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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2011/03/08

金箔入りガラスの最古は鋳造ガラスの碗



キリスト教徒やユダヤ教徒は、カタコンベという特徴のない地下の通路の棚に埋葬して漆喰で蓋をしたらしい。目印には時々金箔ガラスのメダイヨンが貼られていた。記念品として作られたガラス容器の底の部分だ。真っ暗な通路を明かりを持って探したら、金箔がきらきらと輝いて、漆喰に名前を彫っただけのものよりは見つけ易かったはずだ。

ところで、容器の底に金箔で表された図柄には、キリスト教やユダヤ教の信仰が見えてくる。

夫婦と聖人たち 金彩ガラス 初期キリスト教美術 フィレンツェ、バルジェッロ宮美術館蔵
当時聖人といえば殉教者のことだった。殉教者の名前のパネルをのせた柱と聖人が交互に表され、中央の円にはキリスト教徒の夫婦と、その上に小さく冠を与えるキリストが表されている。
金箔は、中心部分の夫の顔を除き、ほぼ切れたり皺が寄ったりせずに、それぞれの場面を表している。こんな風に仕上げるのには、いったいどんな技があったのだろう。
同じ金箔ガラスのメダイヨンでも、ローマ、パンフィロのカタコンベ出土の聖女アグネスガラス杯底部(4世紀半ば)の金箔には、ひび割れのようものが多数見られる。金箔が薄かったのか、貼り付け方が悪かったのか。
『ガラスの考古学』は「金層珠の製作技法」で、ガラスを2層にし、その間に金箔を挟み込んだ金層珠である。吹きガラス技法成立(前1世紀中葉)以前から用いられていた芯巻技法による金層重ね貼付珠(前3世紀以降)と、吹きガラスにより太細2種のガラス管をつくり、これを重ね合わせて適当の長さに切り、必要があれば中間を挟んでいくつかの括れをいれた金層重ね挟珠(1世紀以降)との2種が知られている。後者の場合は、ガラス管を吹くときにできる微妙な皺が表面に認められるという。
想像すると、容器分の溶けたガラスをこの金彩ガラスに付けた後で膨らませるとこのように皺ができるのではないだろうか。ひびではなく皺という表現の方が良さそうだ。
上の皺のない金箔のものは、膨らませた容器が熱い内に底部を貼り付けたので皺がないということか。
容器ではないが、金箔がガラスの中に入っているものがある。

ゴールドバンドビーズ 前1世紀 東地中海地域出土 ガラス、金 縦2.1㎝横2.7㎝厚0.8㎝ MIHO MUSEUM蔵
『古代ガラス展図録』は、表面を緑色と透明なガラスが縞状に包み、中央に赤いガラス線が1本入っている。その下には金箔が沈んでいる。長辺を横切って、紐を通せる穴があいており、底部が平らで上部は盛り上がっていることから、最初は棒にガラスを巻いて形を作り、その後、上のあいた型に入れて成形されたと思われるという。
この作品は吹きガラスではなく、コアガラスだが中の金箔に皺がある。金箔の上の透明ガラスに緑と赤のラインがS字状に並んでいる。透明ガラスの上に溶けた緑ガラスや赤ガラスを付けて、それらが曲線を描くように左右に引っ張ると、金箔に皺ができるのだろうか。
ガラス容器の底に金彩ガラスで何かの場面を表すということが流行したのは紀元後のようだが、ガラス容器の本体に金箔を刻んだ文様を貼り付けたものというのは紀元前からある。

金箔入りガラス碗 プトレマイオス朝時代(前300-250年頃) エジプト、アレクサンドリア出土 ガラス・金 径20.0㎝高12.0㎝ 大英博蔵
『アレクサンドロス大王と東西文明の交流展図録』は、薄い金箔を複雑な植物文の形に切り抜き、それを二層からなる透明ガラスの間に挟みこむ技法は「サンドウィッチ・グラス」あるいは「ゴールド・グラス」と呼ばれ、前3世紀前半に生み出されたと思われる。現在までに16例が知られ、その多くがカノーサなどイタリア半島で見つかった。しかしそのどれもがアレクサンドリアの金属、テラコッタ、ファイアンス製の容器に非常に近い様式を示しているため、サンドウィッチ・グラスはアレクサンドリアの宮廷で製作されたのではないかと考えられているという。
ガラスはところどころひびが入ったり、割れて欠損している部分がある。欠けた箇所をよく見ると、内側と外側の2枚のガラスは溶けて貼り付いてはいなかった。鋳造のほぼ同じ大きさの薄いガラス碗が重なっているだけだ。
外側のガラスの欠けた部分(①)から金箔が直接見えるので、切り抜かれた金箔は、内側のガラスの外側に貼り付けて、外側のガラス碗にすっぽりとはめ込んだことがわかる。それは、内側のガラスが欠けた箇所(②)には金箔もないことからも明らかだ。
『世界美術大全集4ギリシアクラシックとヘレニズム』は、鱗文を配したアカンサスの葉と、やはり内側に草花をちりばめた舌状のモティーフが交互する繊細豪華な装飾であるという。
私には大きな花弁と小さな萼片が交互に並んだ花に見える。大きな花弁は蓮の花弁のような形をしている。花弁の中には下からアカンサスの葉が出て、その両側に2本ずつ茎のついた花が表されるが、現実のアカンサスの花ではない。花を包む細い曲線や茎はまるで截金のように精密だし、葉のギザギザもシャープなのに、花だけは架空のものを想像して描いたという印象を受ける。
萼片の方には丸い鱗状のものが、髪の毛のような細さで、1㎜のずれもなく金箔を切って貼り付けてある。
花弁や萼片の下を見ると、6弁の小さな花(萼片?)の上側に丸い花弁が出ているようだ。
これだけ複雑で細かい図柄を、薄い金箔に切り抜いた後に内側ガラスの外側に貼り付けたのではなく、金箔を貼り付けてから模様に切っていったのではないのだろうか。
それにしても、このような細かい細工を完璧にこなせた当時の技術の高さには驚く。


前3世紀前半にアレクサンドリアに誕生した、金箔を緻密に切り抜いた図柄が、2つの薄い透明ガラスの器の間に広がるという高度な技術は後世に受け継がれたのだろうか。
受け継がれたが技術としては落ちて、記念品のガラス容器の底にその痕跡が認められるのかも知れない。そして600年以上の空白があるのは、地下に埋葬してその目印にするというような習慣がなかったので、壊れたり、時がたって記念品に見覚えのない子孫が捨ててしまったりしたのかも。

関連項目
截金の起源は中国ではなかった
中国・山東省の仏像展で新発見の截金は

※参考文献
「知の発見双書70 キリスト教の誕生」 ピエール=マリー・ボード 1997年 創元社
「アレクサンドロス大王と東西文明の交流展図録」 2003年 NHK
「古代ガラス展図録」 2003年 MIHO MUSEUM
「ものが語る歴史2 ガラスの考古学」 谷一尚 1999年 同成社
「世界美術大全集4 ギリシアクラシックとヘレニズム」 1995年 小学館