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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2011/05/27

アメンホテプ2世の40㎝のガラス容器はモザイクガラス?

やっとアメンホテプⅡのガラス容器の図版を見つけた。

アンフォラ型脚支持台付(大部分は後補) エジプト、テーベの王家の谷の「アメンホテプⅡ世墓」出土 前15世紀 高40.0㎝胴部最大径15㎝ カイロ博物館蔵
高さが40㎝もあるのに、図版があまりにも小さく、ガラス容器は損失箇所の方が多くて、白い粘土を使って復元してあるので、全体に白っぽくて、当時のガラス容器とは全然違ったものになっている。
頸部はジグザグ文を縦ではなく横に巡らせている。
『世界ガラス美術全集1古代・中世』は、地色は白・不透明。口縁部は茶の条線文。頭部は淡青と茶の垂直羽状文という。 
下にいくほど白い箇所が増えている。胴部は本当にこんな文様だったのだろうかと疑問に思うほど、散り散りに色ガラスが置かれている。帯文様ではなく、何かを表したものだろう。
底部には白ガラスに黒っぽい色ガラスを引っ掻いて花文を表したようでもある。このような花文が胴部に幾つかあって、その間に赤や青のガラスの不思議な形の細い断片が散らされているのだが、それらは何を表していたのだろう。
肩部は2つの多彩のカルトゥーシュ入茶色の方形ガラス板の象嵌。胴部は、幅広蛇行状十字形、淡青と茶の不規則な斜垂綱文、濃青方形斑文。
脚支持台は、淡青、透明茶、透明緑の大理石文。王銘入
という。

カルトゥーシュが象嵌というとモザイクガラスになるのでは。胴部の文様も引っ掻いて出来上がったというよりは、モザイクガラスではないのだろうか。
脚支持台に透明ガラスが使われていたとは。
他にもアメンホテプⅡ墓出土のガラス容器の図版があった。いったい何を探していたのだろう。

扁壺 アメノフィス二世墓出土 前15世紀 高14.5㎝ カイロ博物館蔵
『世界ガラス美術全集1古代・中世』は、地色は濃青不透明。頸部の上半・下半にそれぞれ、両側黄、中央白の複合垂綱文。
口縁下部に黄線貼付文。口縁下部の貼付線文はたいへん稀。
胴上部に、両側黄、中央白の垂綱文。胴下部に両側黄、中央白の不規則変形羽状文。
頸部文様帯は、蓮型坏の新資料脚部と共通し、胴部の垂綱文、変形羽状文にも共通の要素という。
頸部の文様は一つ一つ独立している。モザイクガラスのように、羽状に作ったガラス片を貼り付けたのだろうか。
アンフォリスコス アメノフィス二世墓出土 前15世紀 高25.0㎝ カイロ博物館蔵
同書は、地色は青不透明。口縁部に幅広の黄帯。肩部から底部まで黄線により10の穹稜に分割。穹稜には、白地黄緑に淡赤・淡青・青のロゼット文と黄十字文が交互に施されている。肩部把手は、白・黄・淡青の横縞文。
同墓出土24829はこの容器の把手であろう。把手の芯は青銅細棒という。
ロゼット文も十字文もモザイク片を作っておいて並べた、モザイクガラスだろう。
この時代のガラス容器に把手が付いていたとは。前2-1世紀のコアガラス容器には大きな耳が2つついているが、ガラスを細く溶かしてくっつけたものだが、前15世紀では青銅にガラスを巻き付けて作っていたのか。
芯にガラスを巻き付けないと把手は作れなかったらしい。というよりも、これまで見てきた古い時代のガラス容器に把手のついたものはなかった。この作品は把手のある画期的なガラス容器だ。
このように、モザイクガラスとしか思えない容器が、アメンホテプⅡ墓より複数出土し、しかも、文様がそれぞれ異なっている。モザイクガラスはエジプトでできた技法だろうか。

※参考文献
「ものが語る歴史2 ガラスの考古学」(谷一尚 1999年 同成社)
「MUSAEA JAPONICA3 古代ガラスの技と美 現代作家による挑戦」(古代オリエント博物館・岡山市立オリエント美術館編 2001年 山川出版社)
「カラー版世界ガラス工芸史」(中山公男監修 2000年 美術出版社)
「世界ガラス美術全集1 古代・中世」(由水常雄・谷一尚 1992年 求龍堂)