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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2013/09/06

ギリシア神殿5 軒飾りと唐草文



エピダウロスの考古博物館では、幾つかの神殿やプロピュライア(聖域への門)の遺構を部分的に復元展示をしていた。
それについてはこちら

それらには、軒飾りに等間隔に並ぶライオンなど動物の樋口があって、実際に口が開いて雨水を出す機能を持っているのがわかり、興味深かった。
そして、ライオンなどの頭部の両側には唐草文、それもアカンサス唐草文が浮彫されているのだった。これらは屋根瓦と同様、テラコッタで作られてる。

その中から唐草文を取り出してみた。
かなり省略するが、『唐草文様』は唐草文の始まりについて、時代はおそらく紀元前4世紀末から同3世紀初めにかけての頃。片割れのパルメットが独自の活動世界を獲得しはじめた時代。この時代こそ、唐草が意匠として大きく成長し、その形態が千変万化に向かう通過点だったのであるという。
唐草文の起源を知りたいと思っていた私は、この本を読んで以来、唐草文の起源はヘレニズム初期と思い込んでいたので、博物館でこのような軒飾りが並んでいるのを見ても、ヘレニズム初期のものとして、疑いもしなかった。

制作年代の分かるものは古い順に、第1室の上の方にたくさん展示されていたライオン頭樋口の軒飾りは年代がわからないので、似た様式のものの下に並べることにする。 
⑥ アスクレピオス神殿 前380-370年頃
ライオン頭の樋口の両側からアカンサスの葉が出ている。そして、それぞれから左右に渦巻く蔓が伸び、さらに枝分かれして反対巻きま渦巻で終わっている。枝分かれした部分にもアカンサスの葉と蕾あるいは葉の芽のようなものがある。葉は自然描写のようだが、蔓は平たくデザイン化されたもののようだが、これはアカンサス唐草と呼んでよいのではないだろうか。
アスクレピオス神殿について『世界美術大全集4ギリシア・クラシックとヘレニズム』は、アスクレピオス神殿は、神殿の東20mの所で発見された碑銘に貴重な建造記録を残しているとして、その建築年代を前380-370年としている。
簡素なものとはいえ、アカンサス唐草が前4世紀前半にすでに存在していたことになる。

よく似た軒飾りが第1室の上部に展示されていた。ライオンの頬辺りから出ているアカンサスの双葉にはギザギザがくっきりと表現されている。

⑪ アルテミス神殿 前4世紀
不思議なことに、他の軒飾りの樋口は総てライオンなのに、アルテミス神殿のものだけが犬になっている。
アカンサスは動物の両側ではなく、アクロテリオンの下から左右に分かれて伸びている。蔓の渦は巻き方が少ないが、蔓の枝分かれ部分には花も付いていて、実際に生えている植物に近づいている。

⑩ プロピュライア 前330年代
『古代ギリシア遺跡事典』は、神域への正面玄関(プロピュライア)は、現在では遺跡構内のもっとも北の外れに位置しているが、古代にはもちろん参詣者はこの門をくぐって、その南に広がる神域に足を踏み入れていた。前330年代に構築されたこの門は、北側にイオニア式、南側にコリントス式の円柱を配する立派なものだったが、現存するのは重厚な石製の基壇部分だけであるという。
ライオンの顔やたてがみが立派になってきた。
再びライオン頭の両側から蔓草が伸びている。蔓にギザギザがあり、葉が茎に巻きついて、枝分かれしたところに下向きの花、2つ芽の渦巻の中に大きく開いた花がある。
アクロテリオンの下で、両側から伸びてきた茎に巻きついたアカンサスの葉が、左右対称に上に伸びている。
近くにあった遺構。ライオンもよく似ていて、デンティル(歯形装飾)もあるので、プロピュライアの一部かも。
その拡大

入口上の棚に並んだ軒飾り。
上のライオンと同じ頭の大きさだとすると、蔓草の文様帯が高くなって、その分渦巻
大きくなっているように感じる。
ライオンの両側から出た蔓草は、プロピュライアのものほどは繊細に表されていない。
『唐草文様』は、唐草文の起源の一つとして、以下の図版を挙げている。

柱頭彫刻 トルコ、ディディマのアポロン神殿 前4世紀後半~
同書は、左右両方向に蔓延しはじめたパルメットの先端に、わが忍冬唐草に似た形態があらわれている。これは、つまり、わが国で「忍冬唐草文」と呼ばれる文様の起源が、こうした片割れパルメットの生まれた頃まで遙かに遡る、ということの一つの例証にほかならないという。
きっとエピダウロスのプロピュライアのアカンサス唐草も、もう少し広い場所に表したら、きっとこのような図柄になっていたのではないかと思わせる。いや、茎が捻れながら伸びていく表現は、この柱頭よりも躍動感がある。
このような表現を見ていると、プロピュライアは、後期クラシック時代よりも、次のヘレニズム時代に建立されたのではないかと思う。

おまけ
コリントス考古博物館に展示されていた2つのライオン頭の樋口のある軒飾り。
これはローマ時代のものではないだろうか。
こちらはアンテミオンや卍繋文・卵鏃文の描かれたテラコッタのコーニスに、ローマ時代にライオン頭の樋口や蔓草を貼りつけたのではないかと思うような出来上がりだ。

     ギリシア神殿4 上部構造も石造に← 
                    →エピダウロスのトロス1 コリント式柱頭

関連項目
パルテノン神殿のアクロテリアがアカンサス唐草の最初
アカンサス唐草の最古はエレクテイオン?
ギリシア神殿6 メガロン
アカンサス唐草文の最初は?
エピダウロスのトロス2 天井のアカンサス唐草
コリントス遺跡5  E神殿(オクタビアヌスの神殿)
エピダウロス3 考古博物館に神殿の上部構造
ギリシア神殿3 テラコッタの軒飾り
ギリシア神殿2 石の柱へ
ギリシア神殿1 最初は木の柱だった


※参考文献
「唐草文様」 立田洋司 1997年 講談社選書メチエ
「世界美術大全集4 ギリシア・クラシックとヘレニズム」 1995年 小学館
「古代ギリシア遺跡事典」 周藤芳幸・澤田典子 2004年 東京堂出版
「CORINTHIA-ARGOLIDA」 Elsi Spathari 2010年 HESPEROS EDITIONS