お知らせ

忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2013/03/08

現存最古の仏画の截金は平等院鳳凰堂扉絵九品往生図




仏画の截金装飾で一番古いものは応徳3年(1086)の金剛峯寺蔵仏涅槃図だと思っていたが、天喜元年(1053)の平等院鳳凰堂扉絵の九品往生図であるらしい。
『王朝の仏画と儀礼展図録』は、着衣に施された截金文様は、仏画における現存最古の使用例で、これ以降の日本仏画の装飾法を方向付ける規範になったと想定されるという。

鳳凰堂とはどんな建物だったのか。
同展図録は、王朝貴族の最大の雄、藤原道長は「御堂関白」とも呼ばれた。御堂とは道長が創建した無量寿院(法成寺)のことで、なかでも重視したのが浄土教信仰に基づく阿弥陀堂だった。道長の子頼通もその影響を受けて宇治に平等院を設立し、天喜元年(1053)定朝の手になる金色阿弥陀像を安置した阿弥陀堂すなわち鳳凰堂を落慶供養した。池を望む浄土式庭園を伴うもので、「極楽いぶかしくば宇治の御寺をうやまへ」(『続本朝往生伝』)といわれたように、地上に現出した極楽と謳われた。その内部の扉と側壁に描かれたのが九品往生図だったという。
道長が建てた法成寺よりも立派な建物だったようだ。
数年前に平等院に行って、誰もがするように、池越しに鳳凰堂の写真を撮ったが、探しても見つからなかった。また行ってみようかなと思っていたところ、鳳凰堂が修復中で素屋根に覆われているのをテレビでみかけた。知らずにやって来る観光客もいるらしい。

閑話休題。同書は、九品往生図とは、阿弥陀の極楽浄土への往生の仕方には生前の行ないや法縁に応じて九つの階梯があるとする『観無量寿経』の説を図示するものである。上中下の三品それぞれに上中下の三生が枝分れして計九品となる。この画題は法成寺にも当然描かれており、平安後期浄土教建築における堂内部の荘厳の画題として浄土図などと併用された。
鳳凰堂の扉絵のうち、創建当初の九品往生図が4点け残されている。上品中生(東面北側)、上品下生(東面南側)、中品上生(北面)、下品上生(南面)であるという。

上品下生図 
同図録は、往生者の魂を救い取って極楽へ帰る帰り来迎の様子を描いているという。
『日本の美術273来迎図』は、阿弥陀仏、観世音、大勢至、諸眷属、500の化仏、蓮台は金蓮華という。
必ずしもその通りに描かれているのではないが、阿弥陀の背後には、往生者の入った大きな金蓮華がある。
阿弥陀の着衣は斜格子文となっていて、截金の煌めきはなく、黒っぽい線の交差にしか見えない。これは截金を貼り付けるために使ったものが残っているのだろう

截金師の故江里佐代子氏は、『日本の美術373截金と彩色』の特別寄稿「截金の技術と工夫」で、
右手には截金筆を、左手には取り筆を持ち、その筆先を湿し、先ず細く切った金箔の一端を巻き付けて取り出す。施そうとする位置に接着剤(にかわとふのりを混合した溶液)を含ませた截金筆が待機する。截金筆の背に、垂らした金箔の先端を乗せ、デザインに沿って左右の筆を操りながら金箔を貼ってゆく。区切り点に達したとき截金筆(右手)は金箔の上に置き換え、やや押さえ気味にして、取り筆(左手)を優しく引き上げるとその位置で切れる。そしてこの作業は繰り返し続けてゆくことになる。金泥(金粉をにかわで溶いた液)で描いたものと截金とは一見して異なり、截金の1本1本が重なり放たれる光の美しさは魅力あるものであるという。

娘の左座朋子氏のホームページに截金の工程が紹介されていて、やはり膠とふのりを混ぜた接着液を筆に含ませて貼っていくという。

余談だが、左座氏のページには、あの金箔入りガラス碗(前300-250年頃)を復元した作品が掲載されている。すごい!
下品上生図
『日本の美術373截金と彩色』は、截金の点綴文、直線文、曲線文に加えて菊唐草文のような自由文が現れる早い例は天喜元年(1053)、平等院鳳凰堂扉絵の下品上生図で、阿弥陀如来像の光背の周辺に置かれたものである。したがって遅くとも平安中期11世紀中頃には截金の点綴文、直線文、曲線文、自由文が出揃ったことになるという。
頭光と身光に截金装飾があるらしい。
身光の截金は、四角い切り箔が並んだものしか残っていないが、頭光には菱形の切り箔が葉を表したり、花を構成する部品として使われていて、その間に細い截金の曲線がある。
頭光の輪郭線も截金による曲線ではあるのだが。
着物の端にはアカンサス唐草のような縁取りが見られるが、これには肥痩があり、截金ではないだろう。
下に垂れた着衣には四ツ目菱入り二重斜格子文と思われるものが確認できる。曲線の截金ができて間がないので、釈迦金棺出現図(11-12世紀)に見られる、曲線の截金を多用した変わり七宝繋ぎ文などの文様は、まだなかっただろう。


関連項目
東寺旧蔵十二天図1 截金と暈繝
釈迦金棺出現図の截金
応徳涅槃図の截金
金箔入りガラスの最古は鋳造ガラスの碗
截金の起源は中国ではなかった
中国・山東省の仏像展で新発見の截金は
唐の截金2 敦煌莫高窟第328窟の菩薩像
唐の截金1 西安大安国寺出土の仏像
東大寺戒壇堂四天王立像に残る截金文様

※参考サイト
截金師左座朋子氏のホームページ


※参考文献
「日本の美術373 截金と彩色」 有賀祥高 1997年 至文堂
「王朝の仏画と儀礼 善をつくし 美をつくす展図録」 1998年 京都国立博物館
「日本の美術273 来迎図」 濱田隆 1989年 至文堂