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忘れへんうちに 旅編に、中央アジア各地の旅に続いて、イランの旅を記載し始めました。
その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2013/05/28

X字状の天衣と瓔珞3 炳霊寺石窟




炳霊寺石窟は河西回廊の要衝蘭州郊外に位置する。

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甘粛省永靖にある炳霊寺石窟について『中国石窟永靖炳霊寺』は、西秦(鮮卑族)が開鑿し、431年に滅び、445年に北魏の統治となったが、446年に太武帝の排仏に遭い、452年文成帝が仏教を重んじ大いに栄えたという。
従って、炳霊寺の北魏時代は452-535年の間ということになる。
炳霊寺石窟には、北魏時代の菩薩像にX字形瓔珞と天衣がみられたが、着衣からみて、北魏後期のものだった。


菩薩立像 壁画 第184窟北壁上部 北魏後期
同書は、北壁の一方に高1.06、幅1.38mにわたって二仏並坐像及び七仏が描かれているという。
その左隅と思われる箇所に私にとって貴重なX字状に交差する天衣を着けた菩薩立像が描かれていた。しかも気になる輪っかもある。
左肩から下がった天衣は輪っかの上を通り、右肩から下がった天衣は下から通って輪っかの中で左の天衣を越えている。これで輪っかははずれることなく固定されるが、重いものであれば、下にずれてしまうだろう。
交脚菩薩像 高1.87m 第126窟北壁 北魏、延昌2年(513)
菩薩は交脚して方座に坐り、台座の下に踞る2頭の獅子が浮彫されているという。
二の腕までにも達する長い羽衣から伸びた天衣は、ここでも輪っかを通ってX字状に交差している。天衣は衣服の裾のように見えるほどしっかりと表されている。
残念なことに剥落がはげしいが、浮彫像だけでなく、平面にも色彩が残っていて、そこにも小さな仏像あるいは天人が描かれていたらしいことが伺える。
天衣の交差の仕方は184窟菩薩立像とは反対で、左肩から下がった天衣は輪っかの下を通り、右肩から下がった天衣は輪っかの上を通って左の天衣をくぐり、輪っかの上に抜けている。
左:126窟北壁左脇侍菩薩立像 高1.40m 北魏後期
中尊の菩薩同様に、輪っかで交差する天衣を留めている。右肩から下がった天衣は輪っかを越え、左肩から下がり輪っかの下を通る天衣を、輪っかの中央部でくぐっている。
右:126窟南壁左脇侍菩薩立像 高1.40m 北魏後期
天衣はX字状に交差するが、輪っかはない。
交脚菩薩像 高2.55m 第132窟北壁 北魏後期
菩薩が両足を支えているという。
左肩から下がった天衣は輪っかの上を通り、右肩から下がり輪っかの下を通る天衣を輪っかの中でくぐっっているのだが、その輪っかがほとんどわからない。
炳霊寺石窟では、X字状に交差する瓔珞は見られなかった。

敦煌莫高窟では北魏時代には天衣は交差するが輪っかはなかった。炳霊寺石窟は敦煌よりも北魏後期の都洛陽に近いので、敦煌より先に輪っかが出現したということになるのだろうか。
ということは洛陽郊外にある龍門石窟の北魏窟には輪っかのあるX字状天衣があるはずだ。

つづく

関連項目
X字状の天衣と瓔珞8  X字状の瓔珞は西方系、X字状の天衣は中国系
X字状の天衣と瓔珞7 南朝
X字状の天衣と瓔珞6 雲崗曇曜窟飛天にX字状のもの
X字状の天衣と瓔珞5 龍門石窟
X字状の天衣と瓔珞4 麦積山石窟
X字状の天衣と瓔珞3 炳霊寺石窟
X字状の天衣と瓔珞2 敦煌莫高窟18
X字状の天衣と瓔珞1 中国仏像篇
ボストン美術館展6 法華堂根本曼荼羅図2菩薩のX状瓔珞

※参考文献
「中国石窟 永靖炳霊寺」 甘粛省文物工作所・炳霊寺文物保管所 1989年 文物出版社