ホシガラスが埋めて食べ忘れた種のように、バラバラに芽を出した記事が、枝分かれして他の記事と関連づけられることが多くなった。 これから先も枝葉を出して、それを別の種から出た茎と交叉させ、複雑な唐草に育てて行きたい。
2013/07/19
古代ガラス-色彩の饗宴-展はまさに色彩の饗宴だった
信楽の山中にあるMIHO MUSEUMに、春の特別展『古代ガラス展』を見に行った。
同館では2001年にも『古代ガラス展』が開催されており、その時はローマ時代にはこんなにも技を凝らした様々な種類のガラス器が作られていたのかと驚いた。
今回の目当ては金箔ガラスだったが、それを見る前に、古代ガラスの色の美しさに酔ってしまった。
それも、製作地が異なったり、時代も違った作品を「色」という共通項でまとめられた、これまでにない展観の仕方で、ガラスの色の美しさを改めて感じることができた。その上、その色がどのような成分によるものかが、一つ一つ記されていた。
「無色透明」
同展図録は、宝石を目指していた古代のガラスは、ほとんどが色付きで不透明なものでした。透明なガラスの美しさに人々が着目したのは、ようやく紀元前8世紀頃で、年代のはっきりわかる最古の透明ガラスは、メソポタミアにあった巨大帝国アッシリアの首都ニムルドの宮殿から出土しました。サルゴン2世の壺がそれで、器の肩に王の名前が彫られています。
アッシリアの宮殿からは、鋳造された透明なガラス容器がいくつも発見されましたが、この頃から高級品としてもてはやされるようになった、水晶の容器を目指したものと考えられますという。
サルゴン2世の壺はこれまでに2回ほど見ている。壺の画像はこちら
花文装飾碗 アケメネス朝ペルシア 前5-前4世紀 ガラス(おそらくナトロン、表面風化) アンチモンによる消色 高5.8㎝径10.0㎝ 平山郁夫シルクロード美術館蔵
同展図録は、鋳造技法を用いた淡緑色透明ガラスの碗。胴部下半にロゼット文が施される。底部には指をかけるための半球形の浮き上がりをもつ。こうした特徴は、当時流行したオンファロスとよばれる銀製碗を模したもの。蛍光X線分析の結果、鉄分の発色を抑えるアンチモンが検出されるなど、東地中海周辺地域のガラスに特徴的な組成を示している。アケメネス朝治下のシリア/パレスティナで制作されたのではないかという。
この器の白濁した部分と透明のままの箇所を見ていると、同心円状に作ったガラス棒を均等に切って、器の型に並べて熔着させたモザイクガラス碗ではないかと思った。しかし、括れのある型をそのような方法で作るのは無理だろう。
消色に使ったアンチモンが、経年変化で白濁を不均等にもたらしたということだろう。
東地中海地域とペルシアは共にガラスの制作地だが、同じ王朝に支配され、その影響がガラスの作品にまで及んだ時期があったとは、思いもしなかった。
シリアは前538年からアレクサンドロスが前332年に奪い取るまで、アケメネス朝の領土だった。歴史的には当たり前のことが、美術作品を見ている時には気が付かなかったりする。
さまざまな色ガラス
「今日ではガラスよりもしなやかで、色付けさえできる物質は外にない」。紀元1世紀にこう書いたのは、古代ローマの博物学者大プリニウスでした。けれどもそれより千年以上昔に、金属を加えてさまざまな色ガラスを作る方法は編み出されており、紅玉髄、孔雀石、紫水晶などの色を模したガラスが作られましたという。
「赤」
首飾り エジプト 前7-前1世紀 ガラス(おそらくナトロン、表面風化) 金属銅ナノ粒子または酸化銅による赤色、アンチモン酸鉛による黄濁、アンチモン酸カルシウムによる白濁 全長56.0㎝ ビーズ長2.3-4.2㎝ MIHO MUSEUM蔵
赤色不透明のガラスとオレンジ色不透明のガラスで、棗型と長方形の2種類のビーズを成形し、繋げたものである。棗型のビーズには1本、長方形のビーズには4本の孔が開いているという。
最初に見た時は、これは本当にガラスだろうかと思った。木か石で作ったもののように見えた。
「緑」
碗 東地中海地域 後1世紀 ガラス(ナトロン) 銅と鉛による緑 高6.0㎝径9.0㎝ MIHO MUSEUM蔵
緑色半透明ガラスの碗である。青みの強いガラスが筋のように流れ、色ガラスが十分に熔け合わない状態で成形されたようだ。気泡は底が丸く、器壁ではやや横長に広がっている。器自体が歪んでいることから、そおらく宙吹きで作られ、鋳造碗を模したのではあるまいか。口縁に2本、胴部下に2本の飾り紐を削り出しているという。
図録には、このような色ガラスが下に映ることを意識したような図版が幾つかある。その魔力に惹かれて一つ選んでみた。
「黄」
花文カット装飾碗 アケメネス朝ペルシア 前5-前4世紀 ガラス(ナトロンか植物灰か不明) 3価の鉄による黄褐色 高9.5㎝径15.5㎝ MIHO MUSEUM蔵
黄褐色透明ガラスを鋳造した半球形の碗。口縁付近でやや外反し、口縁下内面に沈線による二重圏線装飾が施される。外面には胴部上半に2条の隆帯と下半に12弁の花弁文、底部中央に二重圏線を浅浮彫としている。口縁研磨仕上げ。金属器を模した造形と装飾をもちながら、底部の花弁文が浅浮彫でやや絵画的な点はガラス素材のもつ透光性を意識したものだろうという。
型による花弁文ではなく、鋳造してから浅浮彫したということだろうか。
「紫」
浮き出し平行線文杯 東地中海地域 前2-前1世紀 ガラス 高7.0㎝径8.4㎝ 個人蔵
ワインや紫水晶を思わせる紫色ガラス容器はヘレニズム時代の東地中海周辺地域以前にはほとんど見られない。ガラス制作で先行する北メソポタミアやエジプトの人々が紫色ガラスの呈色鉱物マンガンを知らなかったわけではない。酸化したマンガンは前7千年紀頃出現する彩文土器の顔料としてすでに使用されていたし、酸化マンガンと鉄分を添加した黒紫色は前2千年紀には実用化されていた。つまり、制作側の技術的問題ではなく、受容する消費者の美意識と合致しなかった結果、製品として供給されなかったのだろうという。
この色は、紫水晶よりも、貝紫を連想してしまう。
両手付小瓶 東地中海地域 後1世紀 ガラス(ナトロン) マンガンイオンによる紫 高7.6㎝幅3.8㎝ MIHO MUSEUM蔵
紫色半透明のガラスを、二分割の型に吹き入れ成形した器である。口は上面に折り返し、不透明薄緑の把手が付いている。おそらく香油瓶であろうという。
以前はコアガラスの技法で作られていた香油瓶が、型吹きガラスで作られるようになった。
これだけ様々な色ガラスが思いのままに作ることができたのなら、もう少し継ぎ目がわからないような型も作れなかったのだろうか。
「白」
アメンホテプ3世銘蓋付容器 エジプト 前1401~前1363年 ガラス(おそらく植物灰、表面風化) アンチモン酸カルシウムによる白濁 総高5.7㎝本体高5.3㎝本体径4.3㎝蓋高1.2㎝蓋径4.1㎝ 岡山市立オリエント美術館蔵
コア技法による蓋付の白色不透明を用いたガラス容器。容器部の口縁は工具による引き出し、底部はガラス紐の貼付けによる制作技法。表面は風化によりやや黄みがかっているが銘文周辺は風化膜が削り取られているため、本来の白濁色を確認することができる。蓋の一部後補。容器部外面には徐冷後、ニードル状工具によりアメンホテプ3世の即位名アメンホテプ・ヘカワセトが刻まれている。白濁色はアンチモン酸カルシウムを添加することによるという。
アメンホテプ3世銘のあるビーズや青色の蓋付容器なども出品されている。それだけでなくアメンホテプ3世とされるガラス製のファラオ頭部をMIHO MUSEUMは所蔵していて、いつもは平常陳列のエジプトコーナーに展示されている。
『早大エジプト発掘40年展図録』は、コバルトブルーやスカイブルーを基調とするガラス製容器は、アメンヘテプⅢ世時代にマルカタ王宮で盛んに生産され、特にコア技法を用いた複雑な装飾の多彩色ガラス製品が生産された。ガラス製作技術は、新王国時代初めに西アジアからもたらされ、アメンヘテプⅢ世の時代に最盛期を迎えたという。
以前の美術展の記事を長々と続けているので、この特別展も6月9日で終わってしまった。
しかし、7月6日から9月1日まで、岡山市立オリエント美術館で開催されている。暑い中、もう一度見に行く気力が残っているだろうか。
→古代ガラス展2 青いガラス
関連項目
古代ガラス展6 金箔ガラス製メダイヨン
古代ガラス展5 金箔ガラスとその製作法
古代ガラス展とアンティキティラ島出土物 円錐溝ガラス碗
古代ガラス展3 レースガラス
古代ガラス展2 青いガラス
エジプトのコアガラスは
コアガラス容器の文様もジグザグを目指した?
その他ガラス・ファイアンスに関するものは多数
※参考文献
「古代ガラス 色彩の饗宴展図録」 MIHO MUSEUM・岡山市立オリエント美術館編 2013年 MIHO MUSEUM
「吉村作治の早大エジプト発掘40年展図録」 2006年 RKB毎日放送株式会社