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忘れへんうちに 旅編に、中央アジア各地の旅に続いて、イランの旅を記載し始めました。
その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2013/02/22

涅槃図に迦陵頻伽

迦陵頻伽は、古代のインド人は鳥のもつ美しい姿や心地よい鳴き声の象徴を自ら空想し求めようとした。そして生み出されたのが迦陵頻伽である。
迦陵頻伽は上半身が人、下半身が鳥からなる想像上の鳥である。
インドにおける迦陵頻伽の図像は現存していない。
サンスクリット語kalavinkaを音訳した「迦陵頻伽」は、鳩摩羅什が402年に漢訳した『阿弥陀経』、406年に漢訳した『妙法蓮華経』巻第六法師功徳品第19などに見出される。
かの国には常に、種々の奇妙なる雑色の鳥あり。白鵠・孔雀・鸚鵡・舎利・迦陵頻伽・共命の鳥なり。このもろもろの鳥、昼夜6時に和雑音を出す。その音は、五根・五力・七菩提分・八聖道分、かくのごときらの法を演暢す。その土の衆生は、この音を聞きおわりて、みな、ことごとく仏を念じ、法を念じ、僧を念ず。
このように402年に鳩摩羅什が漢訳した『阿弥陀経』は、白鵠・孔雀・鸚鵡・舎利・迦陵頻伽・共命の鳥など6羽の鳥をあげる。
中国における迦陵頻伽の概念の受容は、5世紀初頭頃、鳩摩羅什など西域出身の僧侶による訳経活動を通じて始まり、その図像の受容も遅くとも初唐すなわち7世紀前半には始まっていたと見られるという(『日本の美術481人面をもつ鳥』より)。

インドでは最初は仏教とは関係のない想像上の鳥だが、中国には仏教と共に受容されることとなった。
敦煌莫高窟では、初唐期(618-712)に阿弥陀浄土経変の中に描かれている。
それについてはこちら
そして、日本にも仏教と共に請来され、正倉院には琵琶織物などの意匠として残っている。
その後日本の仏画の中に、迦陵頻伽がどのような場面で描かれたのかはわからない(というより調べていない)が、鎌倉以降涅槃図の中に迦陵頻伽が登場するようになった。

八相涅槃図の中央涅槃図部分 絹本着色 全体210.3X282.1㎝ 鎌倉時代(13世紀) 福井剣神社蔵
『ブッダ展図録』は、涅槃図に仏伝中の他の諸場面を描き添えたものを八相涅槃図と称する。本図では中央部の大半を涅槃図にあて、法句を記した細い帯で左右両辺を画して、各場面を、それぞれに時間的展開を含ませつつ、場面間も土坡で軽く区切りながら連続的に描く。涅槃図は、鎌倉時代の新形式に則り、諸衆の慟哭の表情を誇張して描く点にも新風をよく表すという(左右の七相はカット)。
この図でも摩耶夫人は右上に飛来する。
摩耶夫人の飛来についてはこちら
構図的にみると、迦陵頻伽は左下に登場し、横たわる釈迦を中心にして点対称に近い関係で描かれているが、画家はそんなことを考えて配置したのではないだろう。
迦陵頻伽 同図左下
他の鳥類や馬・牛に混じり、慟哭する人々に最も近い位置に、後ろ向きの、というよりも釈迦の方を向いた迦陵頻伽が描かれている。
右手には白い蓮華を掲げている。
尾羽は赤や青で鮮やかに描かれ、複雑に分かれている。
八相涅槃図 絹本着色 152.4X140.7㎝ 鎌倉時代(13世紀) 広島耕三寺蔵
同書は、画面中央に大きく涅槃図を描き、その周囲に涅槃前後の7つの事蹟を小さく描いている。このような八相涅槃図は、わが国では明恵上人の『涅槃講式』に触発されて盛んに描かれるようになったと考えられる。本図と図様・配置をまったく等しくする李朝時代14世紀頃の制作とされる八相涅槃図が長崎県の最教寺に伝わっており、両者の原型となった宋元時代の八相涅槃図の存在を予想させる。本図は大阪府の神峯山寺の旧蔵であるという。
ここでは摩耶夫人は上方の中央近くに飛来し、迦陵頻伽は左下に描かれる。
迦陵頻伽 同図左下
他の鳥たちと同じように横を向いている。
笙でも吹いているのだろうか。
尾羽は地味な色で、ひとまとまりの房のように描かれる。大きな襟のようなものが見える。
八相涅槃図 李朝時代、14世紀 長崎最教寺蔵
『日本の美術268涅槃図』は、大陸の涅槃図の発展過程を知り得る貴重な例。摩耶夫人の飛来は右上に描かれるという。
ところが、迦陵頻伽がどこに描かれているのかわからない。
迦陵頻伽の定位置、画面の右下の辺りを探してみると、共命鳥のように2つの人頭が並んだもの(矢印)と、その下にライオンの頭のようなもの(矢印)がある。このどちらかだとしか思えない。
迦陵頻伽? 同図左下
共命鳥は人頭が2つに体が1つ、足は2本というだが、下図では体も足も2つ分ある。それぞれ音楽を奏でているようだ。ひょっとして迦陵頻伽は2羽描かれているのだろうか。
それとも、ライオンの頭のように見える何かを両手で持っているのも迦陵頻伽の後ろ姿のように見えなくもない。
どちらだろう。
敦煌莫高窟の観無量寿経変に描かれた迦陵頻伽(丸印)と共命鳥(矢印)はこちら
涅槃図部分 絹本着色 全体172.6X95.0  宋末期(13世紀後半) 京都長福寺蔵
1978年出版の『涅槃図の名作展図録』は、この涅槃図を南北朝時代のものとしている。その後宋末期に制作されて日本に請来されたことが判明したようだ。ここでは、図録の文のまま引用する。
縦長画面の第二形式に属する涅槃図で、宋元画の影響が各所にはっきりでている珍重すべき作品である。縦長画面のため、沙羅林は上方に高くそびえ、宝台下の会衆・動物もゆとりをもって配置されいる。全体にまとまりよく、第二形式としては珍しく、静寂な気分を出している。
動物でも、普通は象が白象であるのに、ここでは具がかった鼠色で、水牛と牛の区別があり、黒い手長猿・ラクダ・漢画風の虎と豹があらわれ、水犀が姿を消しているのは、宋元画の影響の強いあらわれといえよう。摩耶夫人の一行もないという。
左下に迦陵頻伽が描かれている。
一般に、日本の涅槃図には動物が多く描かれるといわれるが、宋時代には涅槃図に動物がたくさん表されている。
それが日本に請来されて日本の涅槃図もにぎやかになったことが、このような涅槃図が残っていたおかげでしることができる。
しかも、迦陵頻伽も宋時代に描かれていたのだ。
迦陵頻伽 同図左下
尾羽はひとまとまりの房のように描かれ、耕三寺本と似ている。
顔の下に手があって、その下に何か見えるので、篳篥でも吹いているようだ。
迦陵頻伽は、唐の影響を受けたといわれる第一形式の涅槃図にはなく、宋の影響を受けた第二形式の涅槃図に登場する。それも、鳥類や他の動物たちと同じレベルで、釈迦から遠い位置に描かれるのだった。

つづく

関連項目
迦陵頻伽の最初期のもの?
敦煌莫高窟7 迦陵頻伽は唐時代から
日本の迦陵頻伽
第64回正倉院展8 螺鈿紫檀琵琶に迦陵頻伽

※参考文献
「日本の美術481 人面をもつ鳥 迦陵頻伽の世界」 勝木言一郎 2006年 至文堂
「日本の美術268 涅槃図」 中野玄三 1988 至文堂 
「ブッダ 大いなる旅路天図録」 1998 NHK
「涅槃図の名作展図録」 1978年 京都国立博物館