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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2011/05/13

コアガラスに目玉文と縄目文

ガラス容器の文様は羽状文や波状文などジグザグ文に近いものだったが、全く異なるものが、アシュールで発見されている。

ガラス容器 イラク、アッシュル37号墓出土 コアガラス 高23㎝ 前15-13世紀 ベルリン国立博物館西アジア美術館蔵
『世界美術大全集東洋編16西アジア』は、アッシュルからは前2千年紀半ば過ぎに年代づけられるガラス容器が、いくつかまとまって発見されている。アッシリアが隆盛となる以前にメソポタミア北部を支配下に置いていたミタンニ王国では、ガラスの製造がさかんであり、大規模な工房が営まれ、そこで生産された作品は各地で珍重された。アッシュル出土のガラス容器も、この流れを受けたものであろうという。
三脚ビーカーと共に発見されたが、今まで見てきたコアガラス容器には見られなかった文様だ。
紺色ガラスの本体に紅白のガラス棒を捻って縄目文様の帯と、白ガラスの上に赤ガラスをおいた目玉状の文様を貼り付けたように見える。目玉文の方がよく溶けているので、まず目玉文を5段に並べ、その間にレースガラスを巻いたのだろう。
これだけの作業をしながら、縄目文様がかなり浮き出たままなのは、あまり高くない温度で仕上げたからだろうか。それとも立体的に仕上がるように、素早く作り上げたのだろうか。
このガラスに施された縄目や目玉などの文様は、容器よりも同じコアガラスの製法で作ったトンボ玉でよく見られる。そう思ってメソポタミアのトンボ玉を探したのだが、意外に古い物がなかった。そしてエジプト出土のトンボ玉に目玉文と縄目文があった。

目玉文のトンボ玉 前14世紀 エジプト、テル・エル・アマルナ王室ガラス窯跡出土 アシュモリアン博物館蔵
『トンボ玉』は、エジプトの新王国(前1552-1072)の第18王朝(前1552-1306)のアケナートンの王宮からピートリーが発掘したガラス窯跡からは、坩堝断片、コア・グラス器断片、ガラス熔解屑などに混じって、色ガラス玉や美しい縄目縁取り文様のトンボ玉や目玉文様のペンダント形トンボ玉類が出土した。
紀元前15世紀に入って、エジプトでは突然にガラス窯が王宮内に造られてガラス器物が造り出された。
エジプトの新王国時代には、概してトンボ玉の生産はそれほど大きな流行をみせなかったらしく、他の器物に比較しても、今日発掘されている数量はきわめて少ないという。
テル・エル・アマルナと言えばアクエンアテンが王都を遷して短い間だけあった王宮だ。あの特異な容貌の王がこのようなトンボ玉を作らせていたとは。
エジプトでトンボ玉があまり作られなかったわりには、この目玉文と縄目文を組み合わせた文様は完成度が高い。どちらもエジプトでできた文様ではなく、メソポタミアから将来されたものかも。
『ガラスの考古学』は、適正な割合で原料を調合し、意図的に生産されたガラスの段階で、上質のアルカリシリカガラスが登場する。初現はアッカド期(前25世紀)のメソポタミアで、同期の円筒印章およびアッカド語の粘土板文書を伴出する、ヌジⅣ層から出土した銅製ピン頭部の珠(Starr 1939,32,515)などがある。ラピスラズリ製の同様型式のものが、初期王朝期に存在することから、初期のファイアンス製品と同じく、初期のガラス製品もまた、貴石の代用品・模造品として製作され、使用されたことがわかるという。
紺色のガラスはラピスラズリの代替用に作られたというのはどこかで聞いたような気がする。
ピンの頭部にガラス珠が付けられていたなら、そこからトンボ玉の製作まではそう遠くない技術だろう。
やっぱり目玉文と縄目文がコアガラスに現れるのはメソポタミアの方が早いのだろう、そう思うようになった時、ガラスについて勉強し始めた頃に読んだ本を久しぶりに開いて見ると、前15世紀とされているコアガラス容器に目玉文も縄目文もあることがわかった。

波状文長頸瓶 アッシュール37号墓出土 前15世紀 高15.5㎝ 大英博物館蔵
4種類の波状文が15.5㎝の容器に使われている。頸部には上方向に少し引っ掻いた波状文、胸部には上方向にかなり引っ掻いた羽状文、胴部にはテル・アル・リマフ出土のコアガラス器(前14㎝頃)と同じように上下に引っ掻いたジグザグ文、底部は下方向にかなり引っ掻いた羽状文とかなり凝っている。それだけではない。口縁部は縄目文を横方向に引っ掻いて横向きのV字が並んだようにみえる。しかもそんな縄目文が2連ある。
これだけでも素晴らしいできばえの器だが、胸部には、羽状文に埋もれるようにして、目玉文が2つある。その上目玉文の周囲は縄目文が巡っている。
前15世紀のコアガラスに目玉文と縄目文は確かにあった。
ところがエジプト出土のコアガラス容器の中に酷似しているものがあった。

波状文尖底瓶 エジプト、伝メンフィス、マイヘルプリ墓出土 前14世紀 高16㎝ 布製蓋被付 カイロ博物館蔵
4種類の波状文の位置と形、口縁部の2連の横向き羽状文までもほぼ同じ形の容器に同じバランスで施されている。同一瓶の表裏の写真ではないかと思ったほどだが、上の作品は大英博物館蔵で、こちらはカイロ博物館蔵なので、よく似た2つの作品が存在している。
2つの器の相違点は胸部に目玉文がないことや、大きさと年代がちがうことくらいだ。それほど似たものを作るとなると、上の長頸瓶を見ながらでないと不可能だ。上の作品がエジプトで作られたのか、それともミタンニから将来されたのか、これだけ似た器があっても特定することができない。この点については次回。
縄目文は帯状につかわれただけではなかった。

西洋梨形瓶 イラク、アッシュール出土 前15世紀 高23.3㎝ ベルリン国立博物館蔵
元はどんな色をしていたのだろう。テペ・マルリク出土の モザイクガラス坏(前12-11世紀)のように本体が白で文様が赤だったとしたら、かなり派手な器だったことになる。
羽状文が頸部に2本、そのうち下方のものは上下に縄目文、胴部下方に1本、その上に縄目文。頸部の縄目文の下に垂綱文、その下に縄目文がもう1本。
そして、頸部と胴部の主文は縄目文を交差させた組紐文(ギローシュ)とその上下、真ん中の円文(一色のため目玉文とまではいかない)だ。このような文様帯はコアガラスでは今までには見られないものだ。
『世界ガラス工芸史』は、アッシリア帝国の首都であったアッシュールからは、やはり数多くの容器や容器断片が出土するが、この遺跡からは他の遺跡と異なった器形のガラス容器、例えば容器の底部にボタン状の突起のついた西洋梨形瓶や、三足付きゴブレットなどの容器が出土している。それだけでなく文様も眼球文を捻り文が囲んでいるというような同時代のエジプトでも見られるような文様もみられるという。
なるほど、脚というよりもボタン程度の高台で器体も歪んでいるが、バランスして自立している。テペ・マルリク出土のモザイクガラス坏の脚部に似ている。
このような円文も目玉文というのか。
三足付きゴブレットはこちら
ガラス断片 テル・エル・アマルナ宮殿址出土 前14世紀 6.8X4.3㎝厚0.4-0.7㎝ 大英博物館蔵
『世界ガラス美術全集1古代・中世』は、不透明白地の胎に、濃紺、白、濃紺の同心円文を、濃紺、白の捻り紐による複波状文で囲む施文形態という。
確かにエジプトにもあった。しかもアクエンアテン王の時代らしい。
組紐文と目玉文の組み合わせも同時期のエジプトとメソポタミアに存在したとすると、もっと単純な目玉文と縄目文は双方で製作されていただろう。
最も、組紐文だけでなく、その間に目玉文を挟んだものは、前2300年ころのマリ出土の石製容器にも見られるので、特殊な文様帯ではない。

※参考文献
「ガラス工芸-歴史と現在展図録」(1999年 岡山市立オリエント美術館)

「トンボ玉」(由水常雄 1989年 平凡社)
「ものが語る歴史2 ガラスの考古学」(谷一尚 1999年 同成社)
「ガラス工芸=歴史と技法」(由水常雄 1992年 桜楓社)
「カラー版世界ガラス工芸史」(中山公男監修 2000年 美術出版社)
「世界ガラス美術全集1 古代・中世」(由水常雄・谷一尚 1992年 求龍堂)