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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2012/02/07

アンティオコスⅠの右腰に付けているのはアキナケス型短剣

ネムルート山西のテラスには石像と並んで王権神授を主題にした浮彫石板が並んでいた。現在は博物館にでも収蔵されているのか、見ることはできなかった。
『世界美術大全集東洋編16西アジア』は、国王の王権神授を表した。国王と神が右手で握手(デクシオーシス)をしている点を特色とするという。
そのような場面で、浮彫にはアンティオコスⅠの右腰に装飾的な剣が提げられている。
『コンマゲネ王国ネムルート』は、刀の鞘にもライオン頭の飾りが5つ見えるというがよくわからない。
ネムルート山近くのアルサメイアにもアンティオコスⅠとヘラクレスが握手する浮彫が残っている。その描きおこし図でライオンの頭部がはっきりと表されている。
それと同時に、この短剣は環頭になっていることもわかった。
そのような剣はコンマゲネ王国独自のものではない。

短剣・鞘 ロストフ州「ダーチ」墓地1号墳1号隠し穴出土 1世紀後半 金、ザクロ石、紅玉髄、トルコ石、鋳造、打出し、鍛造、鑞付け 長36.5㎝・27.1㎝ アゾフ博物館蔵
『南ロシア騎馬民族の遺宝展図録』は、柄には双峯ラクダと、双峯ラクダを襲う鷲がレリーフで表現されている。裏側には植物文がある。刃には白と赤の顔料が付着しているが、腐ってなくなってしまった革の鞘に塗られていた顔料であろうという。
時代はコンマゲネ王国の短剣よりも下がるが、アンティオコスⅠが儀式の時に提げていたとしたら、おそらくこのような絢爛豪華なものだっただろう。
鞘本体には鷲が双峯ラクダを襲う場面と後ろを振り返るグリフィンが表現されている。
鞘入りのこの短剣は、サルマタイの首長の儀式用軍装に伴うものであろうという。
こちらも儀式用である。
ロストフ州出土の短剣鞘にはライオンではなくフタコブラクダになっている。フタコブラクダは黒海東岸のロストフよりも東の中央アジア以東にしか生息しないといわれているが、隊商が物資の運搬に連れてきていて、見慣れた動物だった可能性もある。
柄の頂部は横向きのフタコブラクダで、その下にワシが横向きのラクダを上から襲っているシーンが表されている。
鞘中央には足を曲げて坐るラクダを上からワシが襲うシーンが4回繰り返され、一番下は丸まったラクダとなっている。突起部は左上だけが獅子グリフィンで、あとの3つは丸まったラクダである。
実用的なアキナケス型短剣とはどんなものだったのだろう。

短剣鞘 ウランドリク古墳出土 木製 パジリク文化(前4世紀)
ウランドリク型に似たものは南シベリアのオグラフティ古墳とコケリ古墳(匈奴のものとされている)からも発見されている。
このタイプの短剣鞘は、4つの穴に紐を通して右大腿部にしばりつけたものであることは、図像によって明らかである。シベリアエヴェンキ族も鞘の形はちがうが、ナイフを右太腿にしばりつけているという。
実用的な短剣の鞘とはこのようなものだったようだ。
アキナケス型短剣は、本来は太腿にしばりつけて使用したものだった。
それが儀礼的な短剣となってからは、右腰に提げるようになったようだ。
古代ユーラシア美術史学者、田辺勝美はこのタイプの短剣鞘が前5-4世紀にアルタイ地方などの中央アジアにおいて「スキタイ、メディア、ペルシャなどのイラン系民族が用いていたアキナケス型短剣の影響を受けて発明せられ、それが中央アジアのイラン系の遊牧民、サルマタイやパルティアに伝播して、彼等が南ロシアやイラン高原・メソポタミアに進出するに及んで、このような地方にも伝播した」と考えている。さらにこのタイプの短剣鞘は、「パルティア文化圏においては、一般の人が佩用するものではなく、ある特定の地位の人間(王侯貴族)が用いる短剣として定着し、それがササン朝ペルシャへと継承されていったのである。」(「ササン朝帝王の短剣に関する一考察」1985)。たしかに、このタイプの短剣鞘はズボンをはいて絶えず馬に乗り降りする遊牧騎馬民において発明され、それがオリエント方面へ伝播したことは充分考えられるという。

では、アキナケス型短剣ではなく、アキナケス剣とはどんなものだったのか。

聖樹と有翼神・動物文の剣と鞘覆い スキタイ(前7世紀末期) ロシア、クラスノダル地区ケレルメス1号墳出土 金・鉄 鞘覆い:長47.0㎝幅14.1㎝ 剣の柄:長15.5㎝ サンクト・ペテルブルグ、エルミタージュ美術館蔵
『世界美術大全集東洋編15中央アジア』は、鉄剣は柄と刃が一体になっており、鐔は蝶あるいは逆ハート形に近い形をしている。このような鐔をもつ剣をギリシアではアキナケスと呼ぶ。アキナケス剣は、いわゆるスキタイの三要素(動物文様、馬具、武器)の一つである武器のなかで、三翼鏃とともに本来スキタイ固有の要素と考えられ、スキタイ時代にはユーラシア草原地帯とその周辺の中国やイラン、ギリシアにも広まったという。
アキナケス剣は、鞘の出っ張りが一つだけで、そこに紐がついている。太腿に巻き付けたのではなく、腰に提げていたらしい。
鞘には前進する鳥グリフィンと弓を引いて前進する鳥グリフィンが交互に4対表されている(下図の矢印は同じ鳥グリフィン)。
パルティア美術圏では、その後もこのようなアキナケス型の装飾短剣を腰に提げることが続いたようで、パルミラの饗宴図にも見られる(中央人物の右腕と右脚の間)。
アキナケス型短剣については、他にもまとめておきたいが、それはいつの日にか。

※参考文献
「世界美術大全集東洋編16 西アジア」(2000年 小学館)
「世界美術大全集東洋編15 中央アジア」(1999年 小学館)
「南ロシア騎馬民族の遺宝展図録」(1991年 古代オリエント博物館・朝日新聞社)