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忘れへんうちに 旅編に、中央アジア各地の旅に続いて、イランの旅を記載し始めました。
その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2013/02/26

迦陵頻伽の最初期のもの?




敦煌莫高窟7 迦陵頻伽は唐時代からで、敦煌莫高窟では迦陵頻伽は唐時代以降にしか見られなかった。それについてはこちら
しかし、中国では北魏時代後期、6世紀には迦陵頻伽が出現していたことがわかった。

甘粛省荘浪県出土五層四面塔 北魏時代・6世紀前半 荘浪県博物館蔵 
何の場面を表しているのか、中央に踞った天の邪鬼が何かを頭上にかかげている。香炉だろうか。それを挟んで、偏袒右肩ではなく、偏袒左肩の如来が、双領下垂式に大衣を着た如来を招いているような身振りだ。別の層に二仏並坐の場面があるが、この図柄は多宝如来が釈迦如来を地中から湧出した大宝塔に招いている(『建築を表現する展図録』より)のかも知れない。それについて詳しくはこちら
その下半分に髭を生やした迦陵頻伽と、獅子の頭部のような鳥が浮彫されている。翼も先が切れているようで、尾羽は3つに分かれている。どう見ても、他のところから入ってきた有翼人物が、まだ中国の地で迦陵頻伽になりきっていないかのようだ。
『日本の美術481人面をもつ鳥』は、古代のインド人は鳥のもつ美しい姿や心地よい鳴き声の象徴を自ら空想し求めようとした。そして生み出されたのが迦陵頻伽である。
迦陵頻伽は上半身が人、下半身が鳥からなる想像上の鳥である。スズメまたはその類で、一説にはインドでブルブルとよばれる鳥であるともいう。ただしその図像は細長い脚や尾羽をもつ水鳥に近い場合が多い。
インドにおける迦陵頻伽の図像は現存していないという。
ところが仏伝図の浮彫で人面をもつ鳥を見付けた。

帰城 2-3世紀 ガンダーラ出土 高24.5㎝幅31.0㎝ 岡山・トマト銀行蔵
『古美術103ガンダーラ美術・ブッダの生涯』は、太子を抱くマーヤー夫人と侍女が豪華な輿に乗り、きらびやかな飾りを付けた騎馬人物が2人先導している。このうちの一人は迎えにきた父王シュッドーダナと解釈されることが多い。輿の後ろにはヤクシーが棕櫚の葉を持ち付添っているが、棕櫚の葉は勝利の象徴とされる。また、輿の上方には散華する神々の姿が空中に舞っているという。
『シルクロードの仏たち』は、ルンビニー園で太子を生んだマヤ夫人は7日後に亡くなっているので、ルンビニー園からカピラ城へ向かうとき、太子を抱いているのは生母マヤ夫人ではなく養母マハプラジャパーティということになる。
一説に、帰城の折に太子を抱いているのはマヤ夫人であるとも言われる。理由として、帰城の場面が楽しそうであること、喪に服した様子のないことなどであるという。
マヤ夫人か、マヤ夫人の妹のマハプラジャパーティか、説は分かれているが、敦煌莫高窟の涅槃図で、釈迦の枕元に倚坐しているのはこのマハプラジャパーティだとされている。
それについてはこちら
しかし、バーミヤン石窟の涅槃図で釈迦の枕元で腰掛けているのは摩耶夫人とされている。
それについてはこちら
しかし、これについて調べていくうちに、混乱してきた。それについてはこちら
太子たちの乗る輿の屋根の部分には人面の鳥が翼を広げている。顔は人間でも、体は羽毛に覆われた鳥、足は短く人間のもののようにも見える。
ひょっとして、これが、インドで生み出された迦陵頻伽をガンダーラで造形化した最初期のものではないのだろうか。

関連項目
涅槃図に迦陵頻伽
釈迦金棺出現図
涅槃図に飛来する摩耶夫人
クシャーン朝、マトゥラーの涅槃図浮彫
クシャーン朝、ガンダーラの涅槃図浮彫
敦煌莫高窟7 迦陵頻伽は唐時代から
日本の迦陵頻伽
第64回正倉院展8 螺鈿紫檀琵琶に迦陵頻伽
多宝如来がいたのは三柱九輪塔

※参考文献
「中国国宝展図録」 東京国立博物館・朝日新聞社編 2004年 朝日新聞社
「建築を表現する展図録」 2008年 奈良国立博物館
「日本の美術481 人面をもつ鳥 迦陵頻伽の世界」 勝木言一郎 2006年 至文堂
「古美術103 ガンダーラ美術・ブッダの生涯」 1992年 三彩社
「図説釈迦伝 シルクロードの仏たち」 久野健・山田樹人 1990年 里文出版