの神域ではクラシック時代に入っても多くの鼎が奉納され、オリンピアのゼウスの神域でもたくさんの鼎が奉納された。その上前5世紀半ばに建立されたゼウス神殿の想像復元図には、屋根飾りとしても鼎がのっている。
東方様式の後、アルカイック時代やクラシック時代、そしてヘレニズム時代にも鼎の奉納はあっただろうが、出土しているのは東方化様式の時代までのものばかり。
その後、鼎がどんな風に変遷していったのだろう。

ギリシア建築8 イオニア式柱頭
                                                   →ギリシア神殿10 ギリシアの奉納品、鼎と大鍋

関連項目
ギリシアのグリフィン
デルフィ7 アポロンの神域6 デルフィの馭者像
オリンピア考古博物館3 青銅の鼎と鍑(ふく)
オリンピア8 博物館4 青銅の楯
オリンピア5 ゼウス神殿
ギリシア建築7 円形建造物(トロス)
ギリシア神殿6 メガロン
ギリシア神殿5 軒飾りと唐草文
ギリシア神殿4 上部構造も石造に
ギリシア神殿3 テラコッタの軒飾り
ギリシア神殿2 石の柱へ
ギリシア神殿1 最初は木の柱だった

※参考文献
「DELPHI ARCHAEOLOGICAL MUSEUM」 DIANA ZAFIROPOULOU 2012年 ATHENS

2013/11/26

第65回正倉院展7 花角の鹿



夾纈の布を見ていると、花輪の中で鹿が小さくうずくまっていた。しかもその角が妙だった。


夾纈羅几褥 きょうけちらのきじょく 長103幅53.5 南倉
『第65回正倉院展目録』は、褥とは敷物のことである。宝庫には仏前に宝物を献じた際に用いた机が多数伝わっており、本品は大きさなどからみて、こうした机の上敷きとして使われたものであろう。
表に使用されている薄い茶色の生地は、小菱格子文の羅に夾纈染め(板締め染めの一種)で文様を表したものである。主文様は、花葉を円状にめぐらせたなかにうずくまる花角の鹿を表し、他にも回旋形や菱形をした花葉文なども配されている。これらは奈良時代に流行した、いわゆる動物唐花文の系統に属するものであるが、鹿を囲んでいる花葉がやさしい折り枝風になっている点などからも、盛唐風の重厚な雰囲気が薄れて、繊細な和様化へと次第に移行する気配を感じさせるという。
花輪の中にいるのは花角の鹿だった。
一見、1本の枝が鹿の周囲を回っているかのように見えたが、拡大してみると、一つの花を咲かせ数枚の葉が出た短い枝が6本で鹿を囲んでいる。
今回は他の宝物にも花角の鹿が表されているものがある。

檜和琴 ひのきのわこと 長156.0頭部幅13.5尾部幅17.0 南倉
同書は、わが国固有の楽器で「やまとごと」あるいは「あずまごと」とも称する。
本品は宝庫の和琴(わごん)中もっとも小形で、唯一華麗に装飾された品である。槽と磯はヒノキ製、底板は環孔材を用いている。槽の頭部は金箔地に樹木、鹿、狩猟する人物などを描いた上に玳瑁を貼り、その内側に柏葉形に切ったシタン材を貼り、螺鈿で唐草文を表す。柏葉形の縁は金銀2線で縁取り、唐草文の蔓には金線が用いられている。槽の尾部は緑地に花卉を描いて玳瑁を貼り、その外側(鴟尾)は6箇の突起を有する櫛形を作り、シタンを貼り螺鈿で小花文を表している。櫛の数より6弦を張っていたことが分かる。螺鈿はヤコウガイを用い、線刻を施している。槽の中心部は素木に金銀泥で麒麟、花角の鹿、鳥、花卉を描くが、これらの鳥獣は綬帯か花枝をくわえているという。
和琴は会場では四方から見られるようになってはいたが、このような現状では白く輝く螺鈿以外は分からなかった。
槽に花角の鹿があるらしいのだが、拡大した図版でもわからない。
描き起こし図でやっとわかった。この花角の鹿は綬帯を銜えて走っている。しかも翼まであった。
有翼の花角の鹿というのは珍しいのではないだろうか。

花角の鹿というのは以前にも見たことがあり、唐時代の中国の貴人たちは、鹿の枝分かれした角に飽きて、こんな妙な角の鹿を好むようになったのかとあきれたものだった。
そしてそれを正倉院展でも見かけることとなり、とっくに記事にしたと思っていたのに、まだだということがわかった。忘れへんうちに今までの正倉院展で見た宝物などと一緒にまとめておこう。

鹿文盤 銀に鍍金 唐、8世紀 高10口径50㎝
1984年河北省寬城県大野鳩嶺出土 河北省博物館蔵
『中国★美の十字路展図録』は、この銀盤は、6弁の菱花形に作られ、盤縁は幅広で、平らな底部には巻葉状の3本の足が付く。盤の中央には前方を向いて立つ1頭の鹿が打ち出されており、頭上の角は霊芝状になった「肉芝頂」を呈している。これと同様の角を持つ鹿は、正倉院の銀盤にも表されているが、ソグドの鹿に見られる枝状の角の表現とは明らかに異なる。広い盤縁には、6弁それぞれに花の文様が配され、いずれも中心の花から左右に葉と実が伸びている。そして中央の鹿と盤縁の花文にのみ、鍍金が施されている。菱花形の器物は、主に7世紀末から8世紀初めにかけて流行しており、また花の文様に見られる大らかな表現などを考え合わせると、この銀盤の制作時期は8世紀半ばまでであろうという。
説明文中の「ソグドの鹿に見られる枝状の角の表現」というのが気になった。鹿の角を枝状に表すことの方がむしろ一般的で、唐に流行した花角の方が特殊だろう。今回の正倉院展でも枝角の鹿を描いた宝物があった。それについてはこちら
とりあえず、今までの記事から、ソグドの鹿らしき図版を探してみた。
「おまけ」の欄をどうぞ

「これと同様の角を持つ鹿は、正倉院の銀盤にも表されている」というのは以下の宝物のことだ。

金銀花盤 きんぎんのかばん 径61.5高13.2重4496 南倉
『第61回正倉院展目録』は、六花形の銀製の大皿。中央には花弁状の角を持った鹿、外周部には三花を一連とする唐花文を配し、文様の部分にのみ鍍金を施している。
皿の中心には表裏にコンパスの軸点跡が残り、コンパスの軸点跡の円にあわせて銀板を切り抜き、内側から鎚で打ち込んで盆形に成形したことがわかる。
花弁状の角をもった鹿は、霊獣・瑞獣の一種であり、唐代の工芸品には吉祥文様としてしばしば登場するという。
歩きながら後方を振り返っていることと、顎髭があることくらいが、上図の鹿と異なっている。
第1回正倉院展のチケットにこの花角の鹿が使われていたらしく、毎回目録の最初の方に載っている。
金銀花盤の鹿の体には、小さな点々が刻まれているが、この鹿には子鹿のような斑点が表されている。

紅牙撥鏤尺 こうげばちるのしゃく 長30.2幅3.0厚0.9 中倉
『第63回正倉院展目録』は、象牙の表面を色染めし、そこに撥彫(はねぼり)を施して図柄を表す撥鏤技法で彩られた物差し。本品は紅色に染めた後に撥彫を施し、随所に緑や黄色の彩色を施す。両面とも横使いで、一方の面は区切りを設けずに、下方に土坡を連ね、樹木や岩で場面をゆるやかに区切りながら、鳥獣(鳥・狐・花弁状の角を持った鹿・虎)をほぼ等間隔に配す。追いかける虎と振り返る鹿のように、横方向の連なりを活かした表現を見ることができるという。
これは金銀花盤の後方を向く花角の鹿を手本にしたのではなく、追われる花角の鹿が、虎がどこまで迫っているか確認するために振り返っているのだった。

おまけ ソグド人は鹿の文様を好んだというので、「中国★美の十字路展図録」の説明でソグドの鹿ということばを使ったようだ。

石棺床飾板 大理石 北周-隋時代(6-7世紀) 個人蔵
『天馬展図録』は、墓主は国際商人として中央ユーラシアの東西を往来し、ゾロアスター教(拝火教、祆教。ペルシア起源)を信仰したソグド人であった可能性が高い。
ササン朝ペルシアで多用された連珠円文の中に有翼馬を描いている。それは単なる装飾ではなく、石棺の主の来世に対する配慮であろうという。
ここでは馬の他に大角羊と鹿が、それぞれ首にリボンをつけ、翼も表されている。
大鹿文錦 緯錦 アスターナ332号墓出土 唐(7世紀前半) 新疆博物館蔵
『中国美術大全集6染織刺繍Ⅰ』は、黄色の綾地に濃紺・果緑・灰緑色の綾文である。円環の中央には頭を高くして歩いている姿の鹿文があり、周りには連珠文を、その上下左右には花を飾っているという。

こちらの鹿に翼はなさそうだが、首にリボンをつけている。

    第65回正倉院展6 続疎らな魚々子←  →第66回正倉院展1 正倉を見に行く

関連項目
中国のソグド商人
アスターナ出土の連珠動物文錦はソグド錦か中国製か
第65回正倉院展5 六曲花形坏の角に天人 
第65回正倉院展4 華麗な暈繝
第65回正倉院展3 今年は花喰鳥や含綬鳥が多く華やか
第65回正倉院展2 漆金薄絵盤(香印座)に迦陵頻伽
第65回正倉院展1 樹木の下に対獣文

※参考文献
「第65回正倉院展目録」 奈良国立博物館編 2013年 仏教美術協会
「第63回正倉院展目録」 奈良国立博物館編 2011年 仏教美術協会
「第61回正倉院展目録」 奈良国立博物館編 2009年 仏教美術協会
「中国★美の十字路展図録」 曽布川寬・出川哲朗 2005年 大広

2013/11/22

第65回正倉院展6 続疎らな魚々子



正倉院には精緻な魚々子を施した器が伝わっており、珠に正倉院展に出陳される。

銀壺(銀の壺) 正倉院南倉 口径42.2胴径61.9壺高43.0(台は別) 第62回(2010年)
『第62回正倉院展目録』は、表面には鏨で文様を線彫りし、文様と文様の間には細かな魚々子を打っている。文様は、12人の騎馬人物が羊や鹿、カモシカ、猪、兎などを追って山野を駆けめぐる狩猟図で、器面全体にそれが雄大な広がりをみせる。口縁と底部付近には葡萄唐草の文様帯を廻らせて、狩猟図の天地を引き締めている。受け台にも野原を疾駆する騎馬人物や獅子、虎、飛鳥や蝶、さらには有翼馬の姿も表されているという。 
これだけ拡大してもわからない程に小さな魚々子が、びっしりと横に並んでいる。

金銀山水八卦背八角鏡 きんぎんさんすいはっけはいのはっかくきょう 長径40.7短径38.56重7483 南倉
『第58回正倉院展目録』は、文様および銘文は細かい蹴彫で表し、鈕の周囲を除く文様部分に鍍金を施した後、間地を魚々子で埋めている。中国・唐時代の銀貼鏡は、通常文様を打ち出すが、本品は線刻に留める点に特色があるという。
円形のため、厳密には同心円状ということになるだろうが、横に密に魚々子が打たれている。

その点、金銅六曲花形坏は細工そのものがまだ未熟で、魚々子もまばらだった。


金銅六曲花形坏 こんどうのろっきょくはながたはい 口径8.3高4.1重67.9 南倉
『第65回正倉院展目録』は、銅板を鍛造して6弁の花形をかたどり、鍍金を施した小さな鋺。底には鑞付でやや低い高台を接合する。各花弁は外縁に稜を設け、外縁から底にかけて花弁の中央を通るように稜線を打ち出して6曲面を作る。各花弁の間には猪目を透かして花弁の形を明確にする。外面と底裏には草花や天人を毛彫りし、間地をややまばらな魚々子で埋めているという。
拡大図を見ると、魚々子の円に深いところと浅い箇所があったり、円が切れているものもあり、奈良時代の日本では、まだ魚々子を打つ技術が習熟できていなかったことがわかる。

投壺 とうこ 高31.0胴径21.7 中倉
同書は、壺に矢を投げ入れる投壺と呼ばれる遊戯に用いられた、銅製、鍍金の壺。張り出しの大きな下ぶくれの胴部に円筒形の頸を載せ、頸には中が貫通した円筒形の耳を両側に付けている。胴・頸及び高台は一材で、鋳造後に轆轤で成形し、頸に孔を開け別に鋳造した両耳を通し、かしめ留めしている。外面は全面に線刻による文様が施され、地文は魚々子を打ち並べている。頸は素文帯で上中下の3区に分け、上区は瑞雲を伴い走る2頭の獅子、中区は山間の樹下にいる高士、下区は唐草文を表す。胴部は中央に頸の下区と同様の唐草文帯をめぐらし上下2区に分け、上下区とも花卉・飛鳥・花喰鳥・蝶・瑞雲を表している。両耳も同様の意匠である。高台は山岳を表している。線刻技法は毛彫であり、魚々子の打ち方は疎密があり、正円ではなくC字状に打たれている箇所も多く見られる。このような特徴は奈良時代の作と考えられる金銅灌仏盤(奈良・東大寺蔵)、金銅獅子唐草文鉢(岐阜・護国之寺所蔵)にも共通するという。
照明を落とした館内で黒っぽい壺を見ても、このような文様は全くわからなかった。
結局は目録で確かめることになる。
会場では、胴部の唐草文がかすかに判別できた。
魚々子もまばら。唐草の茎も太いところや細い箇所などがあるが、パターン化していない勢いも感じられる。

斑犀把金銀鞘刀子 はんさいのつかきんぎんさやのとうす 全長17.5把長7.6鞘長12.8身長7.1茎長3.8 中倉
同書は、刀子は小型の刀で、紙を切ったり、木簡などの表面を削ったり、文字を摺り消したりするのに使用された。文房具として実用に供されたほか、貴顕の間では象牙や犀角、沈香などの珍材を用いて鞘や把を華麗に装飾し、腰帯から組紐で下げて装身具とすることも行われた。宝庫には、中倉を中心に67口の刀子が伝存しており、その多くは天平勝宝4年(752)の大仏開眼会などの折に、貴顕により東大寺に献納された品と見られる。
本品は、宝庫に11組伝わる2口一対の刀子のひとつ。把には飴色を呈した斑の犀角を使用し、把縁に銀製鍍金の金具を取り付ける。木胎に銀製鍍金の薄板を巻いた鞘には、唐草文様を毛彫し、間地に細かな魚々子を施す。鞘尻と帯執にも銀製鍍金の金具を取り付ける。犀角の微妙な色の濃淡の変化が美しく、鞘を飾る精巧な毛彫にはすぐれた彫金技術が見て取れるという。
ここにも円形になっていない(C字形というらしい)魚々子が見られる。

昨年の第64回正倉院展では密でない魚々子が目に付いたが、今年も幾つかの作品で同じような魚々子地を見付けた。
第64回の記事はこちら
しかし、唐の完璧な魚々子地よりも、このような疎らな方が味わいがあって見飽きない。

第65回正倉院展5 六曲花形坏の角に天人 ←   →第65回正倉院展7 花角の鹿

関連項目
第62回正倉院展4 大きな銀壺にパルティアンショット
第五十八回正倉院展の鏡の魚々子はすごい
第65回正倉院展4 華麗な暈繝
第65回正倉院展3 今年は花喰鳥や含綬鳥が多く華やか
第65回正倉院展2 漆金薄絵盤(香印座)に迦陵頻伽
第65回正倉院展1 樹木の下に対獣文

※参考文献
「第62回正倉院展目録」 奈良国立博物館監修 2010年 財団法人仏教美術協会
「第58回正倉院展目録」 奈良国立博物館編集 2006年 奈良国立博物館
「第65回正倉院展目録」 奈良国立博物館編 2013年 仏教美術協会

2013/11/19

第65回正倉院展5 六曲花形坏の角に天人



小さな作品なのに気になるものの一つがこの六曲花形坏だ。

金銅六曲花形坏 こんどうのろっきょくはながたはい 口径8.3高4.1重67.9 南倉

『第65回正倉院展目録』は、銅板を鍛造して6弁の花形をかたどり、鍍金を施した小さな鋺。底には鑞付でやや低い高台を接合する。各花弁は外縁に稜を設け、外縁から底にかけて花弁の中央を通るように稜線を打ち出して6曲面を作る。各花弁の間には猪目を透かして花弁の形を明確にする。外面と底裏には草花や天人を毛彫りし、間地をややまばらな魚々子で埋めている。
また、中央を凹ませて2段とする高台は各段に連珠文帯をめぐらす。
工夫を凝らした形に加えて、全体に非常に精緻な装飾を施した作品である。なお、口縁近くに猪目を透かしていることを考慮すると飲用具とは別の容器とも思われるという。
確かにこの器で飲むということは難しそうだ。稜のところから飲んでも猪目からこぼれそう。
2段の高台に魚々子がそれぞれ一巡しているが、疎らなために連珠文とは思わなかった。
確かに、魚々子による連珠文というのはあった。しかも、北魏時代の仏像に。
底裏には八弁花文とそこから派生する8本の花枝を刻んでいるという。
これだけ大きくしても中央に刻まれているという八弁花文はよくわからない。

外面の線刻は、各花弁に花樹を表し、樹上の花座に坐して簫・琴・鼓・笙・琵琶・横笛を奏でる天人を稜線が中央に来るように配しているという。


排簫と呼ばれる竹の管を横に繋いだ楽器を両手で持っているのだろうが、その管が並んでいるようには表されていない。
単に楽人に見えたが、天衣をつけ、蓮台に乗っている。
左右対称だが、ひびとそこから出た緑青のために、やや斜めを向いているように見える。

どんな顔か全くわからない。琴の弦も見えない。

鼓の縁に魚々子がびっしり並んでいるが、腕はどうなっているのだろう。

笙を両手でもっている。
琵琶
顔は全くわからない。
敦煌莫高窟第285窟本尊の龕楣では四弦も五弦もこのように右手を琵琶の下に回して弾いている。
横笛
何となく目を細めて笛を吹いているように見える。

稜の部分に楽人がいるので、見にくいことこの上ない。何故こんな彫るのも難しい部分にわざわざ人を配置したのだろう。
そう思いながら、稜部の毛彫や魚々子を見ていくと、途切れがない。それに、こんなに疎らな魚々子地しかつくれない時期に、稜部に魚々子を打つことができたのだろうか。
そんな風に見ていると、毛彫や魚々子の作業を終了した後に、人物が稜の中央にくるように6弁に仕上げたのではないかと思うようになった。


第65回正倉院展4 華麗な暈繝←       →第65回正倉院展6 続疎らな魚々子

関連項目
第64回正倉院展7 疎らな魚々子
日本の魚々子の変遷 
X字状の天衣と瓔珞1 中国仏像篇
第65回正倉院展7 花角の鹿
第65回正倉院展3 今年は花喰鳥や含綬鳥が多く華やか
第65回正倉院展2 漆金薄絵盤(香印座)に迦陵頻伽
第65回正倉院展1 樹木の下に対獣文

※参考文献
「第65回正倉院展目録」 奈良国立博物館編 2013年 仏教美術協会

2013/11/15

第65回正倉院展4 華麗な暈繝 



漆金薄絵盤(香印座)では、暈繝による色のグラデーションが至るところで展開する。
前回までに見てきた各蓮弁の内区の文様もそうだが、1段目の枠には矢羽根形暈繝彩色が見られる。
また、植物の葉にも。
そして宝相華のような文様に、も暈繝と呼ばれる色のグラデーションが見られる。
『第65回正倉院展目録』は、蓮弁の内側には、雲形あるいは花弁形を連ねた2種類の文様を表しており、青系と赤系、緑系と紫系の暈繝彩色を組み合わせた配色は、平安時代に「紺丹緑紫」と呼び習わされた暈繝彩色法の先駆となるものであるという。
外が青系の蓮弁。
外側の朱と黄色の縁に続いて、水色・青・紺・濃紺の4色、花弁形のところで朱の輪郭線に続いて白・黄・橙・赤橙・丹、その内側の広い面積を占める白色の内側に黄・黄緑・緑・緑青・深緑とそれぞれ青・赤・緑のグラデーションになっている(色の名前は自分で勝手に付けています)。

また、このような暈繝による彩色は正倉院宝物にはよく見られる。

彩絵長花形几 さいえのちょうはながたき ヒノキ 長径65.4短径45.0高9.0 中倉
同書は、仏に献納する品を載せるための机ないし台。
天板は全体を長八稜形にかたどり、各稜間はさらに2箇の刳り形を設けた華麗な形状である。表面は中央部を素木のまま残して周縁部を白色に塗る。裏面は白緑を塗るという。
天板には同じ形に作った褥が載せられていて、その色調が地味なため、几も地味に見えるが、横から眺めると、華足の形と共に色彩のグラデーションが映える作品だ。
側面は濃紺・青(群青か)・薄緑(白緑か)及び白の4色を並べる暈繝帯とし、各稜の左右に赤系暈繝で四弁花を、また2箇の刳り形の上下にやはり赤系暈繝で覗花文を描いている。
華足は葉状にかたどられ、群青・蘇芳・朱・黄土・白緑・緑青などの色料を用いた華やかな暈繝彩色が認められるという。 
白緑(びゃくろく)とはどんな色だろう。和色大辞典で調べると、華足の群青と白の間に付けられた色のことをいうらしい。


花喰鳥刺繍裂残片(部分) はなくいどりのししゅうぎれざんぺん 縦79.5横63 南倉
同書は、一枝の花枝をくわえた鳳凰を大きく刺繍で表した裂の残片である。
鳳凰の足元には唐花があり、その中央に見られる蓮台上で鳳凰は片足立ちする。大きく翻る鳳凰の尾羽は宝相華を思わせる華麗な形で、虚空に花と蝶が配されている。瓔珞を肩にかけた鳳凰の首には宝珠が付される。
刺繍は、撚りのない絹の平糸を用いて、刺し繡(さしぬい)の技法を中心に暈繝配色に表す。また、輪郭や嘴などには金・銀糸が用いられ、非常に華麗な色彩を見せるという。
褪色などがあるのか、極彩色にもかかわらず落ち着いた色合いとなっている。
蓮台の上で片足でバランスする鳳凰は、見た目には、茎をくわえた花が頭上で開いている様子が、豪華な尾と均衡している。
拡大すると朱の色が鮮やか。その外側の褪せてだんだらになっているのは何色だったのだろう。また、黄色の外側にある白色も変色している。
体部のV字形を並べたようなところの暈繝がみごと。
鳳凰の乗る蓮台にも緑系の暈繝があり、蓮華には紫系の暈繝がある。
その隣の蓮華の蕾には、丹系の暈繝の中に緑系の暈繝がある。
織物や刺繍布で暈繝のあるものはパルミラのものが漢よりも早かった。
それについてはこちら
しかし、染織品よりもモザイクの方が早かったのではないかと思うようになってきた。
それについてはいつの日にか

第65回正倉院展3 今年は花喰鳥や含綬鳥が多く華やか
                        → 第65回正倉院展5 六曲花形坏の角に天人 

関連項目
奈良時代の匠たち展1 繧繝彩色とその復元
日本でいう暈繝とは
暈繝はどっちが先?中国?パルミラ?
第58回正倉院展 暈繝と夾纈
第65回正倉院展7 花角の鹿
第65回正倉院展6 続疎らな魚々子
第65回正倉院展2 漆金薄絵盤(香印座)に迦陵頻伽
第65回正倉院展1 樹木の下に対獣文

※参考サイト
和色大辞典

※参考文献
「第65回正倉院展目録」 奈良国立博物館編 2013年 仏教美術協会