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忘れへんうちに 旅編に、中央アジア各地の旅に続いて、イランの旅を記載し始めました。
その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2012/02/28

ウラルトゥの美術2 青銅の鋳造品

ウラルトゥの青銅製品には鋳物もある。

牛頭装飾付き大鍋 前8世紀末~7世紀 トルコ、アルトゥンテペ出土 青銅高20㎝口径26㎝ 神奈川県、シルクロード研究所蔵
『世界美術大全集東洋編16西アジア』は、二つの牛頭把手の大鍋はウラルトゥ美術を代表する作品である。大鍋の口縁は外側に反り返っている。
このような丸底の把手付きの鍋は西アジアの調理用鍋の典型的な形で、古くから土製のものが使用されていた。その形をまねて金属で大型に製作し、牡牛の装飾把手をつけたのは、特別な儀式に用いられたためと考えられるという。
英語では大鍋はCauldron、スキタイの胴長の(ふく)もCauldronと同じだが、双方とも土器の形から青銅器が作られるようになっただけで、関係はないのだろうか。
『ウラルトゥの美術と工芸展図録』は、本来は牛の脚をかたどった三脚の上に据えられ、径1mに達する大きなものもある。口縁のところには雄牛や鳥、神像などの形をした把手が付けられている。このような青銅鍋はフリュギアやエトルリアでも出土しており、ウラルトゥの文化的影響を示しているという。
ウラルトゥの大鍋の特徴は把手に動物や神像を取り付けていることで、これはスキタイには見られない。
牛頭はおそらく蠟型技法によって製作され、細かい線刻を加えて額の毛並みや後頭部の毛の流れが表現されている。T字形の基部は三つの鋲で留められ、鳥の翼と尾を表し、線刻で羽根の一筋一筋が刻まれている。力強い牡牛の表情がしっかりとした角、ぴんと張った耳、はっきりと刻んだ目や、鼻の皺からうかがわれる。これは牡牛のもつ力への畏れの現れで、魔除けとしてつけられたのであろうという。
アンカラのアナトリア文明博物館では、チャタルフユックの前6千年紀の部屋が再現されていたが、部屋の壁面にはたくさんの牛の頭が掛けられていた。その当時から大きな角を持った牛を畏れ、魔除けとするということが、アナトリアでは広く行われていたのだろう。
『世界美術大全集東洋編16西アジア』は、トプラックカレ出土と伝えられる品々が、19世紀後半に骨董市場を大いににぎわせた。もともと大型の家具を構成していたものが解体されて個別に売りに出されたため、こうした品々は欧米の主要な博物館に分散されて収められる結果となった。そして、その一部は日本にも請来されているという。
それはどんなものだったのだろう。

有翼スフィンクス像 前7世紀 トルコ、トプラックカレ出土 青銅、顔は石 高16㎝ エルミタージュ美術館蔵
同書は、もとは家具を飾っていた部品であった。大きさや頭上の部分が平らであることなどから玉座の装飾品であったと考えられている。
ライオンと人間の上半身が組み合わされたもので、さらに胴には翼がつけられている。顔は前方を向き、腕も前に組まれている。頭部には角があり、髪はカールして肩まで垂れている。翼も羽のようすが一枚一枚細かく表現されている。ライオンの胴の部分には鱗状の装飾で毛が表現され、脚の部分の装飾はかなり様式化されたものとなっているという。
玉座の装飾品でも、4本の足が立ち止まった位置ではなく、後ろ足は右が1歩出て、前足も右を出そうとつま先をあげて動きがある。足の先はライオンではなく人間のようだ。
人物像 前7世紀 トプラックカレ出土 青銅、顔は石 高37.5㎝ ベルリン国立博物館西アジア美術館蔵
比較的大型のものであるが、単独の像ではなく、やはり家具などの装飾の一部であったと考えられている。本体は青銅製であるが、一部には金箔が残存しており、全体が金によって覆われていた可能性もある。顔の部分は別に白色の石によって作られ、埋め込む形になっている。現在では失われてしまっているが、眉と目の部分は別の石(おそらくは黒色)によって象嵌されていたものと考えられる。こうした顔の表現方法はウラルトゥに独特なもので、スフィンクス像やライオン像にも類例が知られている。
首に掛けられた半月形をしたペンダントや斜めに掛けられた襷などの衣服の表現は、ウラルトゥに特徴的なものである。左手に肩から掛けられた長いリボンを持ち、右手に扇子を持つこの像は、神官を表現したものと考えられているという。
これがウラルトゥ人の顔。アッシリア人よりも穏やかな顔立ちだ。
服装は、左肩から右腰にかけて斜めに毛並みが表されている。右肩と下半身は無地なので、無地の衣服を着て、上半身は毛皮を羽織っているのだろう。毛皮の縁には二重の文様帯がある。雷文繋ぎか、四角形の重圏文を並べているように見える。
右腕の穴は溶かした青銅の注ぎ口だったのだろうか。欠けた部分から、かなり薄手に鋳造されていることがわかる。
このような部品が嵌め込まれていたのがどんな家具だったか、今となっては知るよしもないが、ウラルトゥ王国の隣のアッシリア帝国のものは石板の浮彫に表現されているほか、家具の一部は各都市遺跡から数多く出土している。
『大英博物館アッシリア大文明展図録』は、多くの場合、基本的な家具の材料は木材であるが、そこに青銅やその他のさまざまな材料が惜しみなく併用されている。家具の脚部には頻繁に青銅が用いられ、青銅製の動物の頭部が装飾として加えられることもあった。また、大量に象牙が使われていたことも知られているという。

アッシュールバニパルと王妃の饗宴図 前645年頃  大英博物館蔵
王が身を横たえている牀座、王妃の座る肘掛けのついた椅子、右端には物をのせる台などの家具がが描かれている。
玉座に座すセンナケリブ 前704-681年 大英博物館蔵
同書は、玉座の側面には、両腕を上げて玉座を支えているように見えるアトラスのような像が描かれているという。
国によっても家具や装飾には違いがあるだろうが、ウラルトゥでは、どんな風に上の2つの部品が嵌め込まれていたのだろう。

また、鋳造品には珍しいものがある。

城塞模型 前7世紀 トプラックカレ?出土 青銅 高28㎝幅36㎝ 大英博蔵
ウラルトゥは優れた土木技術を有し、強固な山城をいくつも築き、円柱を多用する独特の建築を発達させた。また各地で発見されている灌漑用のダムもこうした技術に裏打ちされたもので、国の生産基盤をより強固なものにしたと考えられるという。
城壁の上には等間隔で3段の鋸壁も造られていた。矢狭間もたくさんあったようだ。
大きな建物を造るには設計ということが重要だろう。当時の人はこのような模型を造っていたのだろうか。
このように、ウラルトゥ王国では様々に青銅を加工する技術があったようだ。
青銅の精錬とガラスの製作は密接に関連があるということを何かの本で読んだことがあるが、ウラルトゥで作られたガラス容器というのは記憶にない。ひょっとすると博物館に行けば展示されていたかも。

※参考文献
「世界美術大全集東洋編16 西アジア」2000年 小学館
「大英博物館アッシリア大文明 芸術と帝国展図録」1996年 朝日新聞社