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忘れへんうちに 旅編に、中央アジア各地の旅に続いて、イランの旅を記載し始めました。
その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2011/07/29

ドームを発明したのはローマ人?

ギリシア時代は長い石を切り出してアーキトレーヴにしたが、ローマ時代になると石材の調達が困難となり、その代わりに考案されたのがアーチだったという話を読んだことがある。
しかし、『世界美術大全集5古代地中海とローマ』は、この時期(共和政中期から末期、前390-44)に古代ローマ人は、アーチという新構法とコンクリートという新材料を獲得し、この利用者は後のローマ建築の発展に大きな貢献を果たすことになる。アーチとは比較的小さめの石材や煉瓦を円弧状に並べて架構する手法であり、小さい部材によって大きな梁間を得ることを可能にする。アーチ構法は中近東からギリシア世界にもたらされ、そこから前3世紀頃にエトルリア人もローマ人もともに学んだのではないかとみられるという。
なるほど、エラム中王国時代(前13世紀)建立のチョーガーザンビル(現イラン)に今も残るジッグラトにはアーチやアーチ形の壁龕がある。おそらくヴォールト天井も写真に見えないところに残っているのだろう。
『季刊文化遺産13古代イラン世界2』の「サーサーン朝の都市と建築」で岡田保良氏は、かまぼこ形のヴォールトの方は、もともと木材の乏しいメソポタミア地方やエジプトの煉瓦積み建築で発達した古来の構法だった。遅くとも紀元前2000年を少し遡る頃には、木材を用いない煉瓦積みの屋根がメソポタミアには広く普及していたという。
ルクソール西岸のラムセスⅡ葬祭殿(前13世紀)でもみかけた。
空から見るとよくわかる。

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ところが古代メソポタミアにも古代エジプトにもドームは見つけられなかった。

ドームの方は、正方形平面を円蓋で覆うというきわめてペルシア人的な好みによって、フィールーザーバードの宮殿でいえば、中央に三つ並ぶ正方形の部屋に採り入れられたように、サーサーン朝ペルシアの世界で発達を見た。とくに「四つのアーチ」を意味する「チャハルターク」というゾロアスター教の神殿建築様式として広く受け入れられたという。
フィルザバードに宮殿を建立したのはササン朝の開祖アルダシールⅠ(在位226-241)だった。

古代のメソポタミアでは、多くの遺構から言えることだが、正方形平面の部屋が好まれず、それゆえドームという建築的発想も必要なかったと考えられるのであるという。
どうも古代メソポタミアにはアーチやヴォールトがあってもドームはなかったらしい。東方でドームが用いられたのは後3世紀前半だったとすると、古代ローマのドームの方が早いことになる。


ササン朝がローマからドームの架構技術を採り入れたのだろうか。

※参考文献
「世界美術大全集5 古代地中海とローマ」(1997年 小学館)
「季刊文化遺産13古代イラン世界2」(2002年 財団法人島根県並河萬里写真財団)